悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(6)考えなしの後始末

「おい、全員戻れ!! まだ音楽祭は終わっていないぞ!! 外に出た者も、全員呼び戻せ!!」
 それを耳にした生徒達は、怪訝な顔で足を止め、彼の側付きの者達は出て行った生徒を呼び戻す為、血相を変えて講堂の外へと駆け出して行った。


「え? あれで終わりでは無いのか?」
「だって殿下や教授達が、舞台に上がっていたのに……」
「何事なの? あんなに声を張り上げるなんて」
「あんなに素晴らしい演奏が聴けたのだから、もう終わりで良いんじゃないか?」
 納得しかねる顔付きで呟きながら、徐々に生徒達が席に戻って行ったが、特に出入り口に近い後方の席に空席が目立った。段々移動する生徒が少なくなり、殆どの者が着席した状態でも、ざっと見まわして後方の席を中心に四分の一程の座席が空席になっているのを認めたグラディクトが、盛大に顔を顰める。
 そんな彼の下に側付きの生徒が一人、恐る恐る歩み寄って報告した。


「殿下、申し訳ありません。既にかなりの者が、講堂付近から立ち去っておりまして……」
「使えん奴らだな。途中退席するような不届き者を見たら、即座に注意して席に戻すべきだろうが」
「…………」
 その生徒にも進行スケジュールなどは知らされておらず、エセリア達の発表で最後だと思い込んでいた為、(それなら予定を知っているあんたが、さっさと注意すれば良かっただけだろうが!)と心の中で盛大に悪態を吐いたが、黙って頭を下げた。それを見たグラディクトは、面白く無さそうにソレイユに向き直る。


「仕方がない。ソレイユ教授、続けるぞ」
 その指示に、無言で立ち上がった彼女は、平坦な声でアリステアを紹介した。


「それでは続きまして、最後の発表者になります。アリステア・ヴァン・ミンティアによるピアノ演奏。曲名は《春の訪れ》です」
 それを受けてアリステアが立ち上がり、意気揚々と階段を上がって舞台上で一礼した。そこで力強いグラディクトの拍手と、大多数の生徒のかなり適当な拍手を受けてから、彼女は落ち着き払ってピアノまで移動し、椅子に座る。その直後に彼女の演奏が始まったが、それを聴いた殆どの者はすっかり興ざめしてしまった。


「……何だ、普通の曲じゃないか」
「エセリア様の次だから、更に凄い演奏かと思いきや」
「一気に普通の、単調な曲になりましたわね……」
「エセリア様のあれを聴いた後では、普通の曲の何を聴いても、物足りなく感じてしまいますわ」
「私今度、エセリア様が弾いたような曲を弾いてみたいわ」
「私もそう思ったの。今度エセリア様にお願いして、楽譜を見せて頂かない?」
 徐々にざわざわとした生徒達の声が伝わって来るに至って、グラディクトは完全に腹を立てた。


(どいつもこいつも……。アリステアの演奏を真剣に聴かずに、何をやっている)
 しかし彼女の演奏中でもあり、必死に怒りを堪えていると、演奏が終了して講堂内に静寂が訪れる。それを合図に、パラパラとした気の無い拍手が起こった。


「あら、終わりましたわね」
「やれやれ、やっと帰れるな」
「え?」
 しかし面倒くさそうに拍手していた生徒達は、それが徐々に消えてきた途端、アリステアが別な曲を弾き始めた為、揃って当惑した顔になった。


「あの方、どうしてまだ演奏しているの? 《春の訪れ》は終わったわよね?」
「これまでの皆さんだって、全員一曲だけの発表だったのに」
「どうしてあの人だけ?」
 実はグラディクトは、彼女にだけ何曲も弾かせても他の参加者から文句が出ないように、わざと順番を最後にし、ソレイユ教授達にも事前に反対されないように一曲分しか曲名を伝えていなかった。この事態に瞬時に顔色を変えた教授達とは裏腹に、実は《モナ》と《アシュレイ》として、グラディクトが「当日は彼女に五曲弾かせるつもりだ。最後だし、文句を言う奴もいないだろう」と言い放つのを聞いていたシレイアとローダスは、事前のエセリアとの打ち合わせ通り、落ち着き払って周囲に聞こえるように会話を始める。


「ソレイユ教授が口にした曲が終わったのだから、もう発表は終わりでしょう。あれは、今までずっと皆さんの発表を聴いていた、私達を送り出す為の曲なのよ」
「なるほど、彼女は実行委員長みたいだし。音楽祭は今年初めての試みだから、普通の行事とは違う変わった趣向を取り入れたんだな」
「それではさっさと外に出ないといけないわね。私達がぐずぐずしていつまでも講堂内に残っていたら、彼女が延々と弾き続け無ければならないもの」
「それもそうだな。しかし、なかなか有意義な時間だった」
「ええ、エセリア様の演奏は、本当に素晴らしかったわね」
 そう言って立ち上がった二人を見た周囲は、如何にも尤もらしい主張に頷き、彼らに倣って席を立った。そして何事かと訝しんで声をかけてくる周りの者達に、「発表は終了」「これは自分達を送り出す為の曲」との説明をし、相手を納得させる。
 その主張は次々とさざ波の様に座席を伝わっていき、それに従って生徒達は続々と席を立ち、再び出入り口に向かい始めた。


「お前達、何を勝手に席を立つ!」
「殿下、演奏中です。騒ぎ立てるのは演奏者に失礼ですよ?」
「……っ!?」
 それを見たグラディクトが注意しようとしたが、横のソレイユ教授に小声で窘められる。さすがにアリステアの演奏を台無しにしたくなかった彼は、歯噛みして少し離れていた側付きの者達に目線で訴えた。


(お前達、さっさと連れ戻して来い!)
 しかし彼らの耳にも、今演奏されている曲が生徒達を送り出す為の曲だとの話が伝わってきており、何故自分達が睨まれなければならないのかと、憮然として座り続けるだけだった。その結果、アリステアの演奏が終了するまでに残っていた生徒は、その話が伝わらなかった者、さらに閉会宣言も無いのはおかしいのではないかと疑問に思った者、更には最前列の発表者位で、講堂内の座席はかなり閑散とした状態になってしまった。


(終わった! これで生徒の皆も私の事を見直して、これからは一目置いてくれる筈よ!)
 そして全くミス無く五曲を弾き終え、満足げに顔を上げたアリステアは、笑顔で舞台の前方に歩いて行った。しかしそこで一礼しようとして、様子が一変した講堂内に目を丸くする。


(え? どうして座席が、半分以上空席になっているの?)
 演奏を始める時よりも更に少ない拍手を受けながら、彼女が茫然と佇んでいると、ソレイユが冷静にグラディクトに声をかけた。


「それでは殿下。全員の発表が終了致しましたので、閉会の宣言をお願いします」
「…………」
 口調だけは穏やかに促してきた彼女を睨みつけてから、グラディクトは憤然としながら舞台に上がり、不愉快そうに宣言した。
「これで、第一回音楽祭を終了する。以上だ」
 それを受けて残っていた生徒達は、ほっとした様子で次々に席を立つ。と同時にかなりの者達が、エセリアを取り囲んだ。


「やっと終わりましたわ」
「エセリア様! 今度私に、先程の演奏技法の伝授を!」
「それよりも楽譜が先ですわ! 私にお見せ下さいませ!」
「今回のこれは、エセリア様の演奏を聴けたのが、最大の成果でしたな!」
 エセリアを取り囲んだ一団が、彼女を誉めそやしながら賑やかに講堂の出入り口に向かって歩いて行くのを、グラディクトは忌々しく思いながら見送った。


「あの女……、どこまで人を馬鹿にしているのか……」
「グラディクト様……」
 そして徐々に人気が無くなっていく講堂の前方に取り残されたグラディクトに、困惑顔でアリステアが呼びかける。それに応じて振り向いた彼は、如何にも無念そうに彼女に告げた。 


「すまない、アリステア。まさかエセリアがあのような奇抜な曲を、公の場で恥ずかしげも無く演奏するとは、全く予想していなかった。そのせいであれ程練習していたのに、君の演奏がすっかり陰に隠れてしまって……」
 しかしそれを聴いたアリステアは、少々困った顔になりながら首を振った。


「グラディクト様、構わないですよ? 私は別に、エセリア様のように目立ちたくて、音楽祭を提案したわけではありませんから。少しでも多くの人が音楽に親しんでくれたら、私はそれで満足なんです。気にしないで下さい」
「アリステア……」
 それを聞いたグラディクトは、軽い自己嫌悪に陥った。


(何て謙虚で、思いやりに溢れた言葉だ……。それなのに私は、彼女の真価を他の人間に認めさせる事すらできないとは……)
(予定では、私がもっと目立つ筈だったんだけど……。そこまで上手くいかないわね。あの本の中では、敵役の令嬢が、エセリア様みたいな奇抜な演奏をしていなかったし。でもグラディクト様が益々私に好意を持ってくれたみたいだから、結果としては良かったわよね?)
 少々残念に思いはしたものの、それなりに殿下の好感度を上げる事ができたから良いわと、アリステアは自分自身を納得させて笑顔になった。そんな彼女を見て、グラディクトも自然に顔を緩める。 


「アリステア。私にとっては君の演奏が、今回の音楽祭では最良の演奏だった」
「ありがとうございます。お世辞でも嬉しいです」
「世辞など、私がわざわざ口にすると思うのか?」
 楽し気に笑いながら歩き出した二人が、講堂を出て行くところまで目撃してから、この間座席の陰に身を潜め、二人の様子を窺っていたミランとカレナが慎重に立ち上がった。


「調子に乗って五曲も弾いた人間が、何を殊勝なふりをして『目立ちたくて、音楽祭を提案したわけではありません』などと言っているんだか……。余計な曲は退場時の伴奏と大多数の生徒達に思わせなければ、とっくに非難の声が上がっているのに」
「全くだわ。皆がエセリア様の演奏に夢中になって、あの人の不作法ぶりや殿下の無茶振りなんて、どうでも良い心境になっているのに。最後はエセリア様にフォローして貰った事にも気が付かないなんて、本当にいい気なものね」
 講堂の出入り口を見やりながら、そんな遠慮のない感想を述べた二人は、無言で顔を見合わせて盛大な溜め息を吐いた。



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