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その華の名は

篠原皐月

(27)終幕の陰で

 背後から聞こえる兄夫婦の怒声を無視してカテリーナが屋敷を回り込む角まで来ると、いつの間にか接近していたヴァイスが並走しながら声をかけてきた。


「カテリーナ様、お疲れ様でした」
「ヴァイスさん、他の皆は大丈夫?」
「はい。全員、裏の通用口から出て、待機しています。そこまでご案内します」
「ありがとう。追いかけられるかと思ったけど、助かったわ」
「カモスタット伯爵は、それなりに判断力はあったようですね」
 二人で苦笑しながら裏庭へと進み、無駄話をせずに通用門まで到達した。そこで開け放たれている通用門と、人気のない傍らの詰め所に、カテリーナは思わず怪訝な顔になる。


「あら、詰め所に誰もいないの?」
「一時的に、静かにしてもらっています」
「そう……」
 よくよく考えてみれば、詰め所にいる警備担当の騎士がきちんと仕事ができる状態であれば、カテリーナ達が自由に出入りできる筈もなく、彼女は無駄な事を聞いてしまったと溜め息を吐いた。


「あの幌馬車です」
「ありがとう」
 通用門を出て左に曲がり、少し進んだ先に幌馬車が停まっているのを認めたカテリーナは、迷わずそれに駆け寄った。そして後部出入り口の布をめくりながら、中にいる者達に声をかける。
「皆、大丈夫? 遅くなってごめんなさい」
 その声に、ティナレアが苦笑気味に、サビーネが嬉々として応じる。


「カテリーナ、お疲れ様」
「カテリーナ様、それでどちらが勝利しましたの!?」
「私が勝っていなかったら、ここにはいませんよ。奴の腹に盛大に蹴りを入れて前傾姿勢になったところで、後頭部に柄頭での一撃をお見舞いしたら、まともに顔面から地面に突っ込んでそのまま昏倒したわ」
「おめでとうございます! さすがはカテリーナ様ですわ!」
 サビーネは素直に賞賛したが、他の者達は揃って遠い目をしてしまった。


「本当にやってのけるとはね……」
「少しだけ、ほんの少しだけだが、奴に同情するな」
「カテリーナが相手じゃなければ、恥をかかずに済んだものを……」
「問題は、恐らく父上と母上も激怒している事だな。本当に、このまま屋敷に帰るのか?」
 ジェスランが心配そうに確認を入れてきたが、とっくに覚悟を決めていたカテリーナは、力強く頷く。


「当然です。盛大に勘当されてきますから」
「カテリーナ……。笑顔で口にする内容では無いぞ……」
「そんな事より、まずは移動いたしましょう。このままここに停まっていると、人目を引きますから」
「そうね。それではカテリーナは着替えますから、男の人は出てください」
「そうだな」
「ここから早く離れた方が良いな」
 サビーネとティナレアに促されて、イズファインやクロードが腰を上げた所で、新たな声が割り込んだ。


「遅くなりました。馬を準備して来ました」
「よし、それでは行くか」
「カテリーナ、ドレスやアクセサリーはこっちよ」
「ええ、ありがとう」
 アルトーが引いてきた二頭の馬にイズファインとクロードが騎乗し、幌馬車はジャスティンが御者を務めて、一同は速やかにその場をあとにした。




「どうかしたのかな。とっくに午餐会の開始時刻なのに、料理の配膳開始の連絡がこないが」
「旦那様のご挨拶とかが、延びているんでしょうかね?」
「それにしても遅いですし、屋敷内が騒がしくありませんか?」
「そう言えばそうだな……」
「どうしましょう? 私が様子を見てきましょうか?」
 午餐会の会場である庭園で、とんだ騒動が持ち上がっていた事など知る由もなかった厨房の者達は、予定時間をかなり過ぎても伝達役の執事からの開始の指示がないことに、少しずつ不安と苛立ちを覚えていた。すると一人の若い執事が乱暴にドアを開けて厨房内に駆け込んできたと思ったら、いきなり怒鳴りつけてくる。


「おい! 午餐会は中止だ! 料理は必要なくなったからな!」
「ええ!? 一体、どういう事ですか!?」
「カテリーナ嬢がダマール様と剣で立ち合われて、ダマール様が負けて昏倒されたんだよ! 今、お部屋に運び込んで、医師が来るのを待っているところだ!」
「なんですって!?」
「若様が負けた?」
 料理人達やキッチンメイド達は揃って驚愕したが、その執事は苛立たしげに事情を説明すると、すぐさま再び廊下を駆け出して行った。


「何てことかしら……。それならさすがに午餐会は中止よね」
「午餐会どころか、恐らく婚約自体もなくなったさ。ダマール様が恥をかかされてしまったんだからな」
「この食材……。勿体ないですね……」
「まあ、仕方があるまい。事情が事情だし」
「保存しておけないものは、なるべく早いうちにご家族の料理や賄い料理に使うさ」
 その場にいた者達が気落ちしたように顔を見合わせてから後片付けの為に動き始めると、執事長のマイルズがやって来る。


「皆、午餐会が中止になったことは聞いたな?」
 単刀直入に話を切り出した彼に、その場全員を代表してシェフが頭を下げる。
「はい、先程連絡がありまして、片付けを始めたところです」
「ご苦労。それではジェシカ。昨日から来て貰ったのに、悪かったな。これは二日分の給金だ。今日はもう、上がって貰って良いぞ」
 マイルズがそう言いながら封筒を差し出してきた事で、ジェシカは恐縮しながら首を振った。


「とんでもありません。こちらが無理を言って、臨時で雇って貰いましたのに。今日は早く上がるなら、一日分だけで結構です」
「いや、朝から拘束していたのに、それはまずいだろう。良いから受け取ってくれ」
「そうしなさい。後は食器とかをしまうだけだし、人手も要らないから帰って良いぞ」
 執事長とシェフの言葉に、その場全員が賛同して無言で頷く。それを見たジェシカは、ありがたく受け取ることにした。


「それでは、頂いていきます。今回は、お世話になりました」
「元気でな」
「頑張ってね」
「次の職場がすぐに見つかるように祈ってるわ」
 今回の騒動に関して自分が一枚噛んでいる事実に、ジェシカは善意で送り出してくれた者達に対して若干の罪悪感を感じていたが、それよりもダマールに一泡吹かせる事ができた達成感の方が大きかった。


(本当に婚約者の方が、ダマール様を叩きのめすなんてね……。普段威張り散らしていたくせに、招待客の前でそんな醜態を晒したなら、暫くはおとなしくなるでしょう。いい気味だし、少しは気が晴れたわ)
 そんな事を気分よく考えながら、裏口から屋敷を出て通用門に向かったジェシカは、開け放たれている門を見て怪訝な顔になった。
「ちょっと……、門が開けっぱなしで良いの?」
 思わず独り言を呟きながら門を通り抜けると、そのすぐ横に立っていた男が声をかけてくる。


「本当だったら良くはないな」
「あら……、そちらも仕事は終わったのね。お疲れ様」
 アルトーを認めたジェシカが苦笑の表情になると、彼も同様の顔で応じた。
「万が一、君が疑われて監禁とかされそうだったら、救出の手筈を整えることになっていたのでね。無事で良かったよ」
「最悪、その可能性もあったわね。幸い、怪しまれなかったけど」
「歩きながら話そうか」
「そうね」
 そして街路を並んで歩き始めると、アルトーが懐から小さな革袋を取り出す。


「まずこれが、約束の報酬の残り半分」
 それを受け取ったジェシカが、歩きながら軽く結び口の紐を緩めて中を覗き込み、入っている金貨を見て呆れ気味に首を振った。


「本当にあなたのご主人様って、気前が良いわね」
「それから約束の、君の紹介状。これを持参して、シェーグレン公爵家に行ってくれればよい」
 続けてアルトーが封筒を差し出しながら告げた内容を聞いて、ジェシカはギョッとした顔になって思わず足を止めた。


「はぃい!? ちょっと待って! シェーグレン公爵家って、少し前にご令嬢と王太子殿下の婚約が解消された、あの大貴族よね!? そんなお屋敷で雇って貰えるの!? 幾らなんでも嘘でしょう!?」
「騙されたと思って、これを持って行ってみてくれよ。執事長に取り次いで貰って、これを渡せば話が伝わるからさ」
 少々困り顔になりながら告げてくるアルトーを、ジェシカは疑念に満ちた表情で見やった。そして慎重に尋ねてくる。


「ものすごく今更だけど……、あなたのご主人って何者なのよ? こんな有力な家と、繋がりがあるなんて」
「まあ、有力な貴族であることは確かかな?」
 現時点でナジェークの身元は明かさない事になっていた為、アルトーはその追及にしらばっくれた。そしてジェシカは深い溜め息を吐いてから、差し出された封筒を受け取る。


「あの男、本当にとんでもない人を敵に回したみたいね。同情はしないけど。これは、ありがたく貰っていくわ。騙されたとしても、文句は言わなから安心して」
「信用無いな……」
 どうやらジェシカがまだ半信半疑らしいと分かったアルトーは苦笑いし、雑踏に紛れるまで世間話をしながら歩いて行った。







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