その華の名は

篠原皐月

(26)微妙な人間関係

 順調に結婚の日が迫っていく中で、やはり当人が確認する必要がある事が多々あり、カテリーナは通常の月より多めに取得している休暇の1日を利用して、シェーグレン公爵邸に出向いた。

「はぁ……、やっぱり緊張するわね。これから暮らすことになるとはいえ、赤の他人の屋敷だし。……当たり前すぎるけど」
 馬車の中でカテリーナが愚痴っぽく呟くと、同行しているルイザが苦笑まじりに応じる。

「仕方がありませんね。これからお暮らしになる場所なので、慣れてくださいとしか言えません。奥様に昨夜も懇願されましたが、こればかりは私にはどうしようもありませんから。カテリーナ様であれば、大丈夫だと思っております」
「ルイザにそう言ってもらえると、幾らか気は楽だけど。それで、お母様がどうかしたの?」
 懇願とは穏やかではないと思いながらカテリーナが尋ねると、ルイザが溜め息を吐いてから神妙に話し出した。

「カテリーナ様のご結婚の日が近づくにつれ、段々情緒不安定におなりです。昨晩は『カテリーナがシェーグレン公爵家でちゃんとやっていけるかどうか、心配で心配で夜も眠れない。どうか娘の事をくれぐれもよろしくお願いします。カテリーナに付いていってくれる、あなただけが頼りなのよ!』と涙目で縋り付かれました」
「……知らなかったわ。大丈夫だったの?」
 予想外の話に、カテリーナは思わず母とルイザの両者が心配になった。すると彼女を安心させるように、ルイザが苦笑いで応じる。

「あまり大丈夫ではなかったので、イーリス様付きの皆様と一緒に宥めて、一時間くらいでなんとか落ち着いていただきました。朝食の席ではいつも通りのご様子でしたし、ご心配は不要かと」
「ごめんなさいね。少し前まで張り切って、というか、一心不乱に私の結婚準備に邁進していた姿しか見ていなかったから、そんな状態になっていたなんて予想もできなかったわ」
「準備の目処が立って安堵して気が緩んだのと、お式が間近に迫って急に不安に駆られただけでしょう。何日かすれば落ち着かれるだろうと、古参の皆様も仰っていました」
「それなら良いのだけどね……。お父様はなんだか日が経つごとに脱け殻っぽくなっているし……」
 ここで懸念するべきもう一人の事を思い出したカテリーナは、独り言のように口にした。しかしルイザが、大真面目に断言する。

「旦那様は大丈夫でしょう。あれなら間違っても、ナジェーク様に決闘を申し込んだりしないでしょうし。結婚式で乱闘騒ぎになる懸念が消えて、なによりかと」
「あまり大丈夫に思えないわ……」
 もうなんと言ったら良いか分からないカテリーナは肩を落とし、そんな会話をしているうちに馬車はシェーグレン公爵邸の敷地内に入った。


 二人が玄関から案内されて第一応接室に出向くと、ミレディアが彼女達を出迎えた。
「カテリーナさん、いらっしゃい。今日はあなたがこれから生活する部屋の説明と、あなた付きになるメイドを紹介するわね。それから、他に幾つか相談したい事があるの」
 笑顔で語りかけられたカテリーナは、僅かに緊張しながら頭を下げた。

「はい、ミレディア様。こちらこそ、よろしくお願いします。我が家からはこちらのルイザが私と一緒にこちらに参ります」
 そしてカテリーナが後方に控えているルイザを紹介し、ルイザが恭しく頭を下げる。

「ルイザ・フォシーガと申します。これからよろしくお願いいたします」
「こちらこそよろしく。色々大変だとは思うけど、頑張ってください」
(ルイザは元々シェーグレン公爵領の館勤めだと聞いていたけど、女主人であるミレディア様と直接の接触はなかったのかしら?)
 まるで初対面の挨拶にカテリーナは少し不思議に思ったが、全ての使用人を把握しきれないのは不自然でないことから、そこで追求はしなかった。
 それからカテリーナとミレディアがソファーに向かい合って座り、お茶を飲みながら幾つかの項目について確認を済ませた後、頃合いをみてミレディアが室内に控えていたメイド長に声をかける。
 
「それでは部屋に案内させましょう。こちらがメイド長のロージアです。ロージア、お願いできる?」
「畏まりました」
「よろしくお願いします」
「お任せください」
 ちょうどお茶を飲み終わったカテリーナは立ち上がり、ロージアに声をかけた。するとここで、ミレディアが予想外の事を言い出す。

「それから、お部屋の説明が済んだら、娘達があなたとお話ししたいと言っているの。少し付き合って貰えるかしら?」
「……はい、喜んで」
(何となく、そうなる気はしていたのよね。しかも『娘達』って、エセリア様だけではなくコーネリア様もおられるのね……)
 笑顔で促されたカテリーナに、ミレディアの要請を拒否する権利はなかった。

「それでは、後の事はお願い。カテリーナ達へ部屋の案内と説明が済んだら、第二応接室に案内してね」
「そのように取り計らいます」
 そのやり取りを契機に、カテリーナはルイザを連れて、ロージアの後について歩き出した。


「カテリーナ様。こちらに控えているのが、カテリーナ様専属になるメイドのニーナとジェシカになります」
 今後、自分が使うことになる居間や書斎、寝室や衣装部屋に至るまできちんと説明されたカテリーナは、戻ってきた居間でロージアから二人の女性を紹介された。すると年配の女性が、恭しく頭を下げて挨拶してくる。

「カテリーナ様、初めてお目にかかります。ニーナ・ジルバンと申します。何かご不明な点があれば、遠慮なくお尋ねください」
「ニーナは長年この公爵邸に勤めており、この屋敷の事であれば詳細まで熟知しております」
「カテリーナ・ヴァン・ガロアです。屋敷内の事で分からない事は多々あると思います。これからよろしくお願いします」
 ニーナの挨拶に続けたロージアの説明を聞いて、カテリーナは納得した。

(かなりのベテランを付けていただく事になるわけね。まあ半分はお目付け役というか、ご意見番みたいな立ち位置でしょうけど)
 そんな事を考えながら失礼のない程度に相手を観察していると、カテリーナより少しだけ年上に見える、若いメイドが挨拶紹介してくる。

「カテリーナ様、ジェシカ・ランターと申します。こちらのお屋敷に勤め始めては浅いのですが、この度、カテリーナ様付き専属メイドに抜擢していただきました。精一杯カテリーナ様にお仕えしますので、よろしくお願いします」
「ジェシカは確かにこちらでの勤務は短いですが、他の屋敷で一時期パーラーメイドをしていた事もあり、更にこの間の働きぶりを見てカテリーナ様付きにいたしました。この屋敷に長く勤めているものだけでは、思考パターンや価値観が偏ってしまう可能性があります。この機会に若手を育てつつ、カテリーナ様と共に新しい家風を作って貰えればとの、奥様のご意向です」
「お心遣い、ありがとうございます」
 ロージアの説明を聞いたカテリーナは、改めてミレディアに尊敬の念を覚えた。

(家中の主導権を握りたいなら、私の周りには自分に忠実な使用人で固めて、私の意向を抑えようとするわよね。それなのに若手を抜擢って……。有能さは未知数だけど、この気迫や表情。ものすごく、真摯に仕えてくれそうな意欲が伝わってくるし)
 半ば感心しながら、カテリーナはジェシカを眺めていた。そしてカテリーナが推察した通り、ジェシカはこの話に狂喜乱舞して意気込んでいた。

(打診があった時は驚いたけど、まさか本当に新参者のキッチンメイドを、若奥様付きの専属メイドに抜擢してくれるなんて! お給金が跳ね上がるし、実家への仕送りが増やせるわ! あの時、アルトーさんの話に乗って、ダマールに下剤を盛って正解だったわ! ダマールは悪行が露見して捕まったそうだし、あのままカモスタット伯爵邸にいても、良いことなんか皆無だったわよ。二重の意味で幸運のきっかけであるカテリーナ様に、一生誠心誠意お仕えするわ!)
 高笑いしたいのを堪えつつ、ジェシカは満面の笑みでカテリーナに申し出る。

「カテリーナ様、なんでも遠慮なくお申し出ください! お心に沿うように全力を尽くしますので!」
「え、ええ……、よろしくね」
 何やら妙な迫力を醸し出しつつ主張してくるジェシカに、カテリーナは若干気圧されながら頷いた。

(ガロア侯爵家から付いてくるルイザと、ベテランのニーナと新人のジェシカで、バランスが取れていると言えば取れているのかしら? ちゃんと纏まってくれるとは思うけど……)
 少々不安を覚えたカテリーナだったが、ここでロージアに促され、その不安を打ち消しながらエセリア達が待つ第二応接室に向かった。


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