悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(24)エセリアの躊躇

 学年末休暇に入り、エセリアが寮から公爵邸に戻って人心地ついたところで、私室のドアをノックしてからルーナが現れ、お伺いを立ててきた。


「エセリア様、ただいまナジェーク様が王宮からお戻りになりまして、『暇なら談話室で一緒にお茶でもどうか?』と仰っておられるそうですが」
「あら、今日は帰るのが随分早かったのね。勿論行くわ」
 机に向かっていたエセリアは、少々驚いた顔ながらもすぐに応じ、ルーナを引き連れて談話室へと向かった。


「お帰りなさい、お兄様」
「やあ、エセリア。寮から戻って来たばかりだろう? お疲れ様。学園で色々頑張っているらしいのは、時々小耳に挟んでいるよ」
「まあ、お耳汚しでなければ良いのですが」
 既にナジェークは、侍女の一人にお茶を淹れて貰って寛いでおり、エセリアはその正面のソファーに座りながら、お茶を頼んだ。するとナジェークが、早速話題を出してくる。


「ところで……、コーラル伯爵令嬢がクレスコー伯爵嫡男と婚約して、ローガルド公爵嫡男とカールゼン侯爵令嬢の婚約が決まったのは、知っているかな?」
 それを聞いたエセリアは、目の前に出されたカップに手をつけないまま、名前の出た貴族達の血縁関係を、真剣な顔で考え込んだ。


「コーラル伯爵令嬢は、確かアーロン殿下の母方の従姉妹に当たられる方で……、クレスコー伯爵嫡男というと、グラディクト殿下の側付きをしていたライアン殿の兄君ですよね?」
「そうらしいね」
 含み笑いでナジェークが頷き、カップを口に運んだのを見てから、エセリアは慎重に話を続けた。


「それから……、ローガルド公爵嫡男は、言わずと知れたマリーリカの弟で、私達の従弟。そしてカールゼン侯爵令嬢は、同じく殿下の側付きをしていたエドガー様の妹君ですよね?」
「ああ、正にその通りだな」
「それは……、色々と憶測を呼んだのでは?」
 どちらの婚約も、両家がグラディクト派からアーロン派に乗り換えたと思われても仕方が無い代物である為、軽く眉根を寄せながらエセリアが尋ねると、ナジェークは苦笑の表情になった。


「確かに両王子派の力関係が、微妙に変化したね。我が妹君は、学園内で一体何をやってくれたのかな?」
 その笑顔での追及を、エセリアは堂々としらばっくれた。
「どうしてそんな質問を受けなければならないのですか? 私は何も変な事はしておりませんし、偶々殿下が癇癪を起こして、お二方を自ら遠ざけただけでしょう」
 しかしナジェークは、ここで若干話題を変えた。


「実はこの間、夜会や王宮で顔を合わせた時、父上や私がクレスコー伯爵とカールゼン侯爵に、異口同音に言われた事があってね」
「あら、どんな事でしょう? 我が家はお二方の家とは、特に接点はございませんよね?」
 不思議に思って首を傾げたエセリアだったが、ナジェークはそんな妹に笑いを堪える表情で告げた。


「『エセリア嬢に感謝しております。何卒宜しくお伝え下さい』だそうだ。何かしていなければ、こういう台詞は聞けないと思うのだが?」
「さぁ……、どうでしょう?」
 そしてどちらも「あはは」「うふふ」と不気味な笑いを漏らしたが、二人付きの侍女達は、揃って見聞きしなかったふりをした。


「さる筋から聞いた話では、最近後宮ではディオーネ様の金切り声と、レナーテ様の高笑いの声が響き渡っていたらしいよ」
「どんな筋ですか……。まさかお兄様、後宮の侍女に手を出したりはしておられませんよね?」
「酷いな。可愛い妹の大願成就の為に、日々情報収集に勤しんでいるのに」
 笑ってまた一口お茶を飲んでから、ナジェークは急に真顔になって確認を入れてきた。


「それで? 我が愛しの妹君としては、当初の方針に変更は無いのかな? 時期が時期だし、一応最終確認をしておこうと思ってね」
「逆にお兄様にお伺いしますが、予定を変更しなければいけない理由がありますか?」
 エセリアが落ち着き払って問い返すと、ナジェークが即答する。


「無いな。あれだけ家柄と人脈と能力で厳選された人間を一方的に遠ざけるなど、それだけで見切りを付けるには十分だ」
「それでは、そういう事でお願いします」
「分かった」
 するとここで、エセリアがナジェークに尋ねた。


「ところでお兄様は、最近イズファイン様と連絡を取っていらっしゃいますか?」
「それなりに連絡してはいるが……。最近はお互いに仕事が忙しくて、あまり顔を合わせてはいないかな」
「なるべく密に、連絡を取り合っておいて下さいね?」
「……分かった。そうしよう」
 明らかに何やら企んでいるらしい彼女の顔を見て、ナジェークは苦笑し、離れた壁際からその様子を眺めていたルーナは、重い溜め息を吐いた。


 その後ナジェークと幾つかの話をしてから、エセリアは彼と別れて自室に戻り、再び机に向かって記憶にある《クリスタル・ラビリンス》の、今後有ると予想されるイベントを思い付くまま列記し始めた。
「はぁ……、お兄様に言われるまでもなく、卒業まであと一年しか無いのよね……」
 そう愚痴っぽく呟いてから、彼女は一度、手の動きを止めた。


「これまでに殿下と側付きの間にヒビが入って、残っている側付きも私の息がかかっているものと殿下は思い込んでいるから、あの三人にアリステアに関する事を相談しないと思うし……。そうなると彼女に関する相談や命令する相手は、どう考えてもローダス達しかいなくなるから、こちらの思い通りに誘導し易いと思いたいけど……」
 難しい顔になって自問自答しているエセリアを、背後に控えているルーナは微妙に顔を引き攣らせながらも、無言で観察していた。


「本来のストーリーでは、そろそろヒロインが悪役令嬢やその取り巻き達から、物が隠されたり壊されたり、噂をたてられたり怪我をさせられたりするわけだけど……。皆にそんな事をさせる訳にはいかないし、殿下に証拠を握られる訳にもいかないものね。さて、どうしたものかしら?」
 そこでペンを置き、腕組みして考え込んだエセリアだったが、あまり長くはかからなかった。


「う~ん、やっぱり誘導するしか無いか。ここは、皆の演技力に期待しましょう」
 あっさり割り切ったエセリアは、再び思い付いた事を書き記しながら、神妙な口調で独り言を漏らす。
「でも……、確かに元々問題ありまくりの人間だけど、意図的に嵌めるのはやっぱり良心が咎めるのよね……。かと言ってそれを止めたら、あのどうしようもない殿下と円満に婚約解消なんかできないし。このまま予定通りにあいつと結婚なんて、真っ平御免だし。ここは割り切るしかないか」
 そう自分自身に言い聞かせたエセリアは、ふと喉の渇きを覚えて背後を振り返った。


「ルーナ、悪いけどお茶を……、って、どうしたの? 変な顔をして」
 無言で控えていたルーナが、微妙に焦点が合っていない虚ろな表情をしていた為、心配になったエセリアが尋ねたが、彼女は淡々とした口調で頭を下げた。


「いえ……、エセリア様は、相変わらず物騒なお嬢様だなと思いまして」
「あの、ルーナ? これはね」
「お茶でございますね? 支度して参りますので、少々お待ち下さい」
「いえ、だから……、物騒な性格じゃなくて、計画遂行の為に仕方なく……」
 そして有無を言わせずルーナは部屋から出て行き、エセリアはそんな彼女を憮然とした表情で見送った。







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