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その華の名は

篠原皐月

(28)最後の一仕事

 カモスタット伯爵邸からゆっくり進んだ幌馬車は、少ししてガロア侯爵邸がある一角に到着した。侯爵邸の正門から少し離れた場所で幌馬車は停まり、御者台にいたジャスティンが背後の荷台に向かって声をかける。
「到着したぞ。カテリーナ、着替えは終わったか?」
 その問いかけに、出入り口の布を持ち上げながら、元のドレス姿に戻ったカテリーナが応じる。
「ええ、ジャスティン兄様。騎士団の制服一式は、またティナレアに寮に持参して貰うわ。お願いね」
「それは構わないけど……、さすがにご両親が相当怒っていそうだし、本当に大丈夫?」
 心配そうな顔で懸念を口にしたティナレアに、カテリーナは笑ってみせた。


「これ以上、迷惑をかけるつもりはないわ。引き上げて貰って大丈夫だから。サビーネ様もイズファインとクロードも、今日はどうもありがとう」
「大した事はしていませんから」
「不法侵入は、十分大した事なんだがな」
「いや、それは良いんだが……」
 そこで妹に続いて、今回の騒ぎに半ば巻き込まれてしまった面々に対して、ジャスティンが深々と頭を下げる。


「俺からも礼を言う。本当に今日は助かった。後は俺に任せてくれ。夕刻にそ知らぬ振りで屋敷に両親を訪ねて、仔細を尋ねた上で必要な対処をするから」
「分かりました」
「それじゃあカテリーナ。明日までは休みなのよね。明後日、一緒にお昼を食べましょう」
「ええ、分かったわ」
 そこでカテリーナは地面に降り立ち、他の者達は幌馬車と馬に分乗して引き上げていった。


「さて、それじゃあ、行きますか」
 カテリーナにはまだ一仕事残っており、一人気合を入れながら屋敷に戻って行った。
 開け放たれている正門を抜けて広い前庭を通り、屋敷の正面玄関まで辿り着く。そして玄関横の呼び出し用のノッカーを叩くと、玄関横の小部屋で控えている執事がドアを開けたが、馬車が影も形も見当たらないのにドレス姿のカテリーナが佇んでおり、更に彼女一人きりであるという事実に、はっきりと困惑した表情になった。


「お嬢様? 馬車の音が全くしませんでしたが、まさか歩いていらしたのですか? それに旦那様達は、如何致しました?」
「私は用事が済んだから、一足先に帰ってきたのよ。お父様達は馬車で帰ってくるわ」
 平然とカテリーナがそう口にすると、執事は本気で驚愕した。


「え? まさかカテリーナ様は、本当にお一人で歩いてカモスタット伯爵邸からお戻りに!?」
「ええ。だからちょっと疲れたわ。第一応接室にいるから、お茶と軽くつまめる物を運ばせてくれるかしら。昼食を食べ損ねたから、お腹が空いてしまって」
「畏まりました。急いで準備させます。おい! すぐに厨房に連絡してくれ」
「はい! ただいま!」
 たまたま玄関ホールを通りかかって、執事と一緒にカテリーナを出迎えたメイドが、執事に命じられて慌てて屋敷の奥へ駆け去って行く。そこで執事が、事の仔細を尋ねてきた。


「それでカテリーナ様、何かトラブルがあって、午餐会が中止になったのですか?」
「ええ。それに、婚約自体が解消になったと思うわよ? …………多分」
「婚約解消!? それに、『多分』というのはなんですか!?」
 衝撃的すぎる内容に執事は狼狽したが、カテリーナは少々困ったように首を傾げる。


「さぁ……、お父様達の間で、どういう話になったのか定かではないから」
「お嬢様は当事者の筈ですが?」
「そう言われても……、当事者が知らないうちに婚約が決まっていたしね。当事者が知らないうちに、婚約解消も決まるのじゃない?」
「カテリーナ様…………」
「とにかく、休ませて貰うわ。お父様達が戻ったら、私が第一応接室にいると伝えて頂戴」
「畏まりました」
 詳細をカテリーナから聞き出すのは無理だと判断した執事は、ジェフリー達が戻ったら否応なく分かるだろうと判断し、恭しく応接室に向かう彼女を見送った。


「はぁ……、美味しい。一仕事終わった後のお茶だから、格別ね」
 カテリーナが応接室のソファーに落ち着いてから、さほど時間を要さずにお茶と焼き菓子が揃えられ、カテリーナは一人でリラックスしながらそれらを味わっていた。そうしているうちに庭の方からかすかに馬蹄と車輪の音が伝わり、カテリーナは窓の向こうを眺めながらひとりごちる。
「あぁ……、そろそろ着いたかしら。二杯飲める時間があって、良かったわ」
 そしてカテリーナはポットに残っていたお茶を無言でカップに注ぎ、それに口を付けないまま待ち受けた。


「カテリーナ!!」
 何やら廊下の方から騒々しい物音が伝わってきたと思ったら、応接室のドアが勢いよく押し開けられ、憤怒の形相のジェスランが現れた。しかしカテリーナは全く恐れ入ることなく、笑顔でカップを持ち上げながら兄の労をねぎらう。


「あら、ジェスラン兄様。本日はお疲れ様でした」
「貴様! 今日という今日は、うわっ!!」
 そのふざけた台詞で益々激高したジェスランは、乱暴にカテリーナに歩み寄り、妹の右腕を掴んで強引に立たせようとした。しかしその顔目がけて、カテリーナが右手に持っていたカップの中身をぶちまける。


「きゃあっ! ジェスラン!」
「まぁあ! お兄様、大丈夫ですか? 急に掴みかかってくるので、驚いて手元が狂ってしまって」
「このっ!!」
「ふざけないで!! 人を馬鹿にするのも、いい加減にしなさい!!」
 わざとらしいカテリーナの弁解に、ジェスランとエリーゼの怒声が重なる。そんな修羅場と化した応接室に、ひときわ激しい怒声が響いた。


「騒々しいぞ! お前達、さっさと座れ!」
「でも、お義父様! カテリーナは!」
「さっさと座れと言っているのが分からんのか!!」
 憤慨しているエリーゼが言い募ろうとしたが、常にも増して迫力が増しているジェフリーの叱責に、悔しげに頷く。


「……分かりました。ジェスラン」
「ああ……」
(当然だけど、お父様は激怒しているわね。仕方がないことだけど)
 不承不承ジェスランは顔と服をハンカチで拭きながら、少し離れた場所のソファーにエリーゼと並んで座り、カテリーナの正面の位置にジェフリーが座って口を開いた。 


「カテリーナ。お前の婚約は、お前の不行状が原因で向こうから破談の申し入れがあり、了解した。異存は無いな?」
 重々しい口調での確認に、カテリーナも神妙に頷く。
「はい」
「それから、何か私達にいう事は無いか?」
「この度は、私の事で大変ご迷惑をおかけして、誠に申し訳ありませんでした」
「それだけか?」
「…………」
(確かに、それだけで済むとは思っていないけど、変に弁解するような言葉を並べ立てたら余計にお父様を怒らせるような気がするし。全面的に悪いのは私だから、叱責は甘んじて受けるべきよね)
 謝罪の言葉口にしたものの、父親の本気の怒りを感じていたカテリーナは、下手な弁解はすまいと口を閉ざした。しかしここで至近距離から、カテリーナを盛大に非難する声が上がる。


「それだけで済むと思っているのか!?」
「本当に恥知らずよね!」
 しかしそのジェスランとエリーゼの主張に同調などせず、ジェフリーは彼らに対して今までで一番の怒声を放った。


「貴様らは黙っていろ!! 今話をしているのはガロア侯爵家の当主たる私で、答えを要求しているのはカテリーナに対してだ!! 少しでも考える頭があるなら、私から声をかけられるまで一言も喋るな!!」
「…………」
(お兄様達も、ここで余計な口を挟んだらお父様の気分を害するだけだって、どうして学習しないのかしら)
 厳し過ぎる叱責を受けて顔色を無くして固まる兄夫婦を横目で見ながら、カテリーナは思わず溜め息を吐いてしまった。



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