その華の名は

篠原皐月

(26)まだまだ終わらない騒動

「たぁぁーーっ!」
「はぁっ!」
 どうやら相当余裕が無いらしく、さっさと決着をつけてしまおうと目論んでいるらしいダマールは、一切の手加減無しでカテリーナに斬りかかってきた。しかしその剣捌きの早さや突きの鋭さは、カテリーナには日頃以上に鈍く見え、内心で笑いを噛み殺す。


(あらあら……、軽く斬って泣かせておしまいになんかする気がない分、余裕が無くて隙だらけ。力寄せでこられたらさすがにまずいと思ったけど、短期決戦なら望むところよ!)
 相手の剣を素早く避けつつ、彼の死角に回り込みながら次々攻撃を仕掛けるカテリーナに、ダマールが憤怒の形相で怒鳴った。


「このっ、ちょこまかと! 貴様、逃げるしか能がないらしいな!?」
「それならあなたは、あなたの言うことを聞いて、絶対逃げない相手としか戦ったことがないわけね! 大した騎士様だわ!」
「貴様、殺してやる!!」
「止めろ、ダマール! そこまでだ!」
 カテリーナの嘲笑の響きに、ダマールの怒りが振り切れた。その朱に染まった顔と怒りに満ちた声に、ムンデスが顔色を変えて息子を叱りつける。当事者以外のその場全員が、声を挟む事もできずに固まっていると、ここで予想外の出来事が生じた。


「ピィイィィーーッ!!」
 突然、庭の中心や奥まった方向ではなく、屋敷の建物付近から鋭い鳥の鳴き声が響いてきたことで、招待客達は勿論、ダマールもそちらに意識が向いた。


「え?」
「鳥の鳴き声?」
「どこから聞こえてきた?」
「あちらには、大木など無いが……」
 招待客達が困惑する中、立ち合い中に鳥笛で周囲の注意を逸らすと聞いていたカテリーナだけは、ダマールの意識がそちらに向いた瞬間を逃さず、その下腹に渾身の力を込めた蹴りをお見舞いする。


「貰ったぁぁっ!!」
「ぐおぅっ! き、貴様ぁっ!」
 悲鳴にも似た呻き声を上げたダマールに、招待客達は驚いて視線を向けると、彼が剣を取り落として前傾姿勢になりながら両手で腹を押さえていた。何事かと皆が動揺する中、カテリーナが両手で持っていた剣を大きく振り上げ、剣先とは逆の柄頭をダマールの後頭部めがけてほぼ直角に振り下ろす。


「はぁあぁぁーーっ!」
「がはぁっ!」
「きゃあぁぁっ!」
「ダマール!」
 思わぬ頭上からの攻撃をまともに食らったダマールは、下腹を抱え込むように身体を折り曲げていたため、咄嗟に地面に両手をつく事もできず、まともに頭から地面に突っ込む形で倒れ込んだ。
 荒っぽいことこの上ない攻撃を見て、殆どの者は顔色を蒼白に変えたが、カテリーナはそのまま地面に突っ伏して微動だにしないダマールの状態を確認してみる。


「ダマール様?」
 かなり慎重に片膝をつき、軽く横を向いて目を閉じているダマールの鼻先に手を伸ばしてみると、ちゃんと呼吸をしている事が分かった。


(取り敢えず息はしているし、脳震盪を起こした位かしらね。死なれたりしたらまずいから、殴った時の衝撃軽減の為に、わざわざ革と布切れを柄頭に巻き付けて平らにしておいたし)
 そんな風に密かに安堵していると、ざわざわと不快げな囁き声が伝わってくる。


「これは……、ダマール殿は、とんだ失態だな」
「なんて乱暴な……」
「それにしても、無様すぎるぞ」
「どうやら私の勝ちですわね」
「…………」
 殊更空気を読まず、その場に立ち上がって得意満面で宣言したカテリーナに、周囲から咎める視線が一斉に集まる。それを軽く受け流しつつ、カテリーナは話を続けた。


「先程は、カモスタット伯爵が寛大なお心で私に勝ちを譲ってくださいましたが、残念なことに、当のダマール様が納得しておられなかったようで……」
 ここで些か残念そうに足下のダマールを見下ろしてから、カテリーナは再び顔を上げた。


「今回、実力でダマール様から勝利をもぎ取ってしまい、ダマール様のみならず伯爵様の体面まで潰してしまったも同然です。ダマール様から立ち合いを挑まれたとはいえ、私もこれ以上伯爵様のご厚意に甘えるほど図々しくはありません。この場は潔く、ダマール様とのご縁は諦めるつもりです。皆様、今日はお集まりいただき、ありがとうございました。それでは失礼いたします」
 言うだけ言ったカテリーナは踵を返して屋敷の方に向かって駆け出し、そんな彼女を招待客達は唖然として見送った。しかし数瞬遅れて、エリーゼとジェスランの怒声が響き渡る。


「カテリーナ! ちょっと待ちなさい!!」
「何をしている! カテリーナを捕まえてくれ!」
「はっ、はい! ただいま!」
 二人の剣幕に、会場である庭の警備に就いていたカモスタット伯爵家の騎士達が慌ててカテリーナを追いかけようとしたが、それをムンデスが制止した。


「止めろ。する必要は無い。そんな事より、ダマールを部屋に運んで医者を呼ぶのが先だろう」
「かしこまりました!」
「屋敷内から人を呼んでこい!」
「それから馬車を出して、ガルナー医師をお呼びしろ」
「はい!」
 招待客より当主の命令が絶対であるのは当然のことで、騎士達や使用人達は慌てて連絡に走ったり手配に奔走し始めた。それを見てエリーゼとジェスランが舌打ちを堪えていると、静かに立ち上がったムンデスが、招待客に向かって淡々と述べる。


「皆様、本日はご多忙の中お集まりいただきましたのに、お見苦しいものをお見せして、誠に申し訳ありませんでした。カテリーナ嬢は我が家には相応しくないと判断し、ダマールとの婚約は白紙にさせていただきます」
「そんな! ムンデス殿!」
 あっさりとした婚約撤回宣言にジェスランは顔色を変えたが、ムンデスの隣にジェフリーも立ち、神妙に頭を下げる。


「これは我が家も了解のことです。この度は娘達がお騒がせし、さぞかしご不快になられたと思います。深くお詫び申し上げます」
「全くだわ! あの子は、恥ってものを知らないのかしら!」
 そこでエリーゼは憤然となりながら苛立たしげに声を上げたが、会場中から自分達夫婦に向かって冷たい視線が注がれている事実に、全く気がついていなかった。



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