その華の名は

篠原皐月

(21)カテリーナの怒り

(刃を向けられているけど、引く動作をさせなければ良いし、タイミングを合わせてできるだけ後ろに身体を反らせば大事には至らないはず。本当に危ない時は団長達がフォローしてくれるし、直にやり返さないと気が済まないわ!)
 頭の中で算段を整えたカテリーナは、強く拳を握って第2関節と指の根本の間に嵌まっているメリケンサックの感触を確かめた。次の瞬間、右腕を前方に向かって勢い良く振り上げる。

「おい! さっきから何をぐちゃぐちゃ……、ぐぁあぁぁっ!」
 振り上げると同時に肘と手首を自然に曲がるだけ曲げた結果、カテリーナの拳は彼女の右斜め上方に移動し、メリケンサックをつけた面がかなりの勢いでローレンの鼻に激突した。その衝撃と痛みでローレンは悲鳴を上げ、反射的に短剣を取り落とし、両手で顔面を覆って前傾姿勢で呻く。

「き、貴様……、何を……」
「ローレン殿!」
 騎士達に注意を向けているうちに、至近距離で行われた暴挙にダマールは驚愕した視線を向けてきたが、カテリーナはそのまま次の動作に移った。

「くたばれ!! 女の敵!!」
「ぐほぁっ!!」
 叫びながら、無防備な状態のローレンの顎に向かって、カテリーナが渾身の力を込めて下から拳を繰り出す。それは防がれる事はなくまともにローレンの顎をとらえ、その衝撃で彼は呆気なく地面に転がり、ピクリとも動かなくなった。

「ローレン殿! 貴様!!」
「カテリーナ!」
「ぐあっ!」
 ここでダマールが血相を変えて駆けりつつカテリーナに向けて剣を振りかぶったが、ラドクリフの注意を促す叫びと共に、一直線に飛来した矢がダマールの太腿に突き刺さった。ダマールが堪らず呻き声を上げて動きを止めると同時に、カテリーナはブーツの内側に仕込んでおいた特殊警棒を取り出し、すかさず先端部を引き出して固定する。その動作を一秒足らずの速さでやってのけた彼女は、両手で特殊警棒を握りながらダマールとの距離を更に詰めた。

「このっ!」
「はぁあぁぁっ!!」
 接近してきたカテリーナを見てダナールは反射的に剣を身体の前で構えたが、彼女は特殊警棒でその剣を薙ぎ払った。そしてローレンに続き、ダマールの左頬に体重を乗せた一撃を叩き込む。

「もらったぁあぁっ!」
「うごぉっ!」
 カテリーナの拳をまともに喰らったダマールは、無様に仰向けに転がった。

「……このっ、ぐあっ!」
「腐れ野郎を倒すのに剣を使うなんて勿体ないし、第一、剣に失礼よ。そもそもあなたにも、その手に剣を持つ資格なんてないわ」
「…………っ」
(はぁ……、すっきりした。ある意味、すっきりしないけど)
 往生際が悪いダマールは、先程取り落とした剣に右手を伸ばして反撃しようとしたが、それを手にする前にカテリーナに右手を踏まれ、乱暴に踏みにじられながら冷たく吐き捨てられた。対するカテリーナは憮然としながらダマールを見下ろしていたが、ここで呆れ気味の声がかけられる。

「カテリーナ……、人質としては、もう少しおとなしくして貰いたかったな……。ジェフリーに今日の事を尋ねられたら、なんと言えば良いのやら」
 頭痛を堪える表情で訴えてきたランドルフに、カテリーナが真顔で答える。 

「騎士団の皆様が、颯爽と私を救出してくださったと話せば良いだけではありませんか? ディラン隊長、先程はありがとうございました」
「……いや、大したことはしていないから。お前達、さっさとこの連中を捕縛しろ」
「はっ、はい!」
「すぐにやります!」
 ダマールの脚に命中した矢が飛来した方向から、その射手がディランしかありえないと分かっていたカテリーナは、軽く頭を下げて礼を述べた。対するディランは僅かに口元を引くつかせながら応じ、部下達に指示を出す。そして騎士達は慌ただしく男達を縛り上げながら、小声で囁き合った。

「俺達に至っては、何もしてないよな」
「噂では聞いていたが、聞きしに勝る鉄拳制裁」
「石像を木っ端微塵にしたというのは、本当らしい」
 その囁きをカテリーナが平常心で聞き流していると、全員を捕縛し終えたのを確認したラドクリフが、続けて指示を出した。

「さて、この場を撤収するぞ。隠してある荷馬車を持ってこい。全員王宮に連行する。ディランとガスパルとアレクはその偽装馬車でカテリーナを送っていけ」
 しかしここで団長の指示に、異論を唱えた者がいた。

「お言葉ですが、団長。彼女をガロア侯爵邸に送り届ける役目は、団長にお願いします。ガロア侯爵夫妻への報告は、以前からの知己である団長が行うのが一番波風が立たないと思われますので」
 そのディランの進言に、ラドクリフは僅かに狼狽しながら反論しようとする。

「いや、ディラン。私はこれから王宮に戻って、諸々の方面に説明する必要があってだな」
「そういう事情であれば、ガロア侯爵夫妻も早々に解放してくださるでしょう。元近衛騎士が関わっていたなどと知れたら、私などが出向いたら詳細を問い詰められて、一晩中解放していただけなくなる可能性がありますので」
「だからディラン、ちょっと待て!」
「さあ、撤収だ! 完全に日が沈むまでに片付けるぞ!」
「はい、ディラン隊長!」
「ほら、お前ら、さっさと歩け!」
「まだこいつ気を失ってるぞ」
「しかたない、荷馬車まで引きずっていけ」
 どうやら騎士達は最高責任者の意向ではなく、直属の上司であるディランのそれを優先する気らしく、ディランの指示に従ってきびきびと動き始めた。それを見てがっくりと項垂れたラドクリフに、カテリーナは気になった事を尋ねてみる。

「あの……、あの小屋の調査は良いんですか?」
 するとラドクリフは、苦笑いでそれに答える。
「ああ。実は君達が来る前に調査は済ませて、諸々の証拠は全て確保済みだ。あの商人は目隠し猿ぐつわをして離れた場所の荷馬車に放置しておいたから、それは知らなかったがね。それで君達の到着の頃合いをみて、商人を連れて付近で待機していたわけだ」
「そうでしたか……」
 良いように利用された気がして面白くなかったものの、取り敢えず王都から悪党が排除できたことで良かったと思おうと、カテリーナは自分に言い聞かせた。

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