その華の名は

篠原皐月

(25)過去の因縁と隔意

「二十年近く前の話になるが……、当時結婚後6年を経過しても王妃陛下がご懐妊されず、周囲から側妃を後宮に入れるよう国王陛下への進言が相次いでいたんだ」
「……仕方がない事ではあるわね」
 微妙過ぎる内容に無意識に眉間にしわを寄せたものの、当事者の甥が目の前に存在していることから、カテリーナは控え目に頷いた。対するナジェークも、事務的に話を進める。

「ああ。その時仕方なくその進言を受け入れた陛下は、その選定を王妃陛下に一任した。それで王妃陛下は当時の社交界での力関係や有益性、その家に未婚で婚約者がいない令嬢の有無を考慮して、バスアディ伯爵家とネクサス伯爵家に側妃を出してもらえるかどうかの打診をした。幸い両家は、喜んで側妃として娘を出すと快諾してきたんだ」
「それでディオーネ様とレナーテ様が、まず側妃として入られたのよね」
「実は両陛下は、ネクサス伯爵家からは、レナーテ様の妹であるアルネー様が側妃として出されると思っていたんだ。レナーテ様は既に分家の嫡男と婚約していて、何ヵ月か後に婚姻を控えていたのでね」
 いきなり話が予想外の流れになり、カテリーナは慌てて口を挟んだ。

「え? ちょっと待って。それではネクサス伯爵家は、レナーテ様の婚約を破棄して側妃として王宮に送り込んだの?」
「厳密に言えば、少々対外的な事情は異なる。娘を側妃にするために婚約破棄したなどと陛下の耳に入ったら、心証を害されるかもしれないと推察した前伯爵は、王家には『レナーテの婚約者が心変わりをして娘が一方的に婚約破棄されてしまい、今更他と縁を繋ぐのも難しく、是非とも側妃として後宮に入れて欲しい』と涙ながらに懇願したそうだ」
「分家が本家の令嬢との婚約を、自分の都合で破棄できるわけないじゃない。前伯爵って頭がおかしいんじゃないの?」
 呆れ果てながらカテリーナが断言すると、ナジェークも初めて話を聞いた時は同様の心境だったらしく、小さく肩を竦めてみせる。

「君が言う通りだな。その頃には真相が両陛下に筒抜けになっていたし。両陛下はさぞかししらけながら、その訴えを聞いていたことだろう」
「その真相とやらは、どういう事なの」
「レナーテ様の婚約者だったディラン殿と、その父親である分家筆頭の当主を呼び出し、ディラン殿が他に女性を作ったことにして、『レナーテや本家には全く非のない形で婚約は解消する。ただほとぼりが冷めたら、お前が改心してくだらん女と別れたと公表した後で、私が温情をかける形でアルネーをくれてやる。今まで以上に本家の為に励め』と言い放ったそうだ。その時点でアルネー様は十四歳で、側妃として入れるまで数年かかるから、バスアディ伯爵家に後れを取ると判断した前伯爵の野心は分からないでもないが……」
「それにしたって! その婚約者親子に事情を説明して、頭を下げて婚約を解消して貰うならともかく、一方的に相手を悪者にした挙げ句、他の娘をくれてやるから今まで通り自分達に仕えろとは何事よ!? ふざけるんじゃないわ!!」
 前ネクサス伯爵の身勝手さに、カテリーナは本気で腹を立てた。そんな彼女に向かって、ナジェークが重々しく告げる。

「ああ。君の言うとおり、その親子も憤慨した。しかし一応分家として領地管理を任されている身で、本家の意向には逆らえない。彼らがそんな憤懣やるかたない思いをしている時に、王妃陛下の依頼を受けたリロイ伯父上が、密かにネクサス伯爵領に出向いたんだ」
「……え? あのキャレイド公爵が?」
 なんとなく嫌な予感がしてきたカテリーナが慎重に問い返すと、ナジェークからは意外な言葉が返ってくる。

「当時はまだ代替わりをしていなくて、嫡男だったが。そして憤慨している彼らに、こう言ったそうだ。『今回の事で婚約破棄に至るなどとは予想しておらず、両陛下は大変心を痛めておられる。このままこの領地にいても不愉快な思いをするばかりか、対外的に悪者にされたあなた達が、更なる無理難題を押し付けられるかもしれない。一家全員身の立つようにキャレイド公爵家が全面的に後見するので、王都に出てこないか』とね」
「それはまた……、随分思い切った提案をされたわね……。それに、ディランって、まさか……」
 ここで先程から聞いていた名前と、同じ名前の人物を思い浮かべたカテリーナだったが、ナジェークはあっさりとその推測を肯定した。

「そう、近衛騎士団のディラン隊長は、弟妹全員と共に前キャレイド公爵の養子になって、ディラン・ヴァン・キャレイドとして近衛騎士団に入団したんだ。恐れ多いということで、結婚後はキャレイド公爵家の籍からは抜けて、ディラン・キャレイドと名乗っているが」
「なんだかキャレイド侯爵家って、養子が多そうね」
「私の記憶にある頃から、訪問する度に養子が増えていて人が入れ替わっていたからね。伯父上があちこちで有能な人間を見つけて拾ってくるらしく、若い頃は父の養子にして義理の兄弟に、家督を譲られてからは自分の養子にしている。全員覚えるのは無理だし、覚える必要もないから。私もとっくに諦めている」
「ディラン隊長のように、最低限覚えておく必要がある人だけ教えて。それでディラン隊長のご一家は、ネクサス伯爵領を出奔したわけね」
 それではキャレイド公爵家に対して、絶大な恩があるわねとカテリーナは納得したが、ナジェークの予想外の話はまだまだ続いた。

「ああ。分家設立以来、これまで数十年に渡ってその家で管理していた領地の住民台帳や収税記録、商人との取引台帳など保管しているありとあらゆる記録簿を使用人に庭に運び出させて燃やした上で、ありったけの現金を使用人に退職金として分配して、殆ど身一つでね。なかなか気概のあるご当主だったらしい」
 その行為の非常識さと重要性をしっかりと理解できたカテリーナの顔から、一気に血の気が引いた。

「ちょっと! そんな事を本当にしたの! そんな事を実行したら一大事じゃない! 領地にどれだけの領民がいて、どれだけ収穫があって利益が出ていたかも分からなくなるわけよね? その地域の税の徴収がままならなくなる可能だってあるわよ?」
「その通りだ。その家が管理を任されていたのはネクサス伯爵領の一部だが、分家筆頭だけあってかなりの広さだったらしく、一から色々調べ直す羽目になり、税収も下がって前ネクサス伯爵は激怒したらしい。多少の金品を持ち出すより、効果的な意趣返しだな」
「呆れた……。絶対、ディラン隊長一家の動向を探って、報復しようとしたわよね?」
「真っ先にディラン隊長が近衛騎士団に入団しているのが判明しただろうが、キャレイド公爵家、更には王妃陛下が後見しているのに、どうこうできると思うかい?」
 そう言っておかしそうにくすくすと笑い出したナジェークを見て、カテリーナはがっくりと肩を落として呟く。

「……どう考えても無理よね。あの手この手で水面下で蹴散らしたのが、容易に想像できるわ」
「ああ。ディラン隊長は順調に一騎士から出世されたし、ご両親はキャレイド公爵領で穏やかな余生を過ごしておられるそうだ」
「その一連の出来事が、両陛下のネクサス伯爵家に対する『隔意』なの?」
 カテリーナがそう話を纏め、ナジェークが深く頷く。
 
「自分達が招いてしまった事態とはいえ、自分より立場が弱い者を理不尽に虐げる行為を、両陛下は快く思われなかった。結局レナーテ様を側妃として迎えてからも、それは変わらなかったわけだ」
「その水面下の思いが、今回一気に表面化したわけね」
「ああ。当時の事情を薄々察していた者は納得しているし、残っている他の二人の側妃の実家も、疑心暗鬼に陥っているのではないかな? ディオーネ様とレナーテ様に続けて、次に切り捨てられるのは自分達ではないか、とね」
「ネクサス伯爵家みたいに増長するとこうなるぞという、ある意味、良い見せしめになったわけ?」
「そうだな。早速、ネクサス伯爵家にまとわりついていた家が、次にどこに付けば良いかと周章狼狽しているらしい」
 ナジェークが含み笑いで語った内容に、カテリーナは微塵も同情しなかった。

「御愁傷様としか言いようがないわね。それにしても……、単なる怨恨絡みの襲撃計画が、こんなとんでもない、側妃の実家の傾斜話に繋がるなんて……」
「君は既に、国の中枢を担う家の一員だからね」
「もう本当に勘弁して……」
 本当に早まったのかもしれないと、カテリーナは自分の判断をほんの少しだけ後悔したのだった。


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