悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(12)予想外の落とし穴

 開始当初は和気あいあいとゲームを進めていた面々だったが、中盤を過ぎた頃から徐々に雲行きが怪しくなり、皆、言葉少なにコロコロを降り続けた。


「ええと、あの……、エセリア様? 4で《到着》のマスに入ってしまいましたが……」
 若干顔色を悪くしながらお伺いを立ててきたカーラに、まさか「上がりではありません」などと筋の通らない事は言えず、エセリアは引き攣り気味の笑顔で答えた。


「え、ええ。カーラさんが一着で上がりで終わり、ですわね。おめでとうございます」
 それからも粛々とゲームは進められたが、直後にナジェークが上がってしまった。


「あの、エセリア。僕もこれで終わり、だよね?」
「……はい、ぴったりですね、お兄様。後半の追い上げが凄かったですわ」
「うん……」
 誉め言葉もそれに応じる言葉も、殆ど力が無く、更にゲームが続行される。


「その……、私も到達してしまった様な気が……」
「ええ……、間違い無く上がりましたわね、リスベルさん。終わりです」
 もう涙目になっている相手を見ながら、エセリアはダラダラと冷や汗を流した。


(ちょっと待って!! スタート直後はぶっちぎりで王妃様がトップだったのに、どうして後半に入ったら王妃様が一回休みとか、迂回路を選択とか、何マス戻るの指示ばっかり引き当てるわけ!? あと残っているのは私と王妃様だけだなんて、全然洒落にならない!!)
 エセリアは内心でそんな悲鳴を上げていたが、無情にもミレディアに引き続きコーネリアまで上がってしまった。


「ええと……、私は終わったから、次はエセリアの番よ?」
「は、はい! 今やります!」
 そして皆の視線が自分に突き刺さっているのを自覚しながら、エセリアは懸命に自分自身に言い聞かせた。


(落ち着いて、エセリア。まだ大丈夫。王妃様は私の前にいるんだから。私は6を出さないと上がれないから、順当に行けば王妃様の勝ちよ。辛うじてビリじゃないわ)
 そしてコーネリアから受け取ったコロコロを握り締め、気合いを入れ直す。


「それでは、いきます!」
(1! そうじゃ無くても、6以外出ろーーっ!!)
 そして彼女が放った渾身の一振りは、見事6を出してしまった。


「…………」
(おい、こら! 双六の神様、サボってないで仕事しろや!? それとも空気読めんのか!?)
 エセリアが心の中で、存在の有無が定かでない双六の神を罵倒し、室内が見事に静まり返る。
 その不気味な静寂が数秒程続いてから、皆マグダレーナに向き直って我先に謝罪を始めた。


「あ、あの! 王妃様を差し置いて、真っ先に上がってしまって申し訳ありません!!」
「いえ、それより僕の方が失礼を! 後から追い付いて、先に居た王妃様を二回戻らせてしまいましたし!」
「お姉様、申し訳ありません! 私が手を伸ばしていたせいで、あの時コロコロが手にぶつかって、肝心な時に1が出てしまって!」
「……ぷっ、あははははっ!!」
 しかし先を争う様な謝罪の言葉を聞きながら、何故かマグダレーナは楽しげに笑い出した。それを見た周囲が、呆気に取られて問いかける。


「お、王妃様?」
「お姉様、どうなさいましたの?」
「だっ、だって、あなた達の必死な顔っ!! ミレディア。あなたったら、何て情けない顔をしているのよ」
 そう言って再び笑い出した彼女を見て、エセリアは本気で戸惑ってしまった。


(え? お、怒って無いの?)
 するとマグダレーナは何とか笑いを抑えてから、幾分困った様に言い出した。


「そんなに怯えないでちょうだい。確かに勝てなかったのは残念だけど、遊びで一々腹を立てる程、狭量では無いつもりよ? あなた達、私の事をどんな人間だと思っているのかしら」
「はぁ……」
「申し訳ありません」
 面目なさげに頭を下げた周囲を見ながら、エセリアは胸をなで下ろした。


(良かった。王妃様が凄く理性的な人で)
「エセリア」
「はっ、はい!」
 急に名前を呼ばれて、動揺しながらマグダレーナに視線を向けると、彼女は穏やかに微笑みながら告げた。


「今日はこれを持って来てくれて、ありがとう。おかげで楽しく過ごせたわ」
「そ、そうですか?」
「ええ。確かに勝てたなら、もっと楽しかったとは思うけど」
「……すみません」
 思わずうなだれてしまったエセリアだったが、そんな彼女をマグダレーナが苦笑しながら宥めた。


「謝らなくて良いのよ? 本当に楽しかったのだから。コロコロを振っている間は、他の事など微塵も考えずに集中して、他の人が駒を動かす度に一喜一憂していたわ。あなたが言うように、こんなにドキドキワクワクしたのは、きっと子供の頃以来よ」
「王妃様……」
「これをやっている最中に、色々選択肢があったけど、本当に人生にも色々選択肢があれば良いのにね……」
「…………」
 最後は何やら自嘲気味の台詞だった為、その場に居た者は無言で顔を見合わせた。しかしすぐにマグダレーナが、明るく笑いながら告げる。


「あら……。皆揃って、そんな深刻な顔をしないで? ちょっと口にしてみただけよ。私は自分の人生に満足しているし、常にできるだけの努力をしているから、後悔はしていないわ」
 その威厳すら感じる微笑を見て、先程から色々申し訳なさを感じていたエセリアは、感情が振り切れた様に椅子から立ち上がり、涙ぐみながら彼女のもとに駆け寄った。


「おっ、伯母様ぁぁっ!!」
「どうしたの? エセリア」
「わっ、私! 素敵な伯母様が大好きです!! 王妃様として以上に、一人の素敵な女性として尊敬します!!」
 そう泣き叫びながら座っているマグダレーナに抱き付いたエセリアを見て、コーネリアとナジェークが瞬時に顔色を変えた。


「エセリア!」
「確かに伯母に当たる方ではあるけど、立場を弁えてきちんと王妃様と!」
「構わないわ、コーネリア、ナジェーク」
「ですが!」
「きっと『伯母様』と呼んでくれるのも、今のうちだけでしょうから。あなた達はもう、私達だけの時でも呼んでくれなくなったし」
「お姉様……」
 若干寂しそうにマグダレーナが述べた内容を聞いて、コーネリアとナジェークは押し黙り、ミレディアは気遣わしげな視線を姉に向けた。するとここでエセリアは体を離し、泣き顔のまま力強く宣言する。


「私! 王妃様がそう呼んで欲しいと仰るなら、いつまでも『伯母様』ってお呼びします! 約束します!」
「ありがとう。それなら公の場では『王妃様』で良いけど、私的な場では『伯母様』と呼んで頂戴ね?」
「はい、伯母様! お約束します!」
「エセリア。取り敢えず、その顔を何とかしないと」
「ありがとうございます、お姉様」
 エセリア達が互いに笑顔で頷いたのを見てから、さり気なくコーネリアがハンカチを差し出して、エセリアの顔を優しく拭きだした。そんな姉妹の様子を見ながら、マグダレーナが妹に囁く。


「本当に、エセリアの様に優しい素直な娘がいてくれたら、私の人生も随分違ったものになっていたでしょうね。あなたが羨ましいわ」
「お姉様、それは……」
 思わず何かを言いかけたミレディアだったが、自分でもらしくない感傷だと思ったのか、マグダレーナが話題を変えてきた。


「ああ、人生と言えば、エセリア」
「はい、伯母様。どうかしましたか?」
「このゲームの名前は楽勝人生デン・ト・イケーと言っていたでしょう? だけど『借金をして三マス下がる』とか『汚職の証拠を掴んで、一番前にいる人を五升下げる』とか、『奇数なら玉の輿、偶数なら下働き』とか、とても楽勝とは言い難い指示が結構入っていたのだけど。他の名前にした方が良くは無いかしら?」
 そんな事を真顔で言われてしまったエセリアは、真剣な顔で考え込んだ。


「……確かに、そうですね」
 そして考えを巡らせても、咄嗟にピンとくる物が無く、何気なくマグダレーナに意見を求める。


「う~ん……。伯母様には、何か良い名前の案がありますか?」
「そうね……。良いかどうかは分からないけど、分岐人生クッテ・ト・イケーとか、迷走人生トット・ト・イケーとか」
「ぶふぁあぁっ!!」
 考えながらマグダレーナが口にしていると、いきなりエセリアが噴き出した為、他の者は揃って驚愕の視線を向けた。


「エセリア!?」
「どうしていきなり笑い出すの!?」
「いっ、いえっ! すっ、すみません! あの、別に伯母様がおかしいわけじゃ」
 笑いを堪えながら必死に弁解しようとしたエセリアだったが、マグダレーナが困惑顔で尋ねる。


分岐人生クッテ・ト・イケーや、迷走人生トット・ト・イケーだと、そんなに変かしら?」
「ぐふぁっ!」
「エセリア! 何がそんなにおかしいの!?」
「幾ら何でも王妃様に失礼だろう!」
「ちがっ……、名前はおかしくないんだけど、おかしく聞こえて……」
「はぁ? 分岐人生クッテ・ト・イケーや、迷走人生トット・ト・イケーのどこが」
「っく、ぷはぁっ!」
「だから笑うのを止めなさい!」
「一体どうしたんだ、エセリア!?」
 コーネリアとナジェークが狼狽しながら宥めようとしたが、エセリアの笑いの発作はなかなか収まらなかった。


(だ、駄目っ……、なまじ日本語の発音が頭の中に残っているせいで、文字で書けば何でもない単語なのに、聞くと笑いが込み上げる!)
 そんな子供達の様子を、マグダレーナは微笑ましそうに眺めた。


「ミレディア。エセリアは楽しい子ね」
「騒々しくて、申し訳ありません」
 恐縮気味に頭を下げた妹に、彼女が笑みを深める。


「賑やかで良いじゃない。これからは偶にはエセリアを連れて、顔を見せに来て頂戴」
「これまでより、頻繁にお伺いする様にしますわ」
「あら、嬉しいこと」
 そう言って姉妹は微笑み合い、エセリアは全く考えてもいなかった、《王妃のお気に入り》の座を得る事となった。





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