その華の名は

篠原皐月

第9章 疾風怒濤の日々:(1)影響は甚大

 ナジェークの予想外にもほどがある求婚から、ガロア侯爵邸への奇襲により、謀略と力業でカテリーナとの婚約が内定してから3日後。隊長や同僚に頭を下げ、急遽勤務シフトを変更したカテリーナは、その日の勤務を終えてから実家に戻った。

「カテリーナ。呼びつけたのはこちらだが、よく急に休みが取れたな」
 家族は既に夕食を済ませており、カテリーナは食堂で一人食べ進めていたが、最後にお茶が出されたところでジェフリーが現れた。そして父が椅子に座りながら問いかけてきた内容に、カテリーナは落ち着き払って答える。

「確かに急なシフト変更は通常であれば困難ですが、例の騒ぎが近衛騎士団どころか王宮全体に広がっておりまして、騎士団長と隊長が色々配慮して下さったのだと思います」
「そうだろうな……。ラドクリフと第十三隊隊長宛に、近いうちに私から礼状と詫びの品を届けさせる。これからも色々と、迷惑をかけることがあるだろう」
「そうしていただけると助かります」
 二人とも神妙な面持ちと口調で会話を交わしてから、気まずい沈黙が満ちる。そこでカテリーナがカップを口に運ぶと、ジェフリーが再び口を開いた。

「……カテリーナ」
「はい」
「この期に及んでだが……、結婚相手が本当に“あれ”で良いのか? 噂では官吏としては相当優秀だが、性格にかなり難ありと聞いているが……」
 かなり迷った末に確認を入れてきた父に、カテリーナは幾分素っ気なく答える。

「ああ、あのナルシスト云々ですか…………。まあ、よろしいのではないでしょうか?」
 そんな娘の反応に、ジェフリーは舌打ちを堪えるような表情になりながら話を続けた。

「他人事のように言うな」
「申し訳ありません。了承はしたものの、いまだに自分が結婚するという実感が湧いてこないもので」
「あの若造が出向いた時点で既にお前は結婚を了承していたし、両陛下のご意向も無視できないから了承するしかなかったが、今後が不安で仕方がないぞ」
 思わずと言った感じて本音を漏らしたジェフリーに対し、カテリーナは精一杯言葉を選びながら宥めてみた。

「お父様、ものは考えようだと思います」
「どういう事だ?」
「結婚後に変な性癖持ちだと判明するよりはましですし、究極のナルシストならこれまでに隠し子をあちこちに作っているようなこともないでしょう」
「頭痛がする……」
 大真面目に言い聞かせたカテリーナだったが、ジェフリーはとても楽観的に捉えることはできなかったらしく、片手で額を押さえて項垂れた。

(これは、何を言っても無駄だわね。余計な事は言わずに、暫く黙っていましょう。それにしても、こういう感じのお父様って、初めて目にしたかもしれないわ)
 自らの失敗を悟ったカテリーナは、無言でカップに残っていたお茶を飲み干した。するとノックも無しに食堂の出入り口のドアが勢い良く押し開かれ、血走った目をしたイーリスが現れる。

「あなた、お話は終わりましたね!? 頭を抱えている場合ではありませんわ! さあ、カテリーナ! 打ち合わせを始めるから、私の部屋にいらっしゃい!!」
「え? あの、お母様? 打ち合わせとは、何についての打ち合わせでしょうか?」
 事前の話もなく、いきなり語気強く迫られたカテリーナは、本気で戸惑った。しかしそんな娘の反応が気に入らなかったイーリスは、声を荒らげて娘を叱責する。

「あなたの婚約披露の夜会と、結婚式に関する諸々に決まっているでしょう!! 何をふざけた事を言っているの!?」
「その……、ふざけているわけではありませんが、そこまで血相を変えなくても」
「なんですって!?」
「いえ……、なんでもありません……」
 控え目に意見してみたものの、一気に目尻がつり上がった母を見て、カテリーナは状況を悪化させないため抵抗や反論を諦めた。すると先程よりもヒートアップしたイーリスの金切り声が、食堂内に響き渡る。

「どちらも今夜中に、招待客のリストを完成させるわよ! あと三日以内に、全員に招待状を発送しますからね!」
「……分かりました」
「それから明日の午前中は仕立屋を呼んでいるから、あなたの採寸とドレスのデザインを決めるわよ! 午後には正式な結婚の申し込みの為に、シェーグレン公爵夫妻とナジェーク様がいらっしゃいますからね!」
 いきなり寝耳に水の事を聞かされたカテリーナは動揺し、勢い良く椅子から立ち上がりながら問い返した。

「え!? 明日の午後にシェーグレン公爵夫妻が!? そんな話、聞いていませんけど!」
「申し入れがあったのは昨日だし、カテリーナが今夜戻るのは分かっていたから、わざわざ知らせなかったのよ! もう本当に、やらなければいけない事が山積みなのよ!? 誰のせいだと思っているの!!」「……申し訳ありません」
「本当だったら一人娘の婚儀に向けて、招待客や衣装や嫁入り支度やその他諸々を、ゆっくり時間をかけてじっくり厳選して心ゆくまで幸福感と感傷に浸るはずだったのに……」
 勢いに任せて叱りつけたものの、神妙に頭を下げた娘を見てイーリスは幾らか冷静さを取り戻し、しみじみと無念そうに呟く。それを見たカテリーナは、思わず口を挟んだ。

「あの……、ナジェークの方から今後の予定が提示されたと聞きましたが、日程を送らせるようにこちらから申し入れをすれば良いだけの話ではありませんか?」
 ナジェークだったらどうとでも調整するだろうと軽い気持ちで提案したカテリーナだったが、その途端イーリスは怒気を露わに娘を再度叱りつける。

「そんな事をしたら、婚家からあなたが軽んじられかねないでしょうが!?」
「でも、そもそも嫁入り支度は不要で、身一つで来ても良いと言ったとか聞いて」
「カテリーナ!! そんな戯れ言を真に受けないでちょうだい!! ただでさえ我が家は今、社交界で微妙な立場なのに、本当にあなたを身一つで嫁がせたりしようものなら、完全に笑い者になってしまうのが分からないの!? さあ、無駄話はここまで。行くわよ!」
「あの、お母様!? ちゃんと行きますから手を放してください! お父様、失礼します!」
「……ああ」
 いきり立った母親に引きずられるように、カテリーナは食堂から連れ出された。その直前にこの間無言を保っていた父にカテリーナが声をかけると、ジェフリーは力なく頷くのみだった。

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