悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(17)彼女達の気苦労

 ディオーネ達や騎士団幹部達が観覧席に落ち着き、試合場を取り囲む生徒達が徐々に静かになったところで、司会役の人間が声を上げ、実行委員会名誉会長のグラディクトを紹介した。途端にディオーネの周囲から一際高い拍手が沸き起こる中、グラディクトが朝礼台の上に上がり、声を張り上げて挨拶と開会宣言を行う。それをディオーネと彼女付きの侍女達は感動の面持ちで眺めていたが、対するレナーテとその侍女達は、冷え切った目で彼女達を眺めていた。
 そうこうするうちに無事に試合開始となり、エセリアが今年初めて観覧するレナーテに、敗者に配られる記章や、人気投票や中間日に設けられたその開票作業についての説明を行う。それにレナーテやその侍女達が興味津々で聞き入り、または感心していると、手の空いたグラディクトが意気揚々と観覧席にやって来た。


「母上、わざわざ学園まで出向いて頂いて、ありがとうございます。私の開会宣言を聞いて頂けましたか?」
 それにディオーネが、満々の笑みで答える。
「ええ、グラディクト。昨年に引き続き、とても素晴らしい挨拶だったわ。さすがに人の上に立つ器量をお持ちだと、立っているだけで風格が違うものね」
「それは些か、大袈裟というものですよ、母上」
「…………」
 そんな会話をしながら楽し気に笑い合っている親子を、レナーテが無言のまま白い目で見やる。


(おい、こら! このボケナス王子! さっきから、何レナーテ様ガン無視で喋ってやがんだ! 挨拶位しやがれ!)
 彼女達が到着してまだ一時間も経過していないにも関わらず、既に神経がささくれ立っていたエセリアは、心の中でグラディクトを罵倒してから、さり気なく声をかけた。


「グラディクト殿下の開会宣言は、本当に格調高いご挨拶でしたわね。レナーテ様も、しみじみと感じ入っておられましたのよ?」
(本当のところは、意味の無いスッカスカな内容に白けきって、扇の陰で欠伸をしていたのがバッチリ見えていたけどね! これでも無視するようなら、後はどうなったって知るもんですか!!)
 早くも匙を投げかけたエセリアだったが、ここで不愉快そうに振り向いたグラディクトは、さすがに側妃を無視しては拙いとの判断力は残っていたらしく、恭しくレナーテに向かって挨拶してきた。


「これはこれはレナーテ様、ご挨拶が遅れて申し訳ございません。クレランス学園に、ようこそお出で下さいました。学園を代表して、お礼申し上げます」
 それにレナーテは、先程までの冷え切った視線など微塵も感じさせない笑顔で、皮肉を交えて応じた。


「ご丁寧なご挨拶、ありがとうございます。ですがクレランス学園では、代表する方は数多くいらっしゃいますのね。学園長にもエセリア様にも、丁重なご挨拶を頂きましたし」
「…………」
 そこでグラディクトは「自分が代表面するな」とでも言わんばかりの顔をエセリアに向けたが、それに彼女は冷笑で返した。


(はっ! 何よ、何か文句あるの!? あるんならあんたがここに張り付いて、笑顔とお世辞振り撒いて自分の母親を宥めて、上手くこの場を丸く治めなさいよ! ゴマスリの一つもできないくせに、大きな顔すんな!)
 すっかりやさぐれモードのエセリアだったが、ここでレナーテが含み笑いで言い出した。


「ところでグラディクト殿下は、これからはずっとお暇でいらっしゃいますの? この剣術大会では色々な係の方が動いていらっしゃると伺っていましたが、ご挨拶だけだと楽で良いですわね?」
「……何ですって?」
「アーロンは『当日は試合の順番や時間帯が流動的ですし、色々他の仕事を手伝うので、頻繁に顔を出しに行けません。試合が全て終わったら、ご挨拶に伺います』と、予め手紙で連絡してきましたので。本当は久しぶりにゆっくりと顔が見たかったのですが、残念な事ですわ」
 ディオーネが僅かに顔付きを険しくする中、レナーテが些かわざとらしくしんみりした様子で口にした為、微妙にその場の空気が悪くなった。


(グラディクト殿下は、本当にずっとお暇でいらっしゃるんですけどね!)
 そうは思ったものの、正直に口にすればディオーネが怒り出し、レネーテが嘲笑するのが確実な為、エセリアは咄嗟にこの場からクラディクトを遠ざける、それらしい理由をでっち上げた。


「ええと、あの……。殿下は何分名誉会長であらせられますから、実はこれから、あちこちの係の進捗状況の確認の為に、見回りに行かれる事になっておりまして。最終日の閉会宣言が終わるまで、こちらに出向く予定はおありにならない筈ですので……」
「は? 何を勝手にそんな事」
 当惑したグラディクトだったが、ディオーネはそれを聞くなり、大声で息子の声を遮りながら言い聞かせた。


「まあ! それは大事な仕事ではないの。私に構わず、早くお行きなさい。役目を疎かにしては駄目ですよ?」
「いや、しかし母上。そんな事より少々お話が」
「あら、殿下は思ったよりお忙しくは無いみたいですわね。誰にでもできる、お役目なのでしょうか」
 なおも言いかけたグラディクトの台詞を、今度はおかしそうにレナーテが遮った為、ディオーネは完全にムキになって言い返した。


「そんな事はありませんわ! グラディクト、何をしているの。さっさと行きなさい!」
「あ、ご覧下さい! 次はアーロン殿下の試合ですわ!」
 ここでレナーテの気を逸らそうと、マリーリカが声を張り上げて呼びかけると、試合会場に目を向けた彼女は忽ち満面の笑みになって、ディオーネ達に声をかけた。


「まあ、本当だわ! アーロン、頑張って!! グラディクト殿下、お暇ならこちらでご一緒に、アーロンに声援を送ってやって下さいませ」
「いいえ、息子はあいにく多忙ですの! グラディクト!」
「……分かりました。失礼します」
 息子にアーロンの応援なんかさせてたまるかと、ディオーネが鬼の形相で追いやった為、グラディクトは諦めて引き下がり、観覧席から離れて行った。


(清々したわ。余計に事態をややこしくするんじゃないわよ! でもこれで最終日の最後までは、顔を出さない筈よね)
 これで一安心と思いきや、すぐに上機嫌なレナーテの声が、観覧席に響き渡る。


「エセリア様! アーロンの勇姿をご覧になって? 王族として、はずかしくない戦いぶりでございましょう?」
 そう問われたエセリアは、愛想笑いを顔に貼り付けて応じた。


「……誠に、素晴らしいですわね」
「レナーテ様、アーロン様の勝利ですわ!」
「まあまあ、もう少してこずるかと思いましたけど、意外に呆気ないものでしたわね」
「…………」
 そして無事、息子が初戦を勝利で飾った事を見届けたレナーテは「おほほほほ」と誇らしげに笑い、そんな彼女にディオーネからは、刺すような視線が向けられていた。そんな緊迫感溢れる空間に嫌気がさしたエセリアは、思わず観覧席の後方に陣取っている、学園長や近衛騎士団のお歴々に向かって無言で訴える。


(くっ……、学園長も騎士団の皆様も、そんな憐憫の眼差しを送って下さるなら、女の戦いに怖気づいていないで、少しは私達のフォローをして頂けませんか!?)
 しかしそれを目の当たりにしても、ある者は申し訳なさそうに深々と頭を下げ、ある者はわざとらしく視線を逸らすばかりで、自分とマリーリカが孤立無援の状態である事を、改めて認識する結果となった。
 そんな彼女達の奮闘など知りもしないグラディクトは、そのまま試合会場を出て、アリステアと待ち合わせていた近くの校舎に向かった。


「アリステア、待たせてすまない」
 殆どの生徒が試合会場はその近辺に居る為、すっかり人気のない校舎の教室で待っていたアリステアは、浮かない顔付きのグラディクトを見て、何となくその理由を察した。


「それは構いませんけど……、グラディクト様のお母様に、紹介して頂けないんですか?」
「今は開始直後でバタバタして落ち着いて話せる雰囲気でも無いし、いつも張り合っているレナーテ殿が居るから、母上の機嫌が良く無いんだ。やはりアシュレイが言っていたように、最終日に君を紹介した方が良いだろう。先にレナーテ殿を帰して、母上に残って貰って話を聞いて貰うつもりだ」
 そう説明されたアリステアはがっかりしたものの、すぐに思い直して納得したように頷いた。


「そうですか……、でも確かに、その方が良いかもしれませんね」
「ああ、やはりアシュレイの助言は正しかったな。あいつには今度改めて、礼を言わないと」
「本当ですね」
 そうして微笑み合ってから、グラディクトは真顔になって彼女に言い聞かせる。


「アリステアは確かに下級貴族の家柄だが、人柄はこの学園の誰よりも温厚で誠実だ。きちんと話せば母上も君の事を理解してくれる筈だから、安心してくれ。今後校内で一緒に行動しても、どうこう言われないように手を打つから」
「はい、分かりました。でも殿下、あまり無理しないで下さいね?」
「ああ、大丈夫だ」
 そう力強く頷くグラディクトを見て、アリステアは嬉しさで叫び出したいのを必死に堪えた。


(やった! 最終日に、殿下のお母様に直接紹介してくれるって、約束して貰えたわ! こんな展開は本には無かったけど、婚約者を押しのけて殿下と結婚する為には、どうしてもディオーネ様を味方につける必要があるもの。避けて通れない道よね。絶対に好印象を持たれる様にしないと!)
 そんな決意も新たに、アリステアは期待に胸を膨らませながら剣術大会の日々を過ごす事となった。





コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品