その華の名は

篠原皐月

(17)思わぬ人脈

 ナジェークから警告されたものの、それからは特に異常はない日々が続き、馬車担当のシェーグレン公爵家の騎士や御者とも顔見知りになって親しく言葉を交わすようになった頃。カテリーナはユリーゼや他の男性近衛騎士達と共に、マグダレーナの視察に警備担当として同行した。

「カテリーナ、今日はお疲れ様」
 無事に王宮へ帰還し、後宮でそこの警備担当者と交代した二人は、騎士団の執務棟に雑談をしながら向かった。

「隊長こそ、お疲れさまでした。それにしても王妃陛下の外部視察は久々でしたね。最近、色々ありましたから」
「そうね。あの婚約破棄騒動がやっと沈静化して、通常の状態が戻ってきて嬉しいわ。カテリーナも私も結婚を控えているから、これから忙しくなるだろうけど」
「そうですね」
 そこでお互いに苦笑してから、ユリーゼが思い出したように言い出す。

「そういえば……、先月開かれたシェーグレン公爵家の夜会に私の両親が招待されたのは、あなたが気を利かせてくれたからなの?」
「いえ、本当に申し訳ありませんが、私は隊長の実家の事も良く知ってはいませんでしたし……」
「それはそうよね。そんな繋がりで招待したりしたら、人数がすごいことになってしまうのが、私にだって分かるもの」
 カテリーナの話に素直に頷きながらも、ユリーゼは不思議そうに続ける。

「でも、それならどうしてなのかしらね? 三日前の休暇に結婚準備で実家に戻った時、両親からうるさく言われたのよ。『ご縁を繋いでくれたカテリーナ様に、最大限の便宜を図るように』って」
「煩わしい思いをさせてしまい、申し訳ありません」
 露骨すぎる利益誘導指示に、自身が悪いわけではないものの、カテリーナは思わず頭を下げた。それをユリーゼは笑って宥める。

「気にしないで。両親が勝手に勘違いしているだけだし、休暇に関しても運用に無理が出ず、他の隊員から苦情がでない範囲で調整しているから。それは元々隊長業務の一つだもの」
 そこでカテリーナは、クアゼルム男爵夫妻がその夜会に招待された理由について、詳細をぼかしながら説明してみた。

「正確な所は不明ですが、男爵領の生産物で有益な物があるらしいと会場で小耳に挟みました。男爵家とお近づきになって取り引きしたい商会とかが、シェーグレン公爵家に働きかけたとかではないですか?」
「そう言えば……、確かに何人もの方と繋がりができたとほくほく顔で話していたし、商談に関して何か耳にした気もするわ。両親が嬉々として延々と話し続けるので、最後は聞き流してしまっていたけど」
「お疲れ様でした」
「終始ご機嫌だったから、居心地は良かったわ。あ、そう言えば結婚式当日の他に、前日と翌日の連続三日間の休暇だけで本当に良かったの?」
「はい、勿論です。あの……、もしかして前代未聞だと、他の隊長達から何かクレームでも入りました
か?」
 唐突に休暇の話になりカテリーナは心配しながら確認を入れたが、ユリーゼは真顔で断言する。

「それはないから安心して。というか、これまでも結婚する場合はそれくらい休んでいるわよ。もっと連続休暇を取る人だっているわ。ただこれまでは、女性騎士は結婚と同時に辞職するのが慣例だったから、奇異の目で見られているだけよ」
「それは重々承知しています」
 そんな話をしながら歩いていると、執務棟に近い曲がり角で、斜め前を歩いていたユリーゼと出会い頭に衝突した人物がいた。

「うおっ、と!」
「きゃっ!」
「え? 隊長!」
 かなりの枚数の書類が廊下に舞い散る音と共に、低い男性の声がかけられる。

「すまん。ユリーゼ隊長、大丈夫か?」
「はい、ちょっと当たっただけですので、怪我もありません」
「悪かった、やはり歩きながら書類に目を通すのは止めた方が良いな」
 衝突した拍子にユリーゼが斜め後ろに倒れかけ、反射的にカテリーナが支えようとしたものの、相手が素早く彼女の両肩をつかんで支えて事なきを得た。それを見て安堵したカテリーナは、すぐさま二人と共に屈んで廊下に散乱した書類を集め始める。

「ディラン隊長はいつもお忙しそうですね。これは財務局に提出する書類ですか?」
「ああ。『自分がするよりお前が折衝する方が予算が通りやすいから頼む』と、例によって例のごとく団長に押し付けられた」
「本当にご苦労様です」
(ディラン隊長は次期団長筆頭候補に目されているくらい、有能な方だものね。ジャスティン兄様が二十代半ばで隊長に抜擢されるまで、この方が三十そこそこで隊長に就任したのが最速記録だった筈だし。そう言えば……、ディラン隊長のお名前は、ディラン・キャレイドではなかったかしら?)
 世間話のように交わされる会話を聞きながらカテリーナは書類を集めていたが、ふと最近耳にした家名と目の前の人物との関連性に気づいた。そして四十前後の男の顔をしげしげと眺めていると、書類を拾いながら自然にカテリーナに近づいた彼が、ユリーゼには聞こえない程度の小声で鋭く指示を出してくる。

「カテリーナ。今日の馬車は違うが、そのまま乗れ。安全は保証する」
「…………」
 それに咄嗟に反応できず、カテリーナは無言で目を見開いたが、落ちた書類を全て拾い終えたディランは素早く立ち上がり、何食わぬ顔で書類の点検を始めた。それでユリーゼとカテリーナも、集めた書類を彼に渡す。

「ディラン隊長、どうぞ。書類は揃っていますか?」
「こちらもどうぞ」
「ああ。……大丈夫なようだ。どうもありがとう。助かった」
 素早く順序を揃えて点検したディランが、満足げに頷く。そこでカテリーナは慎重に問いかけてみた。

「あの……、つかぬことをお伺いしますが、キャレイド隊長はキャレイド公爵家に縁の方なのですか?」
 その問いに、ディランは事も無げに答える。
「元々の親戚ではないが、縁あって前公爵の養子になったんだ。それで現公爵とは義理の兄弟の関係でね。ジャスティンと同様に結婚を期に貴族籍からは抜けさせて貰ったが、その後も親しく付き合いをしている」
「はぁ……、そういう事でしたか」
(それであれば信憑性が増すけど、一応確認を入れてみますか。話の流れ的に、無理がありすぎるけど)
 先程、予想外の指示を受けたばかりであり、ここでカテリーナは気が進まないながらも、念には念を入れてみることにした。

「ところでディラン隊長は、最近王都内で食べに出られていますか?」
「ああ、それなりに食べていると思うが。それがどうかしたか?」
「最近流行りの食事処やお勧めの店などあったら、教えていただきたいと思いまして」
 いきなり何を言い出すのかと、横でユリーゼが不審そうに自分を眺めているのが分かったカテリーナは冷や汗ものだった。しかしディランは、少々考え込む素振りを見せてから何気ない口調で答える。

「そうだな……。それならクラーク通りの気まま亭などが良いと思うぞ? お勧めの郷土料理がなかなか美味い」
「そうですか。ありがとうございます」
「それでは失礼する」
「はい、ご苦労様です」
(微塵も動ぜず、いかにもそれらしい口調と態度で流してくれたわね……。さすが次期団長筆頭候補。腹芸も業務のうちらしいわ……)
 カテリーナは、平然と自分の問いかけに応じたディランに舌を巻いた。すると彼がその場から立ち去ってから、この間唖然として二人の会話を聞いていたユリーゼが、困惑も露わに尋ねてくる。

「カテリーナ? いきなりディラン隊長に食事処の話なんかするから驚いたわ。一体何事なの?」
(普通はそうですよね……。私も普通であれば、ほぼ初対面の方にそんな質問はしませんから)
 盛大に弁解したい気持ちを抑えつつ、カテリーナはなんとかそれらしい理由を捻り出してみた。

「ええと……、それはですね。結婚しますとさすがにこれまで通り気楽に出かけるなんてできなくなりそうですから、今度の休日に買い物や食事を楽しんで来ようかと思いまして」
「それは、気持ちとしては分かるけど……」
「それでどうせならこれまで行っていないお店に足を運んでみたいなと思いましたが、常にそういう話題を出している友人達に聞いても、たいして変わり映えがしないかと考えていたものですから」
「それで、普段あまり接する事がないディラン隊長だったら、普段あなたが行っていないお店の情報を持っていると思って、咄嗟に尋ねてしまったの?」
「はい、その通りです」
 カテリーナの説明を聞いてユリーゼは少々驚いた様子だったが、すぐになんとも言えない表情になって深い溜め息を吐いた。

「カテリーナ。あなたやっぱりただ者ではないわね。良い意味でも悪い意味でも」
「…………はぁ」
 取り敢えずそれで話は終わったものの、カテリーナは(もう少し違和感のない合言葉を思い付かなかったわけ!?)と内心でナジェークに対して腹を立てていた。


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