悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(19)事の発端

「殿下、アリステア様。大丈夫ですか!?」
「落ち着け、モナ。どこにだって人目はある。そう滅多な事は起こる筈も無いだろう?」
「それはそうかもしれないけど!」
 何事かを言い争いながら、いきなり統計学資料室に現れた二人を見て、室内に居たグラディクトとアリステアは目を丸くした。


「モナ、どうした? そんなに慌てて」
「アシュレイさんまで、どうしたんですか?」
 その問いかけに、ローダスが神妙に頭を下げながら言い出す。


「お騒がせして、申し訳ありません。モナがエセリア様達の不穏な話を耳にして、アリステア様がご無事かどうか、今すぐ確かめに行くと言って、きかなかったものですから……」
「え? それってどういう事ですか?」
「それは穏やかでは無いな……。詳しく言ってみろ」
 途端に顔つきを険しくしたグラディクトの前で、シレイアがモナの声音で語り出した。


「実は……、エセリア様を初めとする上級貴族の皆様が、教室の中で声高に話しておいででしたの。廊下を通った時、漏れ聞こえてきたそれを、偶々耳にしてしまったのですが……」
 しかしそれを聞いたローダスが、尤もらしく否定してみせる。


「だから、そんな大声で話していたなら、実際に実行に移す事は無くて、単なる冗談とか口にしてみただけでは無いのか? 本当に企んでいるのだったら、慎重を期すだろうし」
「だけど!」
 そこで再度論争になりかけた二人に、グラディクトが鋭く言い付けた。


「アシュレイ、少し黙れ。私はモナの報告を聞きたい」
「はっ! 誠に失礼致しました!」
「それで? エセリア達は、どんな事を話していたんだ?」
 改めて彼が促すと、シレイアが冷静に話し出す。


「それが……、『頭が足りなくて恥知らずな下級貴族は、言って聞かせるだけ時間の無駄と言うもの。直接危害を与えなければ、分かりはしませんわ』とか言っていて」
「何だと!?」
「えぇ! 本当ですか!? 怖い!!」
「大丈夫だ、アリステア。私が誰にも手出しなどさせん!」
 途端に顔色を変えた二人だったが、ここでローダスが冷静に指摘した。


「お二人とも、ご安心下さい。校内では人目もありますし、滅多な事は起きないと思います。ただ明らかに敵意を持っていたり、知らない相手に呼び出されても、決して応じないで下さい」
「……それはそうだな」
「はい、気を付けます!」
「それから万が一、グラディクト殿下のお名前を騙られて呼び出しを受けた場合、それをすぐに判別できるように、何か二人だけに分かる暗号などを決めておけば良いかと」
 その提案に、二人が感心したように頷く。


「確かにそうだな。やはりアシュレイは、細かい事まで気が利く」
「本当ですよね!」
「恐れ入ります」
「ですがそうなりますと、余計にアリステア様の身の回りの物に、注意を払わなければいけないのではありませんか?」
 心配そうにここでシレイアが口を挟むと、その危険性を考えたグラディクトが渋面になった。


「モナの懸念は尤もだな……」
「じゃあ何か取られたり、壊されたりするって事ですか!?」
 アリステアが顔色を変えたが、それをローダスが再び宥めた。


「それも、よほど条件が重ならなければ、あまり心配は要らないかと。現に授業を受ける時の席も自由で、私物は各自持ち歩いていますから。各生徒に固有の席が与えられている場合と違い、そこに私物を常備したり、置き忘れたりする可能性はありません」
「確かにその通りだな」
 グラディクトは納得して頷いたが、シレイアは尚も訴えた。


「だけど移動中にわざとぶつかられて怪我をさせられたり、ぶつかった衝撃で落とした鞄を踏まれたりして、中の物を壊されたりするかもしれないでしょう?」
「お前は想像力が旺盛だな」
「何ですって!?」
 そこで揉めかけた二人を、グラディクトは再度苦笑交じりに宥めた。


「アシュレイ、モナはアリステアを本心から心配しているから、少々気を回しすぎているだけだ。あまり責めるな」
「はぁ……、畏まりました。それではアリステア様。以前セルマ教授から個人授業を受けているとお伺いしましたが、今でも変わりありませんか? 確かその時に使われている教室が、西棟にあったとも記憶しているのですが」
「……ええ」
「それがどうした?」
 急に変わった話題に、二人が困惑していると、ローダスは重ねて確認を入れる。


「西棟は他と比べると生徒の出入りも少なく、人目に付きにくいので、移動の際はご注意下さい」
「あ、はい……。確かに、そうですね……」
「特にエセリア様は週の頭に、西棟にあるイドニス教授の研究室を訪れる事が多いらしいので、幾ら注意をしておいても不足する事は無いかと思います」
「そうなんですか?」
「エセリアは何故、イドニス教授の研究室に顔を出しているんだ?」
 そんな情報を耳にして二人は本気で困惑したが、ローダスは用意してきたシナリオ通りの嘘八百を並べ立てた。


「聞くところによると王妃様の指示で、王国と周辺国の歴史について、特別講義を受けていらっしゃるそうです」
「ふん! そんな物、授業の内容だけで十分だろうが。相変わらず嫌みな奴だ」
(仮にも王太子殿下なら、その通常の歴史の授業で、満点位取ってみせろよ!)
(王妃陛下はあんたにさほど期待してないから、エセリア様にしっかりサポートして貰おうと思ってんでしょうが。それ位、察しなさいよね!?)
 思わずグラディクトの口から吐かれた悪態を聞いて、ローダスとシレイアは心の中で言い放った。そんな二人に、アリステアが神妙に頭を下げる。


「分かりました。色々気を付けてみます。教えてくれて、ありがとうございます」
「ああ、これからも私達を助けてくれ」
「勿論です。それから万が一事件が起こった場合でも、明確な証拠が無ければ下手に騒ぎ立てるのは得策ではありませんから」
「濡れ衣を着せられたと、逆に責め立てられる可能性もありますので、慎重にお願いします」
「そうだな」
「分かりました。それも忘れないようにします」
 そしてその後すぐに部屋を辞去したローダスとシレイアは、廊下を歩きながら困惑気味に囁き合った。


「さて、二人に怪しまれずに、話す事はできたが……。本当に、エセリア様が仰っていたような事が、これから起こると思うか?」
「さすがにそこまでするかしらね? 私も、どうかと思うんだけど……」
 そんな懐疑的な呟きを漏らしながら、二人は歩き続けた。
 その日、寮の自室に戻ってから、アリステアはベッドに腰かけて自問自答した。


「はぁ……、本当にエセリア様が、私に危害を加えようとしているのかしら? そんな事をする前に、自分がグラディクト様に好意を持たれるように、努力すれば良いのに……。本当に自分勝手な人よね」
 呆れ顔でそんな事を口にしてから、アリステアは立ち上がって机に向かう。


「確かにこの本でも、ヒロインが貴族科に進級した段階で、直接的な嫌がらせが始まるのよね……。それで物的証拠とか目撃証人を密かに確保して、卒業記念式典の時にそれを一気に明らかにして、悪役令嬢を弾劾するんだけど……」
 引き出しから《クリスタル・ラビリンス》を取り出し、パラパラとめくりながらひとりごちた彼女は、その直後に勢い良く本を閉じながら、自分自身に言い聞かせた。


「うん、やっぱりこれ位やらないと、円満に婚約破棄なんかできないわよね。この際多少の嫌がらせは甘んじて受ける事にして、しっかり証拠集めをする事にしよう」
 力強くそう宣言したアリステアの瞳には、微塵も恐怖や躊躇いの色は見られなかった。





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