悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(21)お約束

「アリステア・ヴァン・ミンティア、ちょっと待て!」
 全ての授業が終わり、グラディクトとの待ち合わせ場所に向かっていたアリステアは、廊下で鋭く呼び止められて振り向いた。


「はい。どちら様で……。あれ? 皆さんは確か、グラディクト様の側付きの方ですよね? どうかしましたか?」
 見覚えのある三人の顔を認めて、彼女は怪訝な顔になったが、グラウルはそれには構わずに横柄に言い放った。


「話がある。付いて来い」
「無理です。これから殿下とお約束があるんですから。それじゃあ」
 あっさり拒否し、再び歩き出そうとした彼女を見て小さく舌打ちしてから、グラウルはその場しのぎの嘘を口にした。


「その殿下が、予定を変更してお待ちなんだ」
「何だ、それならそうと、最初からはっきり言って下さいよ! さあ、行きましょう!」
 途端に振り向いて自分達に愛想を振り撒いたアリステアを、三人は腹立たしく思ったが、人目もある為、おとなしく引き連れて歩き出した。


「本当に腹立たしい女だ」
「エセリア様とは、また違った意味でな」
「だが、本当に頭が良くないな」
 後ろから付いてきている彼女には聞こえない小声で囁きながら歩いていると、すぐに校舎から出て人目に付きにくい陰に入り込んだ。ここに至ってさすがに不審に思ったのか、アリステアが周囲を見回しながら彼らに尋ねる。


「ねえ、グラディクト様はどこにいるの? どうしてこんな所で待ち合わせなの?」
 それにグラウルが、一々説明するのも面倒くさそうに答える。
「殿下がこんな所に、居るわけ無いだろう」
「え? どうして? 居るって言ったじゃない!」
「そうでも言わないと、お前がおとなしく付いて来ないからだろうが」
 ここでトールが当然の如く言い返したが、その途端アリステアは、猛然と抗議した。


「嘘をついたんですか!? 仮にも王太子殿下の側付きをしている方がそんな事をして、恥ずかしく無いんですか? 第一あなた達がそんな事をしたら、グラディクト様のお名前にも傷が付くじゃありませんか!?」
 しかしその指摘で、グラウル達は完全に切れた。


「五月蝿い! 貴様自身が、殿下の最大の汚点の癖に! そんな人間に、賢しげに意見されるいわれは無い!」
「『殿下の汚点』? どうしてそんな酷い事を、言われないといけないんですか!? あんまりです!!」
「あんまりなのは、貴様の無神経さと頭の悪さだろうが!」
「殿下のご厚情を笠に着て、恥ずかしげも無く殿下にすり寄って」
「お前など下級貴族の生徒は、本来なら近付けもしないお方ななのだぞ?」
「まともな判断力を持っているなら、そんな分不相応な事を恥じて、自ら殿下から遠ざかるべきだろうが」
「これだけはっきり言えば、さすがに分かっただろう! 以後、殿下には近付くな。目障りだ!」
 そんな事を一方的に言い放った彼らだったが、その途中でアリステアは、非難の言葉を適当に聞き流しつつ、真顔で考え込んでしまった。


(あれ? そう言えば、何だかこんなシチュエーションを、どこかで見た記憶無かったっけ? ……違うわ。見たんじゃなくて、読んだのよ。これは正に《クリスタル・ラビリンス》で、主人公が悪役令嬢の取り巻きにおびき出されて、校舎裏で脅されるシーンにそっくりじゃないの!)
 何となく感じた既視感に対してそう結論付けた彼女は、すっかり安堵して無意識に微笑んだ。


「あぁ、なぁんだ。そうだったんだ……」
「は? 何を言ってるんだ、お前は?」
「おい、何を黙り込んでいる?」
「私達の言った事を、ちゃんと理解したんだろうな!?」
 自分達が言い聞かせても、恐れ入ったり怯えるどころか、何やら急に満足げな表情になった彼女を見て、彼らは声を荒げた。しかし自分の考えに浸りきっていたアリステアの耳には、彼らの苛立ちの声などまともに届いていなかった。


(それにこれまでに言われた内容も、殆ど本の通りだし。ただ、呼び出した相手がご令嬢達じゃなくて、殿下の側付きってところが違うけど。もう! うっかり気が付かずに、ただ怖がって終わるところだったじゃないの! でもここで気が付いて良かったわ。そういう流れなら本の通りのハッピーエンドを迎える為に、私がこれからしなくちゃいけない事は、たった一つよね!?)
 そう決心したアリステアは、《クリスタル・ラビリンス》の該当個所を思い返しながら堂々と彼らに言い返した。


「あなた達のお話は、良く分かりました。要するにあなた達は、私に嫉妬しているんですよね? 最近殿下に、まともに相手にして貰えなくて」
「何だと!?」
「貴様、言うに事欠いて!」
 忽ち気色ばんだ彼らだったが、アリステアは全く臆する事無く、正論を口にした。


「それで? 私を排除すれば自分達を見て貰えると、本気で思っているんですか? そんな事、あるわけ無いじゃありませんか。まず自分の至らなさを反省して、真に殿下に必要とされる人材になれば、自ずと殿下が目を向けて下さるとは思わないのですか?」
「反省だと!?」
「ふざけるな!」
「偉そうに、何様のつもりだ!」
「一々群れないと自分の意見も口にできない方々に、意見される筋合いはありません! 顔を洗って出直して下さい! 私は、殿下の最大の理解者である事を自負しています! 何があっても、殿下の側を離れません!」
 そう啖呵を切ってから、アリステアは今の自分の姿が他者からどう見えているかを想像して、一人悦に入っていた。


(ふっ、完璧に決まったわ! 今の私はどこからどう見ても、卑劣な脅しなどには屈しない、健気で凛々しいヒロインそのものよ!)
 しかし当然グラウル達は、彼女の言動に対して微塵も感銘を受けなかった。


「この女!」
「少し痛い目を見せないと分からんようだな!」
「どこまで頭が悪いのやら」
「いたっ! 何をするんですか!?」
 激昂したラジェスタに左腕を掴まれ、それを勢いよく校舎の壁に押し付けられたアリステアは、その痛みに思わず顔を顰めたが、心の中ではそれほど怖がってはいなかった。


(大丈夫、大丈夫よ。だってあの話では、主人公が追い詰められてピンチに陥ったら、必ず王子様が助けに来てくれるんだから!!)
 するとそこで、複数の足音と何かを言い合う声が、彼らがいる場所に近付いて来た。


「あ、殿下! あそこです!」
「お前達! そこで何をしている!」
 女生徒の物らしい声に続いて聞き慣れた声がその場に響いた為、慌てて振り返ったグラウル達は、忌々し気に舌打ちした。


「グラディクト様!」
「ちっ! 何でこんな所に」
「教授に呼び出されているんじゃ無かったのかよ……」
(やっぱり来てくれた! グラディクト様は本当に、私の王子様なんだわ!)
 血相を変えて駆け寄って来るグラディクトの姿を認めたアリステアは歓喜の叫びを上げ、三人が面白く無さそうに目配せしてから、ラジェスタが彼女の手を離した。そしてすぐにアリステアを背中に庇う様にグラデイクトが彼らの間に割り込み、鋭い口調で詰問する。


「お前達、聞こえないのか? ここで何をしているのかと聞いているんだ!」
 それに対してもグラウルは恐れ入る事無く、冷静に言い返した。
「分を弁えない女に、物の道理を言い聞かせているところです。殿下は下がっていて下さい」
「女一人を、お前達三人で囲んでか? 今の今まで知らなかったな。私の側付きが卑怯者の集まりだったとは」
 その皮肉にも、グラウル達は皮肉で返した。


「『卑怯者』と仰いますか……。それはそれは……」
「殿下が、私達の真っ当な意見を取り入れて頂ける程度に聡明な方なら、何もこんな卑怯な真似などせずとも良いのですがね」
「貴様ら……、私を愚弄する気か?」
「いつまでもそんな女にかまけているなら、愚弄されても仕方がないのでは?」
「何だと!?」
 思わずカッとなったグラディクトが、グラウルに掴みかかったところで、新たな声が割り込んだ。


「君達、こんな所で何をしている! 乱闘騒ぎなど、この学園内で許さんぞ!」
「ちっ!」
「その手を離して頂けませんか? 王太子殿下」
 見れば教授の一人が、偶々近くを通りかかったらしく、どう見ても校舎の陰で揉めているとしか思えない彼らを少し離れた所から叱責した。それを無視などできず、決定的な対立は避けられたものの、グラウル達は面白く無さそうにその場を離れて行く。
 そんな彼らをグラディクトは最後まで睨み付けていたが、注意した教授も彼らが事を荒立てずに別れた事で安堵したらしく、それ以上口を挟まずにその場を後にした。そしてその場に二人きりで取り残されてから、グラディクトは漸く緊張を解いてアリステアに向き直った。 



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