悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(23)詭弁

「ワーレス夫人。あなたは教会を脅迫するおつもりか?」
 しかし詰問口調のそれに、ラミアは落ち着き払って答える。
「滅相もございません。私は信仰心厚い人間だと自負しております。誤解を与える表現でしたらお詫びしますが、先程の発言は私達の偽らざる本心です」
「宜しければ、もう少し詳しく話をお伺いしたいが」
「はい、総大司教様。実は私は、ケラーディン出身です」
 その聞き慣れない地名を頭の片隅から拾い上げたエセリアは、思わず不思議そうに口を挟んだ。


「ケラーディンって言うと……、確か西の国境の辺り?」
「はい、そうです。そこで父が、鋳物業を営んでおりました。もう二十年近く、故郷には戻ってはおりませんが」
「どうして?」
「元々裕福な暮らしではございませんでしたが、母が病気になりまして。あの様な辺鄙な所では、医者に診せるのも大変です。薬代も馬鹿になりませんし、高利貸しにお金を借りて、忽ち利息がかさんでしまいました」
「…………」
 もうその時点で話の先が見えてしまった為、室内の全員が無言になる。そんな中、ラミアが淡々と自分の境遇を語った。


「そうこうしているうちに母が死に、残った借金を一家総出で返しているうちに、無理がたたって父まで亡くなり、当然家財一式売っても借金が返せるわけは無く、兄弟姉妹はバラバラになりました。とある商家に住み込みで働く事になったのは、私が十二の時です」
「ええと……、ひょっとして、ご兄弟とはそれ以来、お会いしていないとか?」
「はい。連絡の取りようもありませんので。結婚してから夫が故郷に人を送って探してくれたのですが、兄二人と姉と妹、全員の消息が全く掴めませんでした」
(まさかラミアさんが、そんな過酷な生い立ちだったとは……。だから低利での全国での貸金業の話に、最初から大乗気だったのね。そんな事一言も言わなかったから、全然知らなかったわ)
 唖然としてエセリアが話に聞き入っていると、ラミアはここで急に声を荒げた。


「それでもこれまで私は、『仕方がなかった』『運が無かった』と諦めていました。ですがエセリア様のお考えを聞いて、更にその内容に感嘆して決意致しました! 私共の様な不遇な人間を一人でも多く救う為、この貸金業制度を何としてでも法制化させようと! これが実現する事で、国内各所での経済格差が解消され、埋もれている有能な人材を一人でも多く救い、活躍させる! それができたら、もう何も思い残す事はございません!」
「ラミアさん、待って! 思い残す事は無いだなんて、縁起でもないし!」
 勢い良く椅子から立ち上がって主張した彼女を押し止めるべく、エセリアも立ち上がりながら彼女に縋りついて訴えたが、ラミアの訴えは更に続いた。


「たかが商人の妻である私など幾らでも替えがきく存在ですが、これを考え付かれたエセリア様は、替えがきくような私どもとは違う、これからの国に必要な、かけがえの無い稀有な存在です! エセリア様に罪状が付く事だけは、どうかご回避願います!」
「ラミアさん! だからちょっと落ち着きましょう!」
 涙ぐんでの悲痛な叫びに、司教達も若干引く中、エセリアは内心で激しく狼狽していた。


(う、うわぁ、なんだか段々大事おおごとに……。この世界に無いシステムを導入すれば、ストーリーが変わりやすいだろうし、私の評判にも傷が付いて、王子との婚約なんて無くなる位の軽い気持ちで提案したのに!)
 そこで取り敢えずこの場を治めようと、キリングがラミアに声をかけた。


「しかし、ワーレス夫人。教会としては、あの様な不道徳な物を放置するのは、教会の権威に係わりますので」
 少々困り顔で告げたキリングだったが、彼女はまだ涙目ながらもきっぱりと言い返す。


「幅広い芸術を容認して、その活動を保護するのも、教会の寛容さを示す事になると思いますわ」
「そうは言っても、それらは公に流通させるのは、少々不適切で」
「確かに不適切かもしれませんが、違法ではございません。そもそもどのような罪状によって、エセリア様を断罪しようと仰るのでしょうか?」
「…………」
 大真面目にラミアがそう述べた瞬間、キリングは口を閉ざし、再び室内に静寂が満ちた。その展開にエセリアは頭痛を覚えながら、彼女に指摘する。


「ラミアさん……。これまではああいう物を書こうなんて考える人間がいなかったから、罰則規定が無かっただけでしょう?」
「それでも、違法と規定する条項が無ければ、咎められる謂われはございません」
「完全に開き直ってる……」
 そこで力が抜けた様に椅子に座り、頭を抱えてテーブルに突っ伏したエセリアを見て、思わず笑いを誘われたらしい面々から、楽し気な笑い声が上がった。


「ぶっ、ぶあっはははははっ! これは参った!」
「さすがは最近羽振りが良い、ワーレス商会会頭夫人なだけはありますね!」
「確かに不適切ですが、違法ではございませんな!」
「しかしそれでは、この査問会の開催理由が、無くなってしまいますが?」
 それでも若手の一人が生真面目に問題提起したが、それをキリングが苦笑しながら宥めた。


「君は何か、勘違いしているのでは無いか? これは査問会などでは無いだろうが」
「はい?」
「某所から提案のあった貸金業制度の詳細について、それを実現する為に提案者たるエセリア嬢をお呼びして、意見をお伺いしていただけだ」
 そんな事を面白がっている表情で言われた彼は、エセリアが思わず気の毒になるほど狼狽しながら、続けて問いを発した。


「あ、あの……、それではワーレス夫人に関しては……」
「規模が大きくなった場合、教会が保有している資産のみでは運営できなくなる可能性が出てくる。然るに、先見性に富んだ商人の方にご意見と、資金を供出して頂けるかどうかを伺う為にお呼びしたのに決まっている」
「勿論、ワーレス商会は全面的に資金提供いたしますわ!」
「それは良かった」
「はあぁあ!?」
 満面の笑顔で即答したラミアと、間抜けな声を上げた彼の表情の対比が面白かったのか、ここで室内に「ぶふっ」「うわははは」という、先程よりも盛大な笑い声が生じた。


(さすが、総大司教に登りつめる位の方は、度量の広さも頭の回転の速さも違うわ。これで問題無く、うまく纏めてくれたのよね?)
 すっかり室内の空気と話の流れが変わった事に、エセリアが安堵していると、キリングがまだ苦笑いの表情で、一応釘を刺してくる。


「ワーレス夫人。芸術の幅が広がるのは、文化の向上と経済の拡大の面でも好ましいでしょうが、節度を持ってほどほどにお願いします」
「勿論ですわ。あまりにも目に余る作品の場合には、そもそも出版しておりませんし、表立った宣伝もしておりませんので」
「それではエセリア嬢。もう少しこの書類の内容を精査して協議した上で、正式にお返事致します」
「分かりました。それではその後、王妃様との面会の許可を取って、責任者の方と一緒に王宮に出向きましょう」
「はい。その時は、宜しくお願いします」
 それから幾つかのやり取りを済ませてから、エセリア達は何の咎めも受ける事無く、丁重に総主教会から送り出された。そして乗り込んだ馬車の中で、ラミアがハンカチ片手に、再び涙ぐんだ。


「……良かったです。エセリア様のお立場が悪くなる事にならなくて」
 まさかそこまで思いつめているとは夢にも思っていなかったエセリアは、少々反省しながら彼女に声をかけてみた。
「ラミアさん、大丈夫?」
 すると彼女はきちんと涙を拭き、気丈に笑いながら頷く。


「はい、これからは益々忙しくなりそうですもの。泣いてなんかいられませんわ。なし崩し的にあの本の類を、教会から黙認して頂く言質も取れましたし」
「総大司教様が言っていた様に、ほどほどにしましょうね?」
「はい!」
 その晴れやかな笑顔を目にしたエセリアは、(査問会自体が無かった事になって、私に悪評が付かなかったのは残念だけど、ラミアさんが罰を受けるのは回避できたし、これで良しとしなくちゃね)と自分自身を納得させ、心配して待っている家族の元へと帰って行った。



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