悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(23)グラディクトの決意

「母上、戻りました」
 学年末休暇に突入し、王宮に戻ったグラディクトは、その足でディオーネの部屋を訪れた。すると彼女が幾分硬い表情で、息子を出迎える。


「お帰りなさい、グラディクト。学年末休暇が終わるまで、ゆっくりしていきなさい」
「はい、そのつもりです」
 いつもの満面の笑みとは違う事に、グラディクトは多少違和感を覚えたが、何か気に入らない事でもあって機嫌が悪いのだろうと、大して気にも留めなかった。それからソファーに向かい合って座り、侍女に淹れさせたお茶を一口飲んでから、ディオーネがさり気ない口調で言い出した。


「それはそうと、グラディクト。あなたは特に知らせてこなかったけれど、ライアン殿とエドガー殿を勝手に側付きから外したそうね」
 それを聞いたグラディクトは、憮然とした表情で応じた。


「ええ。二人とも賢しげに、見当違いな事を意見するような愚か者でしたので。それがどうかしましたか? クレスコー伯爵とカールゼン侯爵が、母上に頭を下げてきたんですか? それならばお二方の立場を考えて、奴らをまた側付きに戻してやっても良いですが」
 横柄にグラディクトは言い放ったが、ディオーネは益々面白く無さそうな顔つきになりながら説明した。


「その逆よ。どちらも『愚息が殿下のご不興を買い、殿下にこれ以上不快な思いをさせるのは本意ではございません。謹んで側付きは辞退させて頂きます』と、直接私に申し出てきたわ」
「何ですって?」
 思わず瞬きしてディオーネを凝視したグラディクトだったが、彼女は次第に声を荒げながら最後に絶叫した。


「勿論、実家の兄と一緒に、あの手この手で引き止めたのだけど、『我が家の愚息では殿下には合いませんから』の一点張りで、聞く耳を持たなくて。あの方達は、社交界での有力者なのよ? あなたが王太子として活動し易いように、私と兄で人脈作りの為に奔走してご子息達を側付きにしたのに、それをあっさり遠ざけるなんて何を考えているの!」
 面と向かって叱責されて、先程から母親がこれで機嫌が悪かったのだと漸く理解したグラディクトは、素っ気なく言い返した。


「良いではありませんか。確かにあの二人は、私には合いませんし」
「それだけでは無いのよ! 最近クレスコー伯爵の嫡男が、レナーテの実家のコーラル伯爵家令嬢との婚約が決まって、マリーリカ嬢のローガルド公爵家の嫡男とカールゼン侯爵家の令嬢の婚約が決まったのよ。これではお二方が、こちらからレナーテ側に乗り換えたのが一目瞭然じゃない! レナーテの高笑いが目に浮かぶわ!」
「何ですって!? それは本当ですか?」
 さすがに聞き捨てならない内容を耳にして、慌てて問い返したグラディクトだったが、ディオーネは怒りの表情で怒鳴り返した。


「こんな事で嘘をついても、仕方が無いでしょう! 良い事!? これ以上側付きにしている有力者のご子息達を、自ら遠ざけるような馬鹿な真似はしないで頂戴!?」
「しかし母上! 現に他の者も、腹立たしい言動を」
「多少生意気な事や違う意見を言われても、鷹揚に受け流す事位できなくてどうするの! それが王者の器量と言うものでしょう!?」
「…………っ!」
 訴えをまともに取り合って貰えず、グラディクトは悔しそうに歯ぎしりしたが、そんな息子を見たディオーネは溜め息を吐き、何とか怒りを抑え込みながらいつもの口調で言い聞かせた。


「全く、頭が痛い事……。とにかく、この話はこれで終わりよ。それからエセリア様を今後も大事にして、間違ってもあの方の機嫌を損ねないようにね。あなたが王座に就く為には、あの方の存在が欠かせないのだから」
 不愉快な話が終わったかと思いきや、更に不愉快な事を持ち出されたグラディクトは、益々険しい表情になって言い返した。


「母上もあの女の上辺に、すっかり騙されているのですね」
 それを聞いた途端、ディオーネは顔色を変えた。
「え? ……まさかグラディクト。あなた今、エセリア様を『あの女』呼ばわりしたわけでは無いわよね?」
「あのような、狡猾で品性下劣な女、『あの女』呼ばわりで十分です」
 そう断言したグラディクトを、ディオーネは先程以上の剣幕で叱りつけた。


「グラディクト!! あなた何を言い出すの!? そんな失礼な言葉がエセリア様や、周囲の方のお耳に入ったら、どうなると思っているの!」
「構いません。本当の事ですから」
「冗談では無いわ! エセリア様程教養と品格に溢れて、知識が豊富な貴婦人は、王妃様を除けば存在しないわよ!? どうしてそんな事を言うの!」
「あいつは学園内で、陰険で横暴な振る舞いをして、他人を虐げているのです」
 大真面目にそう主張したグラディクトだったが、それを聞いたディオーネは怒りを綺麗に消し去り、怪訝な表情になった。


「はぁ? エセリア様が『陰険で横暴な振る舞い』ですって?」
「はい、そうです」
 しかしその訴えを、ディオーネはしらけ切った表情で一刀両断した。
「グラディクト……。あなたに、冗談のセンスが無いのは分かったわ。それにしてもタチが悪過ぎるし、少しも笑えないから止めて頂戴」
 如何にもつまらなさそうに素っ気なく言われて、今度はグラディクトが声を荒げた。


「冗談などではありません! 母上、私の話を真面目に聞いて下さい!」
「それでは聞かせて欲しいのだけれど、常に私に対する配慮を欠かさない、レナーテ派の貴族達ですら悪し様に言う事の無い、貴婦人の中の貴婦人であるエセリア様が、学園内で一体何をしていると言うのです? そこまで言い切るからには、実際にあなたが目にしたか、れっきとした証拠があるのでしょうね?」
 すこぶる冷静に詳細を説明するように求められたグラディクトは、明確な証拠など何一つ無かった為に口ごもった。


「それは……、良く私に対して生意気な口を……」
 ぼそぼそと弁解する息子を見て、ディオーネはやはりそうかと、完全に呆れ顔で言葉を継いだ。
「それはあなたの為を思って、意見して下さっているだけでしょう。それを『陰険で横暴』などと……。少しは素直に、忠告を受け入れなさい。前々から思っていたけど、あなたには謙虚さが足りないわ」
「しかし、そもそもあの女は国母などには相応しくありません!」
 ムキになって言い募ったグラディクトを見て、何やら察したディオーネが、鋭い目で彼を睨み付けた。


「グラディクト? あなたまさか、エセリア様との婚約を解消したいとか、馬鹿な事を言い出すわけでは無いわよね?」
「そうしたいと思っています」
 やっと分かって貰えたかと、グラディクトが憮然としながら答えたが、次のディオーネの絶叫はこれまでの比では無かった。


「ふざけないで!! エセリア様があなたの婚約者であるからこそ、あなたを立太子する事を王妃様に後押しして貰えたのよ!? それなのに婚約を解消したなら、すぐに廃されるに決まっているわ! あなたは国王になりたくないの!?」
「…………」
 錯乱気味の母親を見て、グラディクトは表情を消して無言になった。それを見たディオーネは、疲れたようにぐったりとソファーの背もたれに身体を預けながら呻く。


「全く……、お願いだから、あまり馬鹿な事を口走らないで頂戴。エセリア様の方に明らかに非があったり、不行状が明らかになった場合なら、穏便に婚約破棄をした上で、これまで通り王妃様にも後見して頂けるでしょうけど……」
 そんな独り言めいたディオーネの呟きを聞いたグラディクトは、内心で決意を新たにした。


(確かに、母上の言う通りだ……。逆に言えば、あの女が言い逃れできない証拠を掴み、やっている事を白日の下に晒してやれば、こちらから婚約破棄しても、王妃様の後見は継続して頂けるわけだな)
 すると黙り込んで何やら考え込んでいる息子に不穏な物を感じたのか、ディオーネが再び険しい視線を向けた。


「グラディクト……。あなたまさか、エセリア様以外の女性に誑かされて、エセリア様を排除しようなど、馬鹿な事を考えているわけでは無いわよね? もしそうだったら、その女共々許さないわよ?」
 その鋭い洞察力に内心でたじろぎつつ、グラディクトは何とか普通を装いながら言い返した。


「別に、誑かされたりなどはしていません」
「それなら良いのだけど……。とにかく、エセリア様とは良好な関係を保ちなさい。これは命令よ!」
「分かりました。それでは私は一度部屋に戻りますので、お話はまた後ほど致しましょう」
 そして刺々しい空気のまま、グラディクトは半ば強引に席を立ち、自分に与えられている部屋へと向かった。しかし戻った早々に計画が崩れてしまった為、歩きながら自然と渋面になる。


(この休暇のうちに、アリステアの事を母上に話して理解を得るつもりだったが、この様子では到底無理だな)
 しかし今のディオーネにごり押ししても、事態が却って悪化しかねないと、小さく歯ぎしりする。


(母上がすっかりあの女の見せかけに騙されて、あんなに盲信しているなんて……。正直に話したりしたらあの女がするまでもなく、即刻母上が手を回して、アリステアをクレランス学園から追放しかねないぞ)
 そう判断したグラディクトは、当面はアリステアの存在をディオーネに隠しつつ、エセリアの悪事の証拠を掴む事を真剣に考え始めた。





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