その華の名は
(28)後宮での一幕
「ここまで来て今更だけど、どうして結婚式直前に、こんな最大限の緊張を強いられなければならないのかしら……」
結婚式を翌週に控えた休日。カテリーナはナジェークに伴われて、後宮に出向いた。その豪奢で静まり返った廊下を歩きながらカテリーナが愚痴っぽく呟くと、横を歩くナジェークが小声で宥めてくる。
「そう言わずに。公式の場で、両陛下に謁見するわけではないから。気楽にお会いすれば良いさ」
「ええ、あくまでも私的に、後宮の私室に、王妃陛下に事前に結婚のご報告とご挨拶に伺うだけよね? でも普通の貴族だったら、こんな事はしませんけど?」
「あいにくと、うちは普通の貴族ではないからね」
「そうでしょうね……。血の繋がった伯母と甥の関係ですものね……」
もう何度目になるか分からない溜め息を吐いたカテリーナは、肩を落として項垂れた。そして後宮内を先導されて進むうちに、マグダレーナの私室にたどり着く。
「マグダレーナ様。ナジェーク様とカテリーナ様がいらっしゃいました」
「それではお茶の支度を済ませたら、人払いをお願い」
「畏まりました」
女官に促されて入った室内では、マグダレーナがソファーに座って二人を待ち構えていた。そこで恭しく挨拶をした二人を促し、向かい側の席を手で示して座らせる。
「ナジェーク、カテリーナ。挙式を控えて色々忙しい時期なのに、呼び立ててごめんなさいね?」
「お気遣いなく。元々王妃陛下には、個人的にご挨拶に伺うつもりでおりました」
「きちんとご挨拶するお時間をいただきまして、ありがとうございます」
「そう言って貰えて嬉しいわ。王妃の身では、一貴族の結婚式や披露宴に出席したりしたら、他の貴族から『どうして我が家には来ていただけないのか』と不平不満が上がりかねないもの。とはいえナジェークがまともに結婚できるかどうか心配だったから、貰い手があって本当に安堵したわ」
妙にしみじみとした口調でマグダレーナが口にした内容を聞いて、ナジェークが些か気分を害したように言葉を返す。
「お言葉ですが王妃陛下。私の事を、それほど結婚するのに難ありと思っておられたのですか? 些か不本意なのですが」
しかし甥の訴えに、マグダレーナは事も無げに返す。
「だって親戚一同を見回すと、あなたが一番兄上に似ているのだもの。兄上は子供の頃からネシーナに目を付けて、親兄弟にも内密に外堀内堀を埋めてこっそり囲い込んでいたけど、あなたったらそんな気配もなかったし。引き取り手があるのかと、本当に心配していたのよ?」
「……確かに親戚の方々と顔を会わせると、最近、益々伯父上に似てきたなと言われておりますが」
なんとも言えない表情になったナジェークを見て、カテリーナは思わず考え込む。
(あのキャレイド公爵って、一見人当たりが良さそうな顔をして、裏で一体何をしてきたのかしら? でもそんな人が、これからは義理の伯父……。今は、考えないようにしておきましょう)
それから少しの間、マグダレーナとナジェークは気安く言葉を交わしていた。カテリーナも二人の会話に相槌を打ちながら時折会話に加わり、それなりに緊張が解れていたところで、女官が現れてマグダレーナに報告してくる。
「王妃様、失礼いたします。レナーテ様が、後宮から退出するご挨拶に参りました」
それを聞いたマグダレーナは、些かわざとらしく驚いてみせた。
「まあ! もうそんな時間だったの? 楽しくて、つい話し込んでしまったわ。レナーテを待たせるのも申し訳ないから、こちらに通して頂戴」
「畏まりました」
(え? まさかとは思うけど、予定が重なっていた? もしくは私達が、滞在予定時間を超過したの?)
分刻みであろう王妃のスケジュール管理を狂わせたのかとカテリーナは一瞬焦ったが、目に入った置時計の時刻を確認し、隣に座っているナジェークが平然としている事から、すぐに落ち着きを取り戻した。
(いいえ、どちらの可能性もないわね。王妃陛下のスケジュールは、二重三重に女官や官吏が調整管理しているもの。それにまだ話し始めて、精々20分足らずだもの。ナジェークは悠然と話していたし、少なくとも30分程度は私達との面談に時間を割いてくれていた筈よ)
そう推察したカテリーナは、再び何事もなかったかのように談笑し始めたマグダレーナとナジェークを眺めながら、考えを巡らせる。
(そうなると……、わざとレナーテ様がいらっしゃる時間に私達との面談をぶつけたか、もしくはその逆か。王妃様は、何をお考えになっておられるのかしら?)
どちらにしてもマグダレーナの思惑通りなのは確実であり、カテリーナは黙って事態の推移を見守ることにした。
「失礼いたします。レナーテ様をお連れしました」
「お入りなさい」
先程の女官がすぐにレナーテを伴って戻り、硬い表情で入室したレナーテは、ソファーに座っているマグダレーナに向かって一礼した。
「王妃様、この度はお時間を頂き、ありがとうございます」
それを見たカテリーナは反射的に立ち上がりかけたが、左手を強く握られ、更に脚に強く押し付けられて驚いて振り返る。
(え? 王妃様はともかく、私達まで座ったままで、挨拶しなくて良いの?)
目線で問いかけたものの、ナジェークは彼女の手を掴んだまま平然と微笑んでおり、カテリーナは動きを止めておとなしく座っていることにした。そんな中、マグダレーナが優しく声をかける。
「わざわざ挨拶に来てくれてありがとう。この度は災難でしたわね。異母弟殿の不始末で、あなたにまで迷惑がかかるなんて」
「はい……、本当に、予想だにしておりませんで……」
「でも本当に災難だったのは、被害者の女性達ですけれど。ネクサス伯爵家が進んで私財を投げうって、陰ながら被害者救済に尽力してくださるとの申し出には、感謝しておりますのよ?」
(王妃様、笑顔で仰っておられますが、今のは完全に嫌みですよね?)
カテリーナが密かにレナーテに同情していると、レナーテは顔を青ざめさせながら必死に言い募った。
「は、はい……。兄は金品や労力は惜しまないと申しておりますし、私も父にこれ以上好き勝手はさせないように致しますので、何卒、ネクサス伯爵家とアーロンの事を、宜しくお願い致します」
「勿論です。ネクサス伯爵家がアーロンの後見をできなくなったとしても、アーロンの婚約者であるマリーリカのローガルド公爵家、私の実家のキャレイド公爵家、妹の嫁ぎ先のシェーグレン公爵家が、アーロンの後見を致します。そうよね? ナジェーク」
「はい。私が王太子殿下の筆頭補佐官である以上、全力で殿下をお支えいたします。結婚の報告に出向いて、思いがけずレナーテ様にご挨拶できて幸いでした」
「結婚……」
緊張でそれどころではなかったらしいレナーテは、笑顔で交わされた内容を聞いて漸くナジェークとカテリーナに気がついたらしく、驚きに目を見張った。そして次の瞬間、カテリーナに向かって勢いよく頭を下げる。
「あ、あのっ! カテリーナ様! この度は異母弟がカテリーナ様に対して大変なご無礼を働き、ご迷惑をおかけして、真に申し訳ございませんでした! 心よりお詫び申し上げます!」
(レナーテ様にしてみれば完全なとばっちりだし、あちこちから非難されて、アーロン殿下の立場をなんとか守ろうと、あちこちに平身低頭で詫びを入れて神経をすり減らしているのよね。それについては本当に同情するけれど……、これはちょっと駄目だわ)
カテリーナとしては、通常であればそのような謝罪の言葉を受け入れ、気にしないように宥める言葉の一つもかけるところではあったが、事情が事情、かつ王妃の目の前という事もあり、真顔で言い返した。
結婚式を翌週に控えた休日。カテリーナはナジェークに伴われて、後宮に出向いた。その豪奢で静まり返った廊下を歩きながらカテリーナが愚痴っぽく呟くと、横を歩くナジェークが小声で宥めてくる。
「そう言わずに。公式の場で、両陛下に謁見するわけではないから。気楽にお会いすれば良いさ」
「ええ、あくまでも私的に、後宮の私室に、王妃陛下に事前に結婚のご報告とご挨拶に伺うだけよね? でも普通の貴族だったら、こんな事はしませんけど?」
「あいにくと、うちは普通の貴族ではないからね」
「そうでしょうね……。血の繋がった伯母と甥の関係ですものね……」
もう何度目になるか分からない溜め息を吐いたカテリーナは、肩を落として項垂れた。そして後宮内を先導されて進むうちに、マグダレーナの私室にたどり着く。
「マグダレーナ様。ナジェーク様とカテリーナ様がいらっしゃいました」
「それではお茶の支度を済ませたら、人払いをお願い」
「畏まりました」
女官に促されて入った室内では、マグダレーナがソファーに座って二人を待ち構えていた。そこで恭しく挨拶をした二人を促し、向かい側の席を手で示して座らせる。
「ナジェーク、カテリーナ。挙式を控えて色々忙しい時期なのに、呼び立ててごめんなさいね?」
「お気遣いなく。元々王妃陛下には、個人的にご挨拶に伺うつもりでおりました」
「きちんとご挨拶するお時間をいただきまして、ありがとうございます」
「そう言って貰えて嬉しいわ。王妃の身では、一貴族の結婚式や披露宴に出席したりしたら、他の貴族から『どうして我が家には来ていただけないのか』と不平不満が上がりかねないもの。とはいえナジェークがまともに結婚できるかどうか心配だったから、貰い手があって本当に安堵したわ」
妙にしみじみとした口調でマグダレーナが口にした内容を聞いて、ナジェークが些か気分を害したように言葉を返す。
「お言葉ですが王妃陛下。私の事を、それほど結婚するのに難ありと思っておられたのですか? 些か不本意なのですが」
しかし甥の訴えに、マグダレーナは事も無げに返す。
「だって親戚一同を見回すと、あなたが一番兄上に似ているのだもの。兄上は子供の頃からネシーナに目を付けて、親兄弟にも内密に外堀内堀を埋めてこっそり囲い込んでいたけど、あなたったらそんな気配もなかったし。引き取り手があるのかと、本当に心配していたのよ?」
「……確かに親戚の方々と顔を会わせると、最近、益々伯父上に似てきたなと言われておりますが」
なんとも言えない表情になったナジェークを見て、カテリーナは思わず考え込む。
(あのキャレイド公爵って、一見人当たりが良さそうな顔をして、裏で一体何をしてきたのかしら? でもそんな人が、これからは義理の伯父……。今は、考えないようにしておきましょう)
それから少しの間、マグダレーナとナジェークは気安く言葉を交わしていた。カテリーナも二人の会話に相槌を打ちながら時折会話に加わり、それなりに緊張が解れていたところで、女官が現れてマグダレーナに報告してくる。
「王妃様、失礼いたします。レナーテ様が、後宮から退出するご挨拶に参りました」
それを聞いたマグダレーナは、些かわざとらしく驚いてみせた。
「まあ! もうそんな時間だったの? 楽しくて、つい話し込んでしまったわ。レナーテを待たせるのも申し訳ないから、こちらに通して頂戴」
「畏まりました」
(え? まさかとは思うけど、予定が重なっていた? もしくは私達が、滞在予定時間を超過したの?)
分刻みであろう王妃のスケジュール管理を狂わせたのかとカテリーナは一瞬焦ったが、目に入った置時計の時刻を確認し、隣に座っているナジェークが平然としている事から、すぐに落ち着きを取り戻した。
(いいえ、どちらの可能性もないわね。王妃陛下のスケジュールは、二重三重に女官や官吏が調整管理しているもの。それにまだ話し始めて、精々20分足らずだもの。ナジェークは悠然と話していたし、少なくとも30分程度は私達との面談に時間を割いてくれていた筈よ)
そう推察したカテリーナは、再び何事もなかったかのように談笑し始めたマグダレーナとナジェークを眺めながら、考えを巡らせる。
(そうなると……、わざとレナーテ様がいらっしゃる時間に私達との面談をぶつけたか、もしくはその逆か。王妃様は、何をお考えになっておられるのかしら?)
どちらにしてもマグダレーナの思惑通りなのは確実であり、カテリーナは黙って事態の推移を見守ることにした。
「失礼いたします。レナーテ様をお連れしました」
「お入りなさい」
先程の女官がすぐにレナーテを伴って戻り、硬い表情で入室したレナーテは、ソファーに座っているマグダレーナに向かって一礼した。
「王妃様、この度はお時間を頂き、ありがとうございます」
それを見たカテリーナは反射的に立ち上がりかけたが、左手を強く握られ、更に脚に強く押し付けられて驚いて振り返る。
(え? 王妃様はともかく、私達まで座ったままで、挨拶しなくて良いの?)
目線で問いかけたものの、ナジェークは彼女の手を掴んだまま平然と微笑んでおり、カテリーナは動きを止めておとなしく座っていることにした。そんな中、マグダレーナが優しく声をかける。
「わざわざ挨拶に来てくれてありがとう。この度は災難でしたわね。異母弟殿の不始末で、あなたにまで迷惑がかかるなんて」
「はい……、本当に、予想だにしておりませんで……」
「でも本当に災難だったのは、被害者の女性達ですけれど。ネクサス伯爵家が進んで私財を投げうって、陰ながら被害者救済に尽力してくださるとの申し出には、感謝しておりますのよ?」
(王妃様、笑顔で仰っておられますが、今のは完全に嫌みですよね?)
カテリーナが密かにレナーテに同情していると、レナーテは顔を青ざめさせながら必死に言い募った。
「は、はい……。兄は金品や労力は惜しまないと申しておりますし、私も父にこれ以上好き勝手はさせないように致しますので、何卒、ネクサス伯爵家とアーロンの事を、宜しくお願い致します」
「勿論です。ネクサス伯爵家がアーロンの後見をできなくなったとしても、アーロンの婚約者であるマリーリカのローガルド公爵家、私の実家のキャレイド公爵家、妹の嫁ぎ先のシェーグレン公爵家が、アーロンの後見を致します。そうよね? ナジェーク」
「はい。私が王太子殿下の筆頭補佐官である以上、全力で殿下をお支えいたします。結婚の報告に出向いて、思いがけずレナーテ様にご挨拶できて幸いでした」
「結婚……」
緊張でそれどころではなかったらしいレナーテは、笑顔で交わされた内容を聞いて漸くナジェークとカテリーナに気がついたらしく、驚きに目を見張った。そして次の瞬間、カテリーナに向かって勢いよく頭を下げる。
「あ、あのっ! カテリーナ様! この度は異母弟がカテリーナ様に対して大変なご無礼を働き、ご迷惑をおかけして、真に申し訳ございませんでした! 心よりお詫び申し上げます!」
(レナーテ様にしてみれば完全なとばっちりだし、あちこちから非難されて、アーロン殿下の立場をなんとか守ろうと、あちこちに平身低頭で詫びを入れて神経をすり減らしているのよね。それについては本当に同情するけれど……、これはちょっと駄目だわ)
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