その華の名は

篠原皐月

第8章 運命のエンカウンター:(1)水面下での策動

 王太子の婚約破棄及び廃嫡事件の騒動からふた月近くが経過し、漸く周囲が落ち着きを取り戻したのを見計らって、ナジェークが両親に相談を持ちかけた。
「ナジェーク、私達に折り入って話したい事とは何かな?」
 妻と共に書斎に呼びつけられたディグレスが不思議そうに息子を見やると、ナジェークは笑顔で話を切り出す。


「父上と母上に、以前から内々にお話していましたが、そろそろ結婚しようと考えています」
「ほう? それはめでたいな」
「確かにそうですけど……。ナジェーク、どうしていきなり結婚の話なの? まず婚約披露の場を設けて、それから挙式ではないの?」
 ミレディアが鋭く指摘してくると、ナジェークは笑みを浮かべたまま話を続ける。
「勿論、婚約披露の場を設けた上で、挙式と披露宴を執り行います。因みに想定している婚約披露の夜会が来月で、挙式が3ヶ月後です。申し訳ありませんが、二人ともこの日程に合わせて、諸々の予定を組み直してください」
 あっさりととんでもない事を言われて、ディグレスとミレディアは呆気に取られた。


「はぁ? なんだそれは?」
「ナジェーク……、ご招待する方々のご都合もあるのよ? もう少し他人の迷惑を考えなさい。ところで……、その日程は相手方は了承されているのでしょうね?」
「いいえ、全く。これから相手の家に、正式に結婚の申し込みを行いますので」
「あのな、ナジェーク……」
「ナジェーク。あなた、ディグレスにその調整をさせるつもりではないわよね?」
 しれっと言われてしまったディグレスは本気で頭を抱え、ミレディアは顔つきを険しくしながら息子に詰め寄った。しかしナジェークは些か大仰な身振りで、両親の懸念を打ち消そうとする。


「まさか! 自分の結婚のことで、必要以上に父上の手を煩わさせるつもりはありません。私がこの日程できちんと先方に話を通して纏めてきますので、お二人ともご安心ください」
 自信満々にそう断言されたことで、ディグレスは気持ちを切り替えて話の続きを促すことにした。


「お前のことだから、そこら辺は大丈夫だとは思うが……。以前から聞いていた相手の名前を、そろそろ聞かせて貰いたいな」
「カテリーナ・ヴァン・ガロアです」
「ガロア? あの侯爵家の?」
「最近話題になっていた、あのご令嬢?」
 カテリーナの名前を聞いて、それがつい最近社交界で話題になっていた家名であったことで、ディグレスとミレディアは揃って驚いた顔になった。そんな両親に、ナジェークは頷いてみせてから話を続ける。


「ええ、あのガロア侯爵家の令嬢です。今現在、父親の侯爵の指示で屋敷に出入り禁止の身で、勤務先の近衛騎士団寮で生活していますが、来週にでもガロア侯爵邸に出向いて、侯爵にご挨拶がてら話を纏めてきます」
「そんなにあっさりいくのか?」
「私が人づてに聞いた話では、ご令嬢は侯爵に侯爵邸への出入りを禁止されて、騎士団の寮で生活されているのではなかった? 申し込みの時には、彼女も一緒に侯爵邸に出向くのかしら?」
 夫に続いてミレディアも怪訝な顔になったが、ナジェークは事もなげに告げる。


「いえ? 彼女はいまだに出入り禁止の身の上ですし、勿論私一人で出向きます。それが何か?」
「……いえ、なんでもありません。ガロア侯爵を怒らせないように、気をつけて頂戴」
「最初から怒らせるつもりはありませんが、別に怒らせても問題はありませんよ。彼女は既に勘当寸前の状態ですし、我が家は彼女の持参金を当てにするほど傾いてもいませんしね」
 そこですかさずディグレスが叱責してくる。


「ナジェーク、冗談にしてはたちが悪いぞ。ガロア侯爵家に対して失礼だ。少し慎みなさい」
「申し訳ありません。了解しました」
(冗談ではなく、本音だが。ここで父上を怒らせるのは止めておこう)
 ナジェークはそこで、神妙に頭を下げた。


「それでは今後の準備も含めて、色々よろしくお願いします」
「それは構わないが、この事は周囲へはなんと言っておくべきかな?」
「ガロア侯爵の了解を頂いて公表するまでは、内密にお願いします。その方がインパクトが強いでしょうし」
「分かった。そうしておこう」
 真顔でディグレスは頷いたが、ミレディアは少々腹立たしげに言ってくる。


「それでは明日から、私達で内々に事を進めておきましょう。本当に時間がないわ。嫡男の結婚に関連する事なら本来であれば時間をかけて色々吟味して、招待客も厳選しなければいけないのに。本当になんてことかしら」
「申し訳ありません、母上。よろしくお願いします。お手数をおかけします」
 怒っている口調に聞こえないでもないが、母が実はやる気に満ちた表情をしているのを見て取ったナジェークは、笑いを堪えながら深く頭を下げた。そして無事に両親と話をつけたナジェークは、書斎を出てそのまま妹の私室へと向かった。




「やあ、エセリア。今、少し時間を貰っても良いかな?」
「はい、構いません。どうかしましたか?」
「今度のティアド伯爵家の夜会について、相談したいことができた」
「今度はどんな悪企みですか……。それに他家の夜会で、一体何をしでかす気ですか?」
「酷いな。我が妹は、私をどんな悪党だと思っているのやら」
 室内に入って話を切り出す早々、妹から胡散臭い目を向けられてしまったナジェークは、椅子に座りながら苦笑した。


「ガロア侯爵家のカテリーナとの事は、この前説明しただろう?」
「はい。とんでもない内容のあれこれを、詳しく聞かせていただきましたね。それが何か?」
「エセリアの婚約破棄騒動も一段落したし、そろそろ本格的に彼女との話を進めようと思う。向こうの騒動もだいぶ沈静化してきたし、ここで新たに刺激的な話題を社交界に提供すれば、古い話など瞬時に打ち消すことができるだろう」
「『向こうの騒動』と言いますと、例のガロア侯爵家とカモスタット伯爵家の縁談が破談になったいきさつですよね……。お兄様、それはそれほど古い話ではありませんわよ? 寧ろごく最近の話と言った方が適当ではありませんか?」
「そうかな?」
 裏で糸を引いていたと知っていたエセリアは兄を軽く睨んだが、ナジェークは薄笑いを浮かべたままだった。それを見たエセリアは無言で溜め息を吐いてから、再び口を開く。


「話を元に戻しましょう。ティアド伯爵家の夜会についての相談とはなんですか? ここで話を持ち出してきたからには、カテリーナ様やガロア侯爵に関わる話だとは思いますが」
 その問いかけに、ナジェークが端的に告げる。
「招待状が来ているそれに参加して、会場中の話題をさらえるようにできるだけ目立って欲しい。その上で彼女と彼女の次兄夫婦と、懇意にして欲しいんだ。それを周囲に見せつけて欲しい」
 その要請に、エセリアは僅かに眉根を寄せながら応じた。


「他家の夜会で、あまりでしゃばりたくはないのですが?」
「そのあたりは、ティアド伯爵夫人にお願いしておく。エセリアからも、事前に一筆書いておいて欲しい」
「了解しました。新たにガロア侯爵家の後継者となったご夫妻は、これまで領地にいらした方達と伺っていますから、社交には揃って不慣れなのですね? それで家同士の付き合いがあるティアド伯爵家の夜会への参加を皮切りに徐々に顔を広めていきたいけれど、当初からあまり変に注目を浴びることは避けたいとお考えだと。その気持ちは理解できます」
 落ち着き払って推測を述べたエセリアを見て、ナジェークは真顔で頷く。


「ああ、話が早くて助かるよ。そして今後は、シェーグレン公爵家が彼らをバックアップするというのを、その場で言外に知らしめたい」
「お兄様の意図は理解しました。それではその場で精一杯、派手に目立ってみせましょう」
「よろしく頼むよ。同行する私も、目立つように努力してみるから」
「お兄様は立っているだけで人目を引きますから、それは考えなくても良いのでは?」
 そこで苦笑したエセリアは、にこやかに話を続けた。


「それよりも、カテリーナ様といよいよ義理の姉妹になるわけですね……。楽しみですわ。その夜会にはサビーネも出席する筈ですから、諸々の相談のために手紙を書いておかないといけませんわね」
「エセリア……。目立っては欲しいが、変な騒動を引き起こすのは控えてくれ」
「まあ、お兄様。私をどんなトラブルメーカーだと思っていらっしゃるのですか?」
(若干不安はあるが、エセリアが乗り気になっているし、夜会ではジュール殿達がそれほど話題にならずに済むだろうな。あとは当日の進め方だが……)
 思わず懸念を口にしたナジェークだったが、エセリアはそれを鼻で笑い飛ばす。それを見ながら、ナジェークは今後の進め方について黙考していた。





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