悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(2)被害妄想、ここに極まれり

 ある日の放課後。人気の無い廊下をアリステアは憤慨しながら、足音荒く歩いていた。


(何なのよ何なのよ、本当にもう! あの行き遅れオバサン、私が若くて可愛くて王太子殿下とも仲が良いからって、絶対嫉妬してるわよね!?)
 怒りを露わにし、鞄を荒々しく振りながら歩いている時点で、礼儀作法の面から叱責を受ける事が確実なのだが、彼女はそれを全く理解できていなかった。


(どうして私ばかり、あんなに叱られなくちゃならないのよ! 第一、挨拶の為に最初に踏み出す足が、右足だろうが左足だろうが、どっちだって良いじゃない!! それにどうして身分の上下で、握手の時に先に手を差し出すかどうかが決まるのよ! 親愛の情を表す為に、率先して手を出せば良いだけの話じゃないの!)
 叱責された事を逆恨みし、なおも自分の非を認めようとしない彼女は、一連の事について当然の如く邪推していた。


(絶対あのエセリア様が、セルマ教授に裏から手を回して、個別授業なんかにさせたのよ! だって皆が周りで、小声で言ってたもの。『個別授業なんて前代未聞ですわ』って! 前例の無い事をねじ曲げてやらせるなんて、なんて底意地の悪い人なの!?)
 前例に無い位、自分の礼儀作法がなっていないという発想が皆無のアリステアは、全ての責任をエセリアに押し付けて足を進め、統計学資料室に涙目で飛び込んだ。


「グラディクト様!」
 すると室内でローダスが演じる《アシュレイ》と、シレイアが演じる《モナ》と談笑していたグラディクトが、彼女の表情を見て顔色を変えて立ち上がる。


「アリステア、どうした!?」
「酷いんです、エセリア様が手を回して、私を虐めるんです!!」
「何だと!? それはどういう事なんだ? 詳しく聞かせてくれ」
 血相を変えて椅子から立ち上がったグラディクトに問われるまま、彼女が涙目で語り始めたが、ローダスとシレイアは心配そうな風情を装いながらも、すこぶる客観的にその内容を聞いていた。


(別にエセリア様は、何もしてないから。あんたの礼儀作法が、全くなってないだけだろ)
(他人に責任転嫁して被害者意識を募らせるにしても、もう少し程度ってものがあるんじゃないかしら)
 二人揃って内心で呆れ果てていると、涙まじりのアリステアの訴えが漸く終わる。


「それで……、最近そんな風に、セルマ教授と二人きりで、連日叱りつけられていて……」
「けしからん! 第一、個別授業など、何の嫌がらせだ! 私もそんな事は聞いた事が無いぞ。授業形式までねじ曲げるとは、エセリアの奴何を考えている!? 恥を知れ!!」
 アリステアの主張を聞き終えたグラディクトは、全て真に受けたらしく怒りの声を上げたが、二人はしらけきってしまった。


(アホらしい……。その言葉、そっくりそのままあんたに返すぞ)
(個別に特訓しないと駄目な位、礼儀作法が身に付いていないとは考えないのね……)
 二人が無言を保つ中、グラディクトがアリステアに力強く宣言した。


「分かった。アリステア、安心しろ。私がすぐにその教授に抗議して、他の皆と一緒に授業を受けられるようにしてやる」
「ありがとうございます、グラディクト様!」
(エセリア様の予想通りだな)
(正直馬鹿馬鹿しくて、まともに話したくも無いけど、仕方がないわね)
 嬉々として礼を述べるアリステアに心底うんざりしながら、ここでモナが控え目に口を挟んだ。


「恐れながら殿下、それは差し控えた方が宜しいのでは無いでしょうか?」
「何だと? モナ。お前、私に指図するつもりか?」
 するとすかさずグラディクトが睨んできたが、シレイアはそれに怯む事無く、冷静に話を続けた。


「いえ、指図など、恐れ多い事でございます。アリステア様にお伺いしますが、その個別授業を受けているのは、きちんとした教室なのですよね? 屋外やホールとかでは無く」
「ええ、東棟二階の六番教室よ。そこは空いているから、当面私の授業で使う事にしたって言ってたわ」
「それならばセルマ教授は、きちんとした手続きをして、その教室を使っているわけです。学園長の許可も下りている筈ですし」
「はっ! そんな物! 学園長がエセリアからの賄賂で抱き込まれているのは、絵画展の時にとっくに分かっているぞ!」
(本当にウザいわね、このバカボンが!)
 腹立たしく告げてきた彼に、シレイアは本気で苛つきながらも、何とか平静を装いながら話を続けた。


「ですが学園側がアリステア様に対して、個別授業を行う事を認めているのは事実です。それを殿下が糾弾したところで、『学園の運営に、一生徒たる殿下が口を出さないで頂きたい』と、学園長に一蹴されるだけです」
「それに一蹴されるだけならともかく、殿下の王太子としての資質に問題ありと、陛下に報告されるかもしれません」
「それは……」
 すかさずシレイアの話に乗る形で、ローダスが口にした可能性を聞いて、さすがにグラディクトも口ごもった。そんな三人のやり取りを聞いたアリステアが、決意溢れる表情で言い出す。


「グラディクト様、私の事は気にしないで下さい。どんな事で難癖をつけられるか、分かりませんから」
「すまない、アリステア……。私はなんて無力なんだ……」
「いえ、グラディクト様が私の事を気にかけて下さっているだけで、私は十分ですから」
 そして手を取り合って自分達の世界に入り込んだ二人を見て、ローダスは呆れて物も言えなかった。


(それなら他人の居ない所で、勝手に二人で盛り上がってろよ。他人に迷惑かけんな)
 しかしここで完全に空気になってしまっては話が進まないと、シレイアが気合いを振り絞って二人に向かって話しかけた。


「アリステア様、確かにセルマ教授は厳しい方かもしれませんが、自分の仕事には誇りを持っていらっしゃる方です。幾らエセリア様の指示であなたを個別授業する事になっても、間違った事を教える事はあり得ません」
「その通りです。それに寧ろこれは、アリステア様にとっては、絶好の機会なのでは? 周りの目を気にせずに、集中して礼儀作法を学べるのですから」
「え? でも……」 
 シレイアに続きローダスも言い聞かせると、アリステアが戸惑った表情になり、グラディクトも不満そうな顔になる。しかし二人は、重ねて冷静に言い聞かせた。


「何と言ってもグラディクト殿下は、王太子殿下であられるのですから。今後も殿下のお側に控える為には、セルマ教授から認めて貰える程度の、立ち居振る舞いができなくては後々困りますよ?」
「いや、確かにそれは、そうかもしれないが……」
「逆に言えば、セルマ教授に認めて貰えて初めて、王太子殿下と並び立つ資格があるとも言えますわね。あのエセリア様でさえ、時折セルマ教授には叱責されておりますし」
 シレイアがそうエセリアを引き合いに出すと、途端にアリステアはやる気満々の笑顔になって、力強く宣言した。


「分かりました! 私、頑張ります! 一生懸命努力して、セルマ教授からグラディクト様の婚約者に相応しいと、認めて貰いますから!」
「アリステア。その気持ちは嬉しいが、無理はするなよ? どうしても我慢できない時は、ちゃんと私に言ってくれ」
「はい。その時は私の話を聞いて下さいね?」
「ああ、勿論だ」
 そして再び手を取り合って見つめ合う二人を見ながら、ローダスは本気で首を傾げた。


(あれ? 俺達、この女がセルマ教授が満足する位に礼儀作法をマスターしたら、この女を王太子の婚約者とか妃として認めるとか、そんな話をしたか? してないよな?)
(個別授業をされている段階で、セルマ教授が求めるレベルの遥か下だって、本当に分かって無いのね。だけど勝手に勘違いして、頑張って頂戴。取り敢えずこれで、殿下がセルマ教授の所に怒鳴り込むのを、阻止できたわね)
 そしてシレイアは、悉く自分達に都合良く曲解している二人に呆れながら、無駄な騒ぎを回避できそうだと、密かに胸を撫で下ろしたのだった。





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