悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(23)マグダレーナとの駆け引き

 長期休暇もそろそろ終わりと言う時期にイズファインから届けられた手紙を、お茶を飲みながら読んでいたエセリアは、おかしそうに小さく笑った。


「あらあら、これはなかなか……」
「エセリア様、どうかなさいましたか?」
 どうやら口にしたのは無意識だったらしく、何か用かと気を利かせて声をかけたルーナにも気が付かずに、彼女は手紙の先を読み進めた。そんなエセリアを見て、ルーナも無言で肩を竦めて彼女を見守る。


(『グラディクト殿下が、王族もしくはそれに準じる家の人間、または招待された場合に使用する、準公用の馬車にアリステアを乗せた』なんて。事前の根回しも無しに、随分迂闊な真似をするのね。せめて同行する騎士に、融通を利かせられる者を指名しておいてから、少々お金を握らせておけば済む話なのに)
 半ば呆れながらグラディクトの行動を断じたエセリアだったが、段々頭が痛くなってきた。


(しかも『乗せて行った先が修道院で、そこで彼女を降ろしたせいで、近衛騎士団の一部で憶測を呼んでいるが、今のところは誰も上層部に問題提起していない』わけね。イズファイン様からの問い合わせは『この事実を現時点で表沙汰にするか否か』だけど……)
 そこで彼女は真剣に、今後の自分にとっての有益性を考える。


(正直、今の時点で二人の事がバレても、こちらには何のメリットも無いのよね。殿下が注意されて、アリステアが遠ざけられてお終いだろうし。当然、婚約破棄の話も出ようがないわ)
 そして一人頷きながら、あっさりと結論を出した。


(取り敢えずイズファイン様には完全な火消しはせずに、火種がくすぶる程度に調整しておいて貰うしかないわね)
 そんな無茶ぶりをする事に決めて、エセリアは満足げに椅子から立ち上がり、机に向かおうとした。


「うん、そうね。その方向で、ちょっと頑張って貰いましょう。そうと決まれば早速、返事を書かないと」
「あの……、お嬢様?」
「何? ルーナ」
 恐縮気味に声をかけてきたルーナに視線を向けると、彼女は一応控え目に、しかし冷静に意見を述べてきた。


「差し出がましいとは思いますが、そろそろお支度に取り掛からないと、王妃様からのご招待の刻限に、間に合わないのでは無いかと思いますが……」
 王宮に向かうには、さすがに気楽な部屋着でと言うわけにはいかず、うっかり失念していたエセリアは、笑顔で礼を述べた。


「いけない、すっかり忘れていたわ。ルーナ、準備をお願い」
「着替えは一式、整えてあります。お土産の品も、既に馬車に積み込んでありますので」
「ありがとう、助かるわ」
 そして寝室に入ってルーナの手を借りながら、準正装に着替え始めたエセリアだったが、ルーナが姿見越しに、何とも言えない顔で自分を見ている事に気が付いた。


「どうかしたの?」
「……いえ、お嬢様でもお約束をお忘れになる事がおありなのだな、と。普段は何でもそつなくこなされておられますので」
 大真面目にそんな事を言われたエセリアは、おかしそうに笑った。


「どんな完璧人間? 私だって普通の一人の人間よ?」
「そうですね。時々怪しい行動をして、物騒な事を口走っているだけの、お一人の人間でいらっしゃいますね」
「…………」
 淡々と人物評価をしながら支度を整えるルーナを見て、エセリアは(私は自分付きの侍女に、どういう風に理解されてるわけ?)と項垂れる羽目になった。


 出かける前にそんな事があり、少々落ち込んだエセリアだったが、王宮に出向いてからはそんな気配を微塵も感じさせず、取り次ぎの女官にも愛想を振りまきながら、マグダレーナが待つ後宮の私室へと足を進めた。


「出向いてくれてありがとう。会いたかったわ、エセリア」
「お久しぶりです、伯母様。ご招待、ありがとうございます」
 挨拶を済ませて向かい合わせにソファーに座り、ワーレス商会から取り寄せた目新しい製品や本を進呈したエセリアに、マグダレーナが早速近況を尋ねてきた。


「ところでエセリア。学園生活も二年目に入ったけれど、変わりは無いですか?」
 その問いにエセリアは、何気なく答える。
「そうですね……、クラス編成がされて貴族科になりましたので、どうしても交友関係や上る話題が、昨年とは微妙に異なって参りましたが……」
「交友関係と言えば、グラディクト殿の交友関係に、少々毛色の変わった友人が加わったようですが、その事をエセリアは把握しているのかしら?」
 にこやかに、しかし目は笑っていないマグダレーナの問いかけに、エセリアの頭が瞬時に冷えた。


(ちょっと待った! それってまさか……、いえ、かなりの高確率でアリステアの事よね!? イズファイン様の手紙では、『上層部には伝わっていない』って書いてあったのに、どうして王妃様に筒抜けなのよ!!)
 動揺のあまり固まってしまった彼女に、マグダレーナが重ねて問いかける。


「エセリア、どうかしましたか?」
「い、いいえ、何でもありませんわ。ええと……、殿下の交友関係のお話でございましたね」
 そして何とか愛想笑いを顔に貼り付けたエセリアは、その笑顔の裏で必死に考えを巡らせた。


(どう言えば正解なのかは分からないけど、取り敢えずしらを切り通すのは無理。それなら、王太子の婚約者の立場として答えると……)
 そこで素早く算段を整えたエセリアは、何とか気合いを入れ、平静を装いながら口を開いた。


「確かに最近、殿下に毛色の変わったご友人が増えたのは、存じ上げていますが、私はそれを良い事だと思っています」
「あら……、本当に?」
 少々意外そうに尋ねてきた伯母に、エセリアは余裕の笑みで応じた。


「はい。学園在籍中に見聞と人脈を広める事、多種多様な価値観を認識する事、それらを心がけるように、伯母様から入学前にお話がありました。ですから通常では懇意にするなど有り得ない人物を近付ける事に対して、過剰に反応せずとも良いと思われます」
「あなたがそれで良いと、判断しているわけですね?」
「はい。別にその方には王太子殿下に対して敵意は無く、危害を加える危険性も見られませんので」
 落ち着き払ってエセリアがそう述べた瞬間、マグダレーナは嬉しそうに顔を綻ばせた。


「分かりました。それでは当面は、あなたの判断に任せましょう。あなたが私が安心するだけの、判断力と自制心の持ち主で、本当に嬉しいわ」
「ご信頼頂き、ありがとうございます」
 どうやら正解だったらしいと安堵しながら、エセリアは軽く頭を下げた。


(うっわ、マジで冷や汗かいた! 王妃様が怒っていて『即刻別れさせろ』なんて口にしたら、一巻の終わりだもの。単に殿下の周りを女がチョロチョロした位で喚き立てるなら、王太子妃として失格だから、私の反応を見ただけの事か)
 それからは隔意無く色々な話で盛り上がり、予定時間を少し過ぎてから、エセリアはマグダレーナの前から辞去した。侍従に案内されて公爵家の馬車まで戻り、王宮まで付き従ってきたルーナと一緒に馬車に乗り込んだエセリアだったが、人目を気にする必要が無くなった途端、彼女の形相が段々険悪な物へと変化していった。


(それにしても……。婚約破棄を望んでいる事を王妃様にバレないように、こちらは未来の王太子妃を目指しているアピールをしつつ地道に努力しているのに……。お気楽脳内お花畑カップルが……)
 そこでエセリアは、何気なく座席の横に置かれた箱に目を向けた。それはマグダレーナから「卒業したらすぐに公式行事への出席が目白押しになるから、今のうちからこれ位は頭に入れておきなさい」と言われて与えられ、侍従とルーナの手によって運び込まれた物だったのだが、それを目にした事でエセリアの怒りがぶり返した。


「マリーリカの台詞じゃないけど…………、ちゃんと私を認めて、少し位尊重したらどうなのよ! あんの色ボケバカボンがぁぁっ!!」
「ひいっ!! なっ、何ですかっ!?」
 つい無意識に怒声を放ちつつ、力一杯拳で横の壁を叩いてしまったエセリアを見て、向かい側の座席に座っていたルーナが、怯えきった表情で悲鳴を上げた。それで我に返ったエセリアが、慌てて彼女に声をかける。


「え? あ、ご、ごめんなさい、ルーナ。ちょっと不愉快な事を思い出して。何でも無いのよ」
 弁解してから「おほほほほ」と笑って誤魔化そうとしたエセリアだったが、ルーナは座った姿勢のままじりじりと座席を移動し、あまり広くない馬車の中で、エセリアの真正面から対角線上の位置まで動いた。


「あのね? ルーナ。急に暴れてあなたに殴りかかったりしないから、もう少し近くに居ても大丈夫よ?」
「…………」
 優しく言い聞かせてみたものの、明らかに警戒感バリバリで馬車の隅で固まっているルーナを見て、エセリアは屋敷に戻るまでそれ以上は口にせず、盛大に溜め息を吐いた。





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