その華の名は

篠原皐月

(7)思わぬ訪問者

 ナジェークとの婚約が成立後、カテリーナが休日に寮から侯爵邸に戻ると、出迎える面々の顔ぶれと雰囲気がいつもと異なることに疑問を覚えた。
「ただいま……。あの、どうかしたの? なんだか皆、顔つきが険しい気がするけど。それにお母様やリサ義姉様はお留守なのかしら?」
 その問いかけに、集まっていた使用人達を代表して執事の一人が答える。

「カテリーナ様。少し前に第一応接室にダトラール侯爵夫妻とエリーゼ様がいらっしゃいまして、ただいま旦那様と奥様が応対しております」
 それを聞いて本気で驚いたカテリーナは、慌てて問いを重ねた。

「え!? エリーゼ義姉様が出ていかれてからダトラール侯爵家とは没交渉だと聞いていたけど、私が把握していなかっただけで、実はやり取りや行き来があったの?」
「いえ、この間全くご連絡等はございませんでした。本日のご訪問も、昨日の午後に唐突にご都合伺いの知らせがきたくらいです」
「それなら一体どのような用件でいらしたのかしら? 第一、お義姉様はダトラール侯爵領の修道院に入ったと、人伝に聞いたとか言っていなかった? とにかく、挨拶をした方が良いのかしら? でもダトラール侯爵夫妻だと色々五月蝿そうだから、この制服を着替えた方が良いかも……。あなた達はお父様達から何か聞いていない?」
「それは……」
 対応に困ったカテリーナはその場にいた執事やメイド達に確認を入れたが、彼らは困惑顔で言葉を濁した。すると彼らの背後から現れたジュールが、固い表情のままカテリーナに指示してくる。

「カテリーナ、お前はこのまま自分の部屋に行っていろ。客人には挨拶をする必要はないと、父上からの伝言だ」
 取り敢えず父親からの指示は判明したものの、カテリーナは納得しかねる顔つきで兄に挨拶する。

「そうですか……。ジュール兄様、ただいま戻りました」
「ああ、お帰り。それで、あの三人がいきなりここに乗り込んできた理由だが、予想していた通りミリアーナとアイリーンをダトラール侯爵家で引き取ると言いに来たらしいな。今、茶を出してきたメイドに、話の内容を確認したところだ」
 それを聞いたカテリーナは、当惑してしまった。

「エリーゼ義姉様が自ら進んで離縁しからしばらく経ちますのに、今更ですか? それにどうしてジュール兄様は、そんな予想をしていたのですか?」
「最近、王妃陛下の甥であるナジェーク殿と、お前の婚約が纏まったからな。それを耳にしてから慌てて領地の修道院に押し込んでいた義姉上を王都に呼び戻して、こちらに押し掛けてきたのだろう。日数的に計算が合うな」
 渋面のジュールから説明されたものの、その意味するところが理解できなかったカテリーナは、困惑の色を深めながら兄に尋ねす。

「あの……、ジュール兄様。私の婚約とミリアーナ達には、何の関係もありませんよね?」
「今後はカテリーナを介して王妃様と縁戚になる、我が家との繋がりを少しでも保っておきたいと、慌ててすり寄って来たのに決まっている。ダトラール侯爵は以前、アーロン王太子殿下の母君レナーテ様のご実家であるネクサス伯爵家のご当主に、ご自身の妹を嫁がせた事で勢力を誇示していたが、その妹君は病死したのはお前も知っているだろう。その後ダトラール侯爵家は、ネクサス伯爵の再婚話に難癖をつけて先方から絶縁され、今現在明らかに権勢が下り坂だからな。ミリアーナ達の母や伯父夫婦として、我が家と良好な関係を保ちたいのだろう」
 ジュールが苦々しい口調で告げてきた内容を聞いて、カテリーナは無意識に顔を強張らせた。

「……ちょっと待ってください。それでは、血の繋がった姪だろうが娘だろうが、利用できるものは何でも利用するということですか?」
「浅ましい上に、腹立たしい事この上ないな。だがミリアーナとアイリーンの処遇に関しては、当主である父上が判断する事だ。我々が口を出すことではない」
「ですが、ジュール兄様!」
 思わず声を荒らげたカテリーナだったが、ここで走り寄る音とともに焦った声が聞こえてきた。

「ジュール様! あ、カテリーナ様! お帰りなさいませ!」
「ええ、ただいま。そんなに慌ててどうしたの?」
 カテリーナが不思議に思いながら駆け寄ってきたメイドに声をかけると、彼女はカテリーナとジュールを交互に見ながら固い表情で報告してくる。
「それが……、ただいまリサ様が旦那様に呼ばれまして、ミリアーナ様とアイリーン様を連れて、第一応接室に向かわれました」
 それを聞いたカテリーナは、瞬時に怒りを露わにしながら相手を問い質した。

「なんですって!? まさかお父様は『母娘は一緒に暮らすべきだ』とかの説得を真に受けて、二人をダトラール侯爵家に引き渡すつもりではないでしょうね!?」
「それは分かりかねます。指示されたメイドも詳細は聞いておらず、ただ連れてくるように伝えられただけで……。取り敢えず、ジュール様にお伝えしておこうかと」
「分かった。ありがとう」
 狼狽しながらメイドはジュールの顔色を伺い、彼が顔つきを険しくしながら応じる。そこでカテリーナは瞬時に腹を括って申し出た。

「ジュール兄様。やはり私、来客に挨拶するのを口実に、応接室の様子を見てきます」
「それは構わないが、私も一緒に行く。お前達は心配せずに、持ち場に戻ってくれ」
「畏まりました」
「それでは失礼します」
 ジュールは玄関ホールに集まっていた使用人達を解散させると、妹を伴って廊下を歩き出した。

「ジュール兄様」
 並んで歩く兄にカテリーナが小さく声をかけると、ジュールは前を見たまま淡々と告げてくる。
「最後まで言うな。ミリアーナとアイリーンは、もう俺とリサの娘も同様だ。万が一、お前がダトラール侯爵夫妻と義姉上相手に荒事に及ぶつもりでも、お前には何もさせん。寧ろ俺がやのが筋だろう」
「分かりました。なるべく理性を保つように心がけます」
「その努力だけで嬉しいよ」
 互いに苦笑いしながら廊下を進み、二人は第一応接室に到着した。そして顔を見合わせて頷いてからジュールがドアをノックする。しかし返事を待ったりせず、直後にドアを開けながらいつもの口調で室内に呼び掛けた。

「失礼します。カテリーナが戻りましたので、お客人への挨拶に連れて参りました」
「あなた……、カテリーナ……」
 そこでジュールとカテリーナの目に入ってきたのは、驚いた表情でソファーに座っている両親とダトラール侯爵夫妻。加えて彼らからドアに近い方でアイリーンを抱えたまま、どこか安堵したような表情で呟いたリサと、彼女のスカートを握り締めたまま振り返ったミリアーナ。その至近距離で、娘達に詰め寄っているように見えるエリーゼだった。

(うわぁ……、一から説明されなくても状況が一目で分かってしまうなんて、よほどの事だわね。なんて修羅場なの。巻き込まれたミリアーナとアイリーンが、本当に可哀想だわ)
 カテリーナが心底姪達に同情していると、慣れ親しんだ叔母を認めたミリアーナが、リサのスカートを掴んでいた手を放して嬉々としてカテリーナに駆け寄ってきた。

「カテリーナ!」
「ミリアーナ! 待ちなさい!」
 目の前から走り去られたエリーゼが叱りつけてきたが、ミリアーナは全く意に介さずカテリーナに抱き付いてきた。対するカテリーナも、エリーゼとダトラール侯爵夫妻をわざと無視しながら笑顔でミリアーナに話しかける。

「ミリアーナ、今戻ったわ。元気にしていた? また遊びましょうね」
「うん!」
「今日はお土産があるのよ? 綺麗な細工物を貰ったからミリアーナとアイリーンにあげてくれって、ナジェークから預かったの。後から渡すわね」
 屈んで姪の目線と会わせながらカテリーナが話しかけると、ミリアーナはまばたきしてから確認を入れてくる。

「ナジェーク? カテリーナのおむこさん?」
「そうよ。今度きちんとご挨拶しましょうね。この間は大人同士の話し合いだったから会わせられなかったけど、ナジェークもミリアーナとアイリーンに会うのが楽しみだと言っていたわ」
「うん、カテリーナはおねえさんで、あたらしいおにいさん」
「そうね。きっとミリアーナとアイリーンと仲良くしてくれるわ」
「わ~い! あそぶ~!」
 わざとカテリーナがナジェークの名前を出してみると、視界の隅でダトラール家の面々が微妙に反応したのが分かった。それに気がつかないふりでミリアーナに笑顔を向けていると、ソファーから立ち上がったダトラール侯爵夫妻が親しげに声をかけてきた。

「その華の名は」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「恋愛」の人気作品

コメント

コメントを書く