その華の名は

篠原皐月

(5)改めて自己紹介

「改めて名乗らせていただきます。ナジェーク・ヴァン・シェーグレンです。カテリーナとはクレランス学園在学中から、余人には内密に交際中です。長期休暇中にガロア侯爵領に出向いた時には《クオール・ワーレス》と偽名を名乗って、大変失礼いたしました」
 面と向かってそう名乗られたジュールは、最初の衝撃が去ってから冷静に問い返した。


「確かに少々驚きましたが、どうしてそんなことをされたのですか?」
「前々から、領地運営の心構えを確固たるものにするため、庶民の生活に直に触れるようにと父から厳命されており、普段から付き合いのあるワーレス商会に無理を言って、商会会頭子息のデリシュさんの支店視察に同行させて貰っていました。その場合は対外的なことに加え、ワーレス商会に余計な迷惑をかけないよう、シェーグレンの名前は出さないように指示を受けていたものですから」
 確かにれっきとした公爵家嫡男が商人の真似事などしていると世間に広まったら、少々具合が悪い事になるだろうと察したジュールは、素直に納得して頷く。 


「なるほど。事情は分かりました。しかし庶民のふりをさせて領外に出すとは、シェーグレン公爵は随分思いきったことなさる方なのですね。それにあなたの心構えもなかなかのものです。私の兄だったら、間違ってもそんなことはしなかったでしょう。ですが領地にいらした時に、カテリーナとのことを一言も仰らなかったのはなぜですか?」
「決してジュール殿を信用していないわけではないのですが、あなたの立場上、話を聞いたなら王都のガロア侯爵に報告する義務があるでしょう。ですがつい最近まで、侯爵家側にこちらの意向を伝えるには、少々差し障りがあったものですから」
「『差し障り』と言いますと?」
 途端に怪訝な顔になったジュールに、ナジェークが真顔で説明を加える。


「端的に言えば、まず第一にガロア侯爵が、王太子派でも中心的な我が家との縁組に難色を示すであろうこと。次いでアーロン殿下派でも中心的な役割を果たしているダトラール侯爵家の意向に沿って、アーロン殿下派や中立派の家の子息とカテリーナの縁談を成立させようと目論んでいた長兄夫婦が、必ず私達の縁談に横槍を入れてくると懸念されたことです」
「現にあの二人は、アーロン殿下派や中立派の家で条件が合えば、カテリーナとろくでもない奴との縁談を何度も成立させようと躍起になっていたからな。最後のカモスタット伯爵の子息は、暇潰しと虚栄心といたぶる相手を見繕うために近衛騎士団に所属していたような奴で、あんなのを褒めそやして平然とカテリーナの夫にしようとしていたのを見て、俺も完全に愛想を尽かしたぞ」
 ここでジャスティンまで遠慮が無さすぎることを言い出したことで、この間、カテリーナの縁談について詳細を知らされていなかったジュールは、呆気に取られた表情になった。


「そうだったのか? しかも何度も? 領地の方にはそこら辺は全然伝わっていなかったから、全然知らなかったぞ……」
「ですが最近、妹と元王太子との婚約が思わぬことから解消されまして。我が家は王太子派とは無関係に……。ああ、そもそも元王太子が廃嫡されたので自動的に王太子派は瓦解して、影も形も無くなっていますが」
 呆然自失状態だったのは少しの間だけで、ナジェークの台詞でつい最近の騒動を思い返したジュールは、瞬時に真顔になった。


「そうでしたね……。王都から遠く離れた領地にも、その話は伝わってきました。シェーグレン公爵家とエセリア様にとっては、本当に災難としか言えない出来事でしたでしょう。心中、お察し申し上げます」
「お心遣い、痛み入ります。幸いにも元王太子の主張は著しい事実誤認と根も葉もない言いがかりであることが証明され、妹の名誉に傷がつく事態は避けられましたから、家族全員安堵いたしました」
「本当に、不幸中の幸いでしたね」
 そんな風にしみじみと語り合う二人を横目で見ながら、カテリーナは内心で呆れ果てていた。


(白々しいわね。妹の婚約破棄を、陰で後押ししていたくせに。本当に悪びれていないし、殊勝な顔つきをしているんだから。ところで、ナジェークとエセリア様が婚約破棄を企んでいたことは、ジュール兄様には知らせない方が良いわよね? 今現在既に色々と大変なのに、これ以上心労を増やしたくないわ。私の縁談を裏から潰しまくっていたことも、黙っていましょう)
 何気なく目が合ったジェスティンも似たようなことを考えていたらしく、そこで兄妹は無言で頷き合う。するとここでナジェークが、訪問の目的を口にした。





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