その華の名は

篠原皐月

(33)前例と対応策

「失礼します。そろそろ結婚の儀の開始時間になります」
 司祭の一人が声をかけに来たのをきっかけに、三人は揃って腰を上げた。

「もうそんな時間か。それでは参りましょう」
「はい、よろしくお願いします」
「ルイザ、こちらで待機していて」
「はい。行ってらっしゃいませ」
 ルイザに見送られ、三人は控え室を出て廊下を歩き出した。前後に護衛の騎士がつき、先導するキリングの後ろを、カテリーナとナジェークは並んで静かに歩いていく。傍目には冷静そのものだったが、その時カテリーナは、僅かに顔を強張らせながら考えを巡らせていた。

(今日は朝から色々ありすぎてそれどころではなかったけど、さすがに緊張してきたわね)
 無意識のうちに難しい顔をしていたカテリーナを見て、ナジェークが小声で尋ねてくる。

「大丈夫か? さすがの君も、緊張しているみたいだが」
「当たり前でしょう。いつも飄々としている誰かさんと違って、私の神経は人並みなの」
「ああ、人並みのつもりでいるからね」
「あのね……」
 茶化すように言われて、カテリーナは気分を害した。思わず言い返そうとしたが、ここでナジェークが左手を伸ばし、優しくカテリーナの右手を取りながら囁いてくる。

「誤解のないように言っておくが、私だって緊張しているよ」
「……本当に?」
「本当だとも。公式の場で、国王陛下に謁見する時並みには緊張している。ここで万が一しくじったら、確実に君に愛想を尽かされるからね」
「正確に現状を把握できているようで、何よりだわ」
 笑いを含んだ声音に、どこまで本気で口にしているのかと疑わしく思ったカテリーナだったが、彼の手を振り解かずにそのまま足を進めた。するとキリングが前を向いたまま、思い出したように口にする。

「ナジェーク様、カテリーナ様。誓いの言葉は私が述べた後に、新郎新婦に復唱して貰うのが通例ですが、お間違えになっても支障はございませんよ? 言い直せばよろしいですし、全く違う言葉で強引に終わらせた方もいらっしゃいますから」
「え?」
「全く違う言葉で、ですか?」
「はい」
 ナジェークにとってもそれは予想外の話だったらしく、二人で怪訝な顔になった。するとそれを察したのかキリングが足を止め、背後に向き直って詳細を告げてくる。

「当時、私もその場に補佐役として大聖堂に控えていたのですが、私の先輩である大司教の誓いの言葉が気に入らなかったらしく、新郎が『私のネシーナへの愛は、そんな陳腐な言葉では言い表せはしないほど深く、大きいのだ!』と宣言後、十分以上延々と新婦への愛を語り続ました。招待客が呆れ果てる中、新婦が新郎を殴り倒して黙らせて、なしくずし的に式が終了したのです。その大司教の顔が赤くなったり青くなったりして、傍から見ていて気の毒なくらいでした」
「知らなかったな……、誰も黙して語らなかったのか……」
「ネシーナって……、ひょっとして……」
 誰の仕業かすぐに分かってしまったナジェークは呆然と呟き、カテリーナは驚愕の表情で一応確認を入れてみる。すると彼女の予想通りの答えが返ってきた。

「はい。現在のキャレイド公爵様の結婚式のお話です。ナジェーク様の伯父に当たられる方ですね。ですからひょっとしたら、ナジェーク様もカテリーナ様への愛を熱く語られるかもしれないと思ったものですから。私は一度経験がございますので、復唱していただかなくても動揺はいたしません。お好きな言葉で、ご遠慮なくどうぞ」
「……ご配慮、ありがとうございます」
 ナジェークが微妙に引き攣った笑みで礼を述べると、キリングは独り言のようにしみじみとした口調で語り出す。

「そのキャレイド公爵の結婚式の翌年、当時王太子であった国王陛下のご成婚の儀もここで執り行われたのですが……。花嫁がキャレイド公爵の実妹であられたので、予想外想定外の事態が発生しないかと、式の最中総主教会に所属している殆どの者が、固唾を飲んで進行を見守っていたのです。無事に終了した時には緊張感から解放されて、一斉に大聖堂中から歓喜の叫びが上がりました。……本当に、懐かしいですな。あの時の騒動が、つい昨日の事のように思い出されます」
「……その折は、伯父のせいで多くの方に余計な気苦労をさせてしまったみたいで、大変申し訳ありませんでした」
 沈鬱な表情で謝罪の言葉を口にしたナジェークを見て、(別に、あなたが謝る筋合いではないのでは?)と思ったカテリーナだったが、余計な事は言わずに黙っていた。

「今回の式に立ち合う聖職者は年配の者で、伯父上の婚儀にも立ち会った経験がある者ばかりを揃えました。ですからカテリーナ様。皆、大抵の事には動じませんので、ご安心ください」
「はぁ……、それは良かったです」
 いきなり話を矛先を向けられたカテリーナが(え? どうしてここでいきなり、私に話を振るわけ!?)と動揺しながらも相槌を打つと、キリングは満足そうに軽く頷いてから、再び大聖堂に向かって歩き出した。カテリーナもその後に続いて歩き出しながら、繋いだままのナジェークの手を軽く引いて確認を入れる。

「一応、聞くけど……。私への愛とやらを、熱く語るつもりだったわけ?」
 その問いかけに、ナジェークは微妙に困惑しながら応じる。
「いや、さすがにそこまでするつもりはなかったが……」
「じゃあ、そこまでしなくても、何か他の事は考えていたの?」
「…………」
 何やら思わせぶりに視線を外したナジェークを見て、カテリーナは片眉を上げて彼を軽く睨む。

(無理を承知で、なんとかメリケンサックを忍ばせてくるべきだったかしら? 本当に油断できないわ)
 カテリーナは、結婚式でナジェークがしでかしそうな事を密かに考えながら歩き続け、ほどなく大聖堂の出入り口に到達した。

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