悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(17)崩壊する付け焼き刃

 グラディクトの宣言通り、その直後に彼から招待の話が舞い込んだ為、レオノーラは接待係の全員を引き連れて、指定日時にカフェの一つへと向かった。
 その時間帯はグラディクトがそこを貸切にしており、人気のないカフェ内に、きちんとテーブルクロスが引かれた大きな長方形の机が準備され、人数分揃えられたた椅子に皆が静かに座る。


「皆様、良くお出で下さいました。今日は宜しくお願いします。私は、ミンティア子爵家のアリステアです。この機会に、皆さんとお近づきになれたら嬉しいです!」
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 グラディクトの側付き達が、手分けして女生徒にお茶を配る中、アリステアが笑顔で声を上げた。それに接待係を代表して、レオノーラが応じる。


「こちらこそ、お招き頂きありがとうございます。ラグノース公爵家のレオノーラです。アリステア様の非凡なるお振る舞いに関する数々の噂は、昨年から聞き及んでおりました。普通ならばこうして直に顔を合わせる機会など無いものを、今回思いがけずお会いできて光栄です」
 それは半分以上皮肉を含んだ物言いだったのだが、生憎とアリステアには全く通じなかった。


「嫌だ、レオノーラさんって正直な方ですね! そんな大した事はありませんから、遠慮なんかしないで下さい!」
「……そうでございますか」
 何とか礼儀を保ちながらも低い声で応じたレオノーラだったが、他の者達は驚愕と侮蔑が入り交じった視線を、アリステアに向けながら囁き合った。


「何? まさかあの女、本気でレオノーラ様に誉められたと勘違いしているわけ?」
「この場合『非凡』って、非常識という意味よね? 卓越とかの意味だとでも思っているのかしら?」
「厚かましいし、それ以上に、良くも恥ずかしげも無く……」
 そんな周囲の声を耳にしながら、レオノーラは何とか気を取り直し、本来の目的を果たそうと話を進めた。


「それでは貴女は皆様をご存知ないとの事ですから、私から紹介させて頂きますわね? まずこちらに座っている者は、サーヴァンド侯爵家のラリーサ様です」
「……初めまして」
 レオノーラが隣に座っている女生徒を手で示しながら紹介すると、彼女が軽く頭を下げる。するとアリステアが、彼女に向かって声をかけた。


「ラリーサさん、宜しくお願いします。サーヴァンド侯爵領って、ワインの名産地ですよね?」
「ええ……。ご存知でしたか……」
「勿論です! きっとラリーサさんは生まれてからずっと、自領の上質のワインしか召し上がった事がないんでしょうね? 凄いですわ!」
(ふふん! グラディクト様に協力して貰って、今日の参加者のお家や領地に関する下調べはばっちりだもの。皆に感心して貰って、好印象を与えないとね!)
 得意満面でそう述べたアリステアを後押しするように、ここで隣に座っていたグラディクトが会話に加わる。


「そうだな。せっかく今日顔見知りになった事だし、収穫期には新酒の一本でも、アリステアに進呈して貰えないだろうか」
「え? グラディクト様、そんな厚かましい事を」
「それは無理です」
「……何?」
「え?」
 一応遠慮してみせたアリステアの台詞を、ラリーサが冷静に遮る。その即答っぷりにグラディクトが顔を険しくし、アリステアが困惑したが、ラリーサはそんな二人には構わず、淡々とその理由を語った。


「我が領地では春先から、葡萄園の殆どの木に病気が流行りまして。一時期、葡萄園が全滅するかもしれないと、農民達が追い詰められておりましたの。ですから今年は新酒は出荷できませんので、過去に仕込んだ醸造品のみを出荷する予定です」
(え? そんな大事件があったなんて、聞いてない!)
 夜会に出てなどいないアリステアは勿論、噂話などに興味が無かったグラディクトが情報収集を怠った故の失態だったが、不安げなアリステアの視線を受けて、彼は何とかその場を繋ごうと口を開いた。


「それなら、その醸造品を」
 しかしその声を、女生徒達が声高に遮る。


「本当に難儀でしたわね。確かクレムス病と申しましたか?」
「何かの虫が媒介するのですよね」
「先月の夜会では、随分噂になっておりましたわね。『サーヴァンド領のジェスタムが手に入らないと、生きていけない』などと仰っていた殿方もおられましたし」
「でもそれは、ワーレス商会が開発した、柑橘系の木材を使った特殊な燻し剤で駆除できたと伺いましたが?」
 半ばグラディクトを無視しながら、自分が仕入れていた情報を口々に言い合う周囲に、ラリーサは笑顔で詳細について語った。


「皆様、耳が早くていらっしゃるのね。実は同種の葡萄をシェーグレン公爵領で栽培しておられる関係で、病気の根絶に詳しい者はいないかと父が公爵にお尋ねしたところ、即座にワーレス商会に働きかけて、その燻し剤を手配して下さいましたの。今年の収穫は無理ですが、処置が早かった為、来年以降は支障は無いそうです。シェーグレン公爵とワーレス商会には、心から感謝しておりますわ」
 それを聞いた一同は、こぞってシェーグレン公爵とワーレス商会を誉めちぎった。


「本当に良かったですわ。噂通りシェーグレン公爵は、即断即決の方なのですね」
「さすが、数々の画期的な商品を生み出しているワーレス商会で」
「レオノーラ! さっさと次の者を紹介しないか!」
「…………畏まりました」
 そこで苛立たしげなグラディクトの怒声が響き渡り、その場に興醒めした空気が漂ってから、レオノーラが更に隣の女生徒をアリステアに紹介した。


「ラリーサ様の隣の方は、タスポー伯爵家のアンジェラ様です」
「アンジェラと申します」
「こちらこそ、宜しくお願いします。タスポー伯爵領は海に面していて、大きな港がありますよね? 確かルマンでしたか? そこに領地の屋敷もあるとか」
「ええ。我が国でも屈指の港です」
「それなら領地に行かれた時は、港直送の新鮮な魚介類が食べられて良いですよね? どんなお料理を食べていらっしゃるんですか?」
(美味しいって評判の、魚介類をふんだんに利用した地元の郷土料理の事は、ちゃんと調べてあるもの! それを誉めれば、悪い気はしないわよね? そこからどんどん話題を広げてみせるわ!)
 自信満々で次の言葉を待ったアリステアだったが、アンジェラは第一声から変わらない冷え切った口調で、彼女のその目論見を粉砕した。


「初対面のあなたはご存知ないかと思いますが、私は魚介類を食べると蕁麻疹ができる体質ですから、王都でも領地でも魚介類は一切食しません。ここの食堂でも、魚介類のメニューの時は、特別に代わりの物を提供して貰っています」
「……え?」
「因みにルマンは外国との貿易港で、そこで魚介類の水揚げなどは致しません。他の小さな漁港ですわ。寮の食事の事と同様に、結構周囲に知られている話かと思っていましたが、アリステア様のお話ですと、そうでもないらしいですわね」
「あ……、そ、そうでしたか……」
「…………」
 淡々と述べた後、ラリーサは口を閉ざし、話の取っ掛かりを掴めずにアリステアも沈黙した。その気まずい静けさを、グラディクトの怒声が切り裂く。


「レオノーラ!」
 それを受けて、レオノーラは更に隣の人物を紹介した。
「それでは次に、ギーゼング公爵家のメラニー様です」
「メラニーです。宜しくお願いします」
 すると素早く立ち直ったアリステアが、嬉々として声を上げた。


「こちらこそ、宜しくお願いします! ギーゼング公爵家って建国以来の名家で、領地の金鉱から取れる金で、豊かなんですよね? 本当に凄いです!」
(二代目の公爵から王家に献上された、金のレリーフの事はちゃんとグラディクト様から説明されたもの。王宮に行った事もないと馬鹿にされているでしょうから、正面玄関ホールに飾られているそれを話題に出したら、きっと私を見直してくれるわ!)
 自信満々に金鉱について語ったアリステアだったが、肝心のレリーフに話が移る前にメラニーが口にした内容を聞いて、大きく目を見開いた。


「我が領の金鉱は、十年ほど前から産出量が落ちて、昨年これ以上の産出が見込めない事から、閉鎖致しました」
「え?」
「その代わりに数年前から、積極的に他の鉱脈を探索させると同時に領内での加工技術を底上げしておりました。最近では宝飾品と銀製品の生産加工販売で、主な利益を出しております」
「あの……、ええと……、それじゃあ」
 そこで救いを求めるようにアリステアがグラディクトに視線を向けたが、通り一遍の知識しか持たない彼も、咄嗟に適当な言葉が浮かばないうちに、女生徒達が口々に言い出した。


「本当に、ギーゼング領のカーズ工房の作品は素晴らしいですわ! 私の母は、出入りの商人にわざわざ買い付けに行かせましたのよ?」
「あら、それならクリューガー工房もなかなかだと思いますわ」
「確か王都ではトレファン商会が、商品の取扱い量は一番でしたかしら?」
「ええ、確かそのようですわね。それに」
「レオノーラ、次の者の紹介に移れ!」
 そして例によって例の如く、グラディクトの不機嫌な声が彼女達の会話を遮り、一人ずつ紹介が進んでいった。


「それでは、私達の紹介は終わりましたし、今度は是非アリステア様のお話をお伺いしたいのですが」
 そう話を切り出したレオノーラに、アリステアは満面の笑みで頷いた。
「はい! 何でも聞いて下さい!」
(レオノーラ様ってとっても良い人! 自分に関する事だったら、何でも答えられるもの。これなら、話題についていけない事なんて無いわ。だって私が、話題そのものなんだものね!)
 これまで見当違いの知識を披露して引かれたり、次々目まぐるしく変わる話題に全くついて行けず、殆ど会話に入れなかった彼女は嬉しくなった。そんな彼女に、レオノーラが落ち着き払って尋ねる。


「それでは、ミンティア子爵領の特産品は何ですの?」
「……え?」
 まさかそんな事を聞かれるとは予想だにしていなかったアリステアは固まったが、レオノーラは穏やかに問いを重ねた。


「ミンティア子爵家など、これまで全く耳にした事がないお名前でしたので。因みに領地の館がある街は、何という名前ですの? それを聞いたら特産品なども、思い出すかもしれませんが」
「いえ、それは……」
 すると他の生徒達も、先を争う様に質問を繰り出す。


「そうですわね。特産品などは大抵中心となる街で収集して、売り出したり宣伝するものですし」
「因みにご領地は、海沿いですか? 山沿いですか? それとも街道沿いですか? 王都からの距離すら分からないもので、この機会に教えて下さいませ」
「良く産出される農作物や、作り出されている工芸品なども興味がありますわね」
「どれ位の規模の街があって、どれ位の領民がいらっしゃるの?」
「あ、あの……。それは……」
「どうかなさいました?」
 狼狽しているアリステアに、レオノーラが怪訝な表情で尋ねたが、そこでグラディクトが机を拳で乱暴に叩きながら怒鳴りつけた。


「お前達、いい加減にしろ! 先程からアリステアを無視して話を進めた上、彼女が答えられない質問をするなど、底意地が悪いぞ!」
 しかしその非難の声を、レオノーラは如何にも心外そうに受け流す。


「あら……。別にこちらが話から締め出した訳ではなく、彼女が参加して来られなかっただけですわ。それに仮にも貴族であるならば、自家の領地に関して精通しているのは当然です。私達は親切心から、彼女が一番話しやすい話題を振ったつもりですのよ? どうして責められなければならないのか、理解に苦しみます」
「お前達……」
 尚も言い募ろうとしたグラディクトだったが、そんな彼を無視してレオノーラが静かに立ち上がった。


「アイリーゼ様、また機会が有ったらお会いしましょう。そんな機会が有るかどうかは分かりませんが」
 明らかにわざと名前を間違えて挨拶してきたレオノーラに、アリステアは困惑しながら訂正しようとしたが、他の女生徒達もレオノーラに倣って次々に席を立った。


「え? あの、レオノーラ様。私の名前はアリステ」
「アナベル様、今日は大変楽しく過ごさせていただきましたわ」
「いえ、私はアリス」
「本当にアーリア様は天真爛漫な方でいらっしゃいますのね。羨ましい位」
「ですから、私の名前はアーリアなどでは」
「殿下の覚えも良いようで、アルゼーナ様は幸運の持ち主でいらっしゃいますのね」
「あのっ! ちゃんと名前を」
「貴様ら、彼女の名前は」
「それでは失礼致します、アーレイア様」
「……っ!」
 そんな調子で、その場全員が意図的に彼女を他の名前で呼びながら挨拶を済ませ、何事も無かったかのように引き上げて行った。それは彼女の名前を覚える価値も無いとの無言の意思表示であり、さすがにそれが分からないグラディクトではなく、憤怒の形相になる。


「あの女狐ども! アリステアの名前すら、きちんと言わずに立ち去るとは!」
 怒りに任せてグラディクトが悪態を吐いていると、アリステアが気落ちした風情で彼に謝ってくる。
「すみません、グラディクト様……。私、領地には殆ど連れて行って貰った事がなくて……。それにそんなに広くも賑やかな所でも無かった筈ですし、特産品なんか有るかどうかも分からなくて……」
 そう言って涙ぐんだ彼女を、グラディクトは何とか怒りを抑え込みながら慰めた。


「気にするな。アリステアの境遇なら、仕方のない事だ」
「グラディクト様……」
(どいつもこいつも、エセリアに媚びへつらって、アリステアに恥をかかせるとは……。やはり諸悪の根元のあいつだけは許せん!)
 そして今回のレオノーラの行為も、エセリアが裏で糸を引いていると思い込んだ彼は、彼女を追い落とす事に、これまで以上の執念を燃やす事となるのだった。





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