悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(22)マリーリカの主張

 直前までどれほど険悪な状態でも、王太子という立場上、エセリアをエスコートせずに会場入りしたら周囲からどんな事を言われるか分からない事を重々承知していたグラディクトは、仏頂面でエセリアに腕を差し出した。それに微笑しながらエセリアが軽く腕を絡め、正面玄関から公爵邸に足を踏み入れる。
 執事の案内で夜会会場の大広間に到達し、扉を開けて貰って中へ進むと、すぐ傍で招待客を待ち構えていたローガルド公爵夫妻とマリーリカが、満面の笑みで歩み寄って二人に向かって頭を下げた。


「王太子殿下! 今夜は娘、マリーリカの誕生日祝いの夜会にご出席頂き、ありがとうございます」
 その時には既に仏頂面など覆い隠し、王太子らしい威厳を醸し出しながら、グラディクトが笑顔で公爵夫妻に対応した。
「ああ、ローガルド公爵。マリーリカ嬢は、アーロンの婚約者でもあるからな。貴公と顔を合わせるのは久しぶりだが、元気そうで何よりだ」
「ありがとうございます」
 そこで二人の会話に一区切りついた為、エセリアがマリーリカに声をかける。


「誕生日おめでとう、マリーリカ」
「ありがとうございます、エセリアお姉様。グラディクト殿下」
 そこで二人の姿をしげしげと眺めたマリーリカは、全く邪気の無い笑顔で両親に意見を求めた。
「それにしても並び立っていると、お二人は本当にお似合いですわ。お父様、お母様、そう思いませんか?」
 それにグラディクトが僅かに頬を引き攣らせたが、公爵夫妻は力強く賛同した。


「誠にその通りですな! まさに若さも威厳も満ち溢れていて、光り輝くようです」
「我が娘マリーリカには、とてもお二方と肩を並べる事などできませんわ。お恥ずかしい限りです」
 謙遜と羨望が入り交じったその台詞に、エセリアは苦笑しながら叔母夫妻を宥めた。


「まあ、叔母様。そんなに謙遜するものではございませんわ。マリーリカはアーロン王子殿下と並び立っても遜色ない、気品と教養を身につけておりますのよ? 学園内ではアーロン殿下とお似合いだと、専らの評判ですもの。殿下、そうでございますよね?」
「……ああ、アーロンとは似合いなのではないか?」
「ありがとうございます、王太子殿下」
「光栄でございますわ!」
「…………」
 グラディクトの台詞には(自分とは不釣り合いだがな)という若干の皮肉が籠っていたが、それは公爵夫妻には全く伝わらず、却って喜ばせる結果となった。そして憮然となったグラディクトの神経を逆撫でする台詞を、マリーリカが無邪気に口にする。


「本当に王太子妃に相応しい方は、エセリアお姉様以外に存在しませんわ。この国の女性は全てお姉様に対して、跪かねばなりませんわね!」
「まあ、マリーリカ。私はあなたを、跪かせたいなどとは思わなくてよ?」
「それなら安心だな、マリーリカ」
「エセリア様と仲が良くて良かったわね」
「…………」
 嬉々として断言したマリーリカにエセリアが苦笑で応じ、それぞれ王子達と結婚すれば義姉妹かつ最大のライバルになるであろう彼女と娘の仲が良好な事に、公爵夫妻は心からの笑みを浮かべた。しかし当事者の一人であるグラディクトは、唯一人、心穏やかでは無かった。


(この傍若無人な女なら、気に入らない女の一人や二人、平気で跪かせたり無実の罪を着せて追放しかねない。アリステアの事がこの女の耳に入ったら、どんな危険な事になるのか想像もできないぞ!)
 実はとっくに把握済みであるため、余計な取り越し苦労だったのだが、当然そんな事など知る由もない彼は、暫くの間探るような目をエセリアに向けていた。
 そして公爵夫妻から離れた途端、二人は数多くの貴族達に囲まれた。それに笑顔で応じているうちに自然と離れ、話に一区切りついたところで、エセリアは飲み物を取る為に周囲に断りを入れて、壁際のテーブルに向かう。
 給仕から飲み物を受け取って何気なく会場内を見回していると、マリーリカがどこからかさり気なく近寄り、彼女に声をかけた。


「お姉様、楽しんで下さっていますか?」
「ええ、大丈夫よ。そう言えばさっきのあれは、殿下への嫌みね?」
 苦笑しながら問えば、大真面目な答えが返ってくる。


「当然です。お姉様を蔑ろにして、あんな生徒の肩を持つなんて。お姉様と彼女の格の違いを、少しは理解すれば宜しいのですわ。あの女など側に寄せたら、殿下の価値が下がるだけだというのに」
「あら、怖いこと」
「それは確かに、殿方が他の女性に目がいってしまうのは、仕方が無い事だと思いますわ。国王陛下だって、ああですし」
「マリーリカ?」
 言外に(陛下を引き合いに出すものではないわよ?)と窘めたエセリアだったが、マリーリカは神妙に頷いてみせたものの、真剣な表情で続けた。


「ですが、陛下はきちんと王妃様を第一にして尊重し、信頼し合っておられます。ですから王太子殿下も、そういう姿勢を他の者に対して見せるべきで、実行するべきですわ。ご自分が、本当に好ましいと思っておられる女性と正式に結婚できないのは無念でしょうが、そんな男性と結婚する羽目になるお姉様の方が、よっぽど無念ではないですか。そこの所をあの方は、全く分かっておられません。私が怒っているのは、その一点だけです」
 少女らしい真っ直ぐな考え方とその姿勢に、エセリアは自然に笑顔になった。


「マリーリカ、心配してくれてありがとう。私は大丈夫だから、あなたはアーロン殿下との事だけを考えていらっしゃい」
 そう宥めたところで、新たな声が割り込んだ。
「失礼します、エセリア嬢。何か私の話題で盛り上がっておられましたか?」
 そこでタイミング良く姿を現したアーロンに、エセリアは笑って頭を下げた。


「まあ、アーロン殿下。ご挨拶が遅れて、申し訳ありません」
「いえ、あなた達が会場入りしていたのは目にしていたのですが、少々人と話し込んでいまして、失礼致しました」
「私達も入れ代わり立ち代わり途切れずに話していましたから、お互い様ですわ」
 それから少しの間、三人は楽しげに会話を続けたが、エセリアは密かに罪悪感を覚えていた。


(さすがにマリーリカには、私が殿下との婚約破棄を望んでいる事を言えないわ。実際にそう持ち込んだ時、相当心配をかけるだろうし、予想外に王太子妃の座が転がり込んで迷惑をかけるのは確実だけど、絶対に反対されるもの。その代わりにあなたが王太子妃や王妃になった時は、全力で支えると誓うから)
 そんな様々な思惑が飛び交いながら、その夜会は表面上は和やかに進行していった。



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