悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(13)名を捨てて実を取れ

「学園長! この前申し入れをした剣術大会の件だが、あれは即刻中」
 いつもの様に、グラディクトが取り巻きを引き連れて事前の約束も無しに学園長室に押しかけ、ドアを開けながら怒鳴りつけたが、室内にいた人物を認めて、不自然に声を途切れさせた。対する室内にいた学園長のリーマンとエセリアは、彼の来訪に一瞬驚いた表情になったものの、すぐに満面の笑顔で彼を迎え入れる。


「まあ! グラディクト様! 奇遇ですわね。正に今、その剣術大会の話を、学園長としていたところですのよ?」
「今回誠に名誉な事に、陛下から『大会の運営費に充てるように』とのありがたいお言葉と共に、かなりの纏まった寄付金を頂きました。陛下におかれましては、王太子たる殿下が率先して新たな行事を企画された事を大変誇らしく思われ、お喜びの様子でいらっしゃいます」
「……え? どうして陛下が、この事をご存知なんだ?」
 予想外過ぎる話の流れに、グラディクトが思わず怒気を消して尋ねると、エセリアが笑顔のまま説明した。


「折りに触れて王妃様に送っている手紙の中で、私が書き記してお知らせしましたの。そうしましたら、入学したばかりでも学園内全体の状況を把握した上で、自ら率先して企画運営するとはさすが王太子だと、すっかり感心して頂けたみたいですわ。それで陛下にもお伝えしたそうです」
「貴様……、余計な事を……」
 小さく呻きながら鋭く睨み付けたグラディクトだったが、当然エセリアは、それ位で恐れ入ったりしなかった。


「あら、殿下。今、何か仰いまして? とにかく、これだけ陛下の覚えが良ければ、殿下の王太子としての地位はこれからも安泰ですわね!」
「誠に、おめでたい事でございます。学園としても、全面的に協力させて頂きますので」
「学園長、宜しくお願いします。主体は生徒で行うとしても、やはり教員の手を借りなければいけない事があるかと思いますので」
「お任せ下さい。ところで殿下、本日はどんなご用でこちらにいらしたのですか?」
「何か他にも、新たな企画でも思い付かれましたか?」
「……殿下」
 エセリア達がグラディクトを笑顔で促すのとほぼ同時に、彼の取り巻き達が焦れた様に囁いたが、彼は忌々しげに吐き捨てて踵を返した。


「……いや、良い。邪魔したな」
「そんな!」
「殿下、お待ち下さい!」
 面白く無さそうに出て行くグラディクトを、彼の取り巻き達が慌てて追っていく様子を見送ったリーマンは、不思議そうに首を傾げた。


「殿下は一体、何のご用でいらしたのだろうか?」
「さあ……、何でございましょうね?」
 それから幾つかの打ち合わせを済ませた彼女が、学園長室を出て廊下を歩き始めると、向こうからシレイアが駆け寄って来るのに遭遇した。


「エセリア様! 大丈夫でしたか?」
「あら、シレイア。大丈夫とはどういう事かしら?」
「殿下が取り巻きを引き連れて、血相を変えて学園長室に向かったと、先程耳にしまして」
 周囲を見回して、それらしき姿が見えない事にシレイアが安堵の表情になると、エセリアはおかしそうに笑った。


「自分の取り巻きの実力の無い騎士科のグダグダ生徒が、このままだと赤っ恥をかくという事実に、事が公になってから漸く気が付いたみたいだけど、手遅れだったわね」
 その表情を見たシレイアは、少し前にエセリアが口にしていた事を思い出した。


「そう言えばこの前、王妃様にお知らせするとか何とか、仰っていましたよね?」
「ええ。王妃様を通じて陛下に剣術大会の事をお知らせして、王太子殿下の率先した行動力と統率力について、お褒めの言葉と運営費の寄付を頂いたの」
 そう説明を受けたシレイアは、皮肉げな笑いを漏らした。


「それはそれは……。そこまで事が大事になってしまってから、まさか『それは私が主催などしていません』とか『その開催は絶対反対です』などとは、口が裂けても言えませんわね」
「そういう事よ。下手をすれば、陛下の不興を買ってしまうものね。これで少しは貴族出身のダレ切った騎士科の生徒も、少しは普段の態度を改めるでしょう」
「ですが、エセリア様……。私、少々悔しいです」
「あら、何がそんなに悔しいのかしら?」
 並んで歩き出しながらしみじみと言われた内容に、エセリアは不思議そうに尋ねた。するとシレイアが、憤懣やるかたない表情で告げる。


「あの殿下が変な横槍を入れてこないように、名誉会長にして名目上の主催者にしましたが、あの方、絶対に何もしませんよ? 実際に企画して準備を整えて運営するのはエセリア様なのに、最終的な名声は殿下の物だなんて……。到底納得できません」
 さすがに大司教の娘らしく、清廉潔白を良しとする家風で育ったのか、シレイアが不満顔で訴えたが、エセリアはそんな彼女を笑いながら宥めた。


「私は別に構わないわ。名声など、本当にどうでも良いもの。それよりも、学園生活がより良い方向に向かえば、私は本当に満足なの」
「エセリア様……」
「さあ、これから忙しくなるわよ? 班の割り振りとか放課後の教室の手配とか、勉学以外にも色々と忙しくなるかと思うけど、宜しくね?」
「はい、お任せ下さい!」
「頼りにしているわ」
(取り敢えず道筋は付けたわ。要は、部活やサークル活動みたいな物だと考えれば良いもの。紫蘭会の皆さんに、しっかり主導して貰いましょう。これで少しはピリピリギスギスした教室内の空気が、改善すると良いわね)
 忙しいけど楽しくなりそうだわと、エセリアは上機嫌で歩き続け、そんな彼女と別れた直後、シレイアは些か焦った声で呼び止められた。


「シレイア! ここにいたのか。どうなったのか知っているか?」
 はっきりと言葉に出さなくても、相手の言いたい事はすぐに分かった為、彼女は振り返りながら笑顔で答えた。
「ローダス。あなたも殿下が騒いでいたのを聞いたのね。でも大丈夫よ。王太子殿下は、剣術大会の開催撤回など出来ないわ。陛下から寄付金まで頂いてしまったもの」
 それを聞いた彼は軽く目を見開き、次いで推測を口にする。


「……エセリア様か?」
「当然よ。私、今回の事で、益々あの方を尊敬したわ。あの方はご自分の名誉や権益には、全く興味がおありでは無いのよ。常に周囲や社会全体の利益を考えて行動しておられるわ。それに引き替え、あの方は……。エセリア様に感謝するどころか、悪し様に罵った上、足を引っ張る事しかできないわよ」
 そこで口を閉ざして、忌々しげに廊下の向こうを睨み付けた彼女を、ローダスが小声で窘める。


「言いたい事は分かるが、それ以上は口にするなよ?」
「もう何も言わないで、ローダス。私は私の見たまま感じたままを、父に伝えるだけよ。あなたはあなたで、好きにすれば良いわ」
 素っ気なく断言したシレイアは、そのままローダスに構わずにその場を離れ、彼は苦笑しながら幼なじみを見送った。


「やれやれ、入学する前とは別人みたいだな。彼女に心酔する気持ちは分かるが」
 そして感慨深げに、独り言を漏らす。
「幾ら使えなくとも、陛下に王妃陛下が付いていらっしゃる様に、エセリア様が付いていれば安泰とは思っていたが。確かに、あの方がエセリア様に敬意を払えないのは問題だな。一考するべきか……」
 ローダスはそう呟いてから小さく首を振り、無言のままその場から去った。





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