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その華の名は

篠原皐月

(21)準備完了

「ジェシカ、このデザート用の皿は?」
「ここに人数分揃えてあるので、並べます」
 午餐会当日。既に屋敷内の使用人棟から退去していたジェシカは、仮住まいの宿から前日に続き早朝からやって来て、広い厨房の中での仕事を手伝っていた。彼女が他の者達と同様に忙しく働いていると、朝食の調理を終えたシェフが満足げに声をかける。
「後は、人数分のお茶の支度で終了だな。宜しく頼む」
 それにジェシカが、笑顔で頷いてみせた。


「お任せください。あと、それが終われば、後片付けと皿洗いも済ませておきます。午餐会の準備があるでしょうから、今のうちに少しでも休憩を取っておいた方が良いですよ?」
「そうか? 今回はジェシカに入って貰って、本当に助かったよ」
「ジェシカこそ、昨日から銀のカトラリーを磨き上げたり、食材の下ごしらえにと頑張ってくれて疲れただろう。少し休んでくれて良いぞ?」
「ありがとうございます。でも、臨時で秘密裏に雇ってくれたマイルズさんの顔を潰さない為にも、これくらい当然ですから」
 そんな殊勝な台詞を聞いた他のキッチンメイド達は、ジェシカに感心すると同時に雇い主達に対する反感を露わにする。


「ジェシカは本当に真面目に働いてくれるのに……。旦那様も若様も、人を見る目がないわ」
「そうよ。第一ジェシカが若様の相手をしていたのだって、ジェシカの方からすり寄ったわけでもないのに」
 自分に同情してくれるのは嬉しかったものの、ジェシカは周囲の者達を困り顔になりながら宥めた。


「ありがとうございます。でもこの屋敷とはご縁がなかったと、諦めていますから。皆さんも私のことを旦那様達の前で持ち出して、不興を買うような真似はしないでくださいね?」
「本当にすまないな」
「それよりも、人数分のお茶を淹れますので、食堂に持っていっていただけますか?」
「分かったわ」
「あ、準備はできているのね」
「はい」
 笑顔で頷くジェシカの前のワゴンには、いつの間にか主人一家の人数分のカップと、必要なティーポットが並べてあった。そして他とは異なり、1つだけ少量の琥珀色の液体が入れてあるカップを見下ろしながら、ジェシカは辛辣なことを考える。


(全く。あのろくでなし、相変わらず朝から眠気覚ましと香り付けと言って、蒸留酒入りのお茶を飲んでいるし。私がキッチンメイドをしていた頃からの習慣が変わっていなくて、今回は助かったけど)
 準備をしながら、他の者達には気付かれないように酒が入ったカップに渡されていた小瓶の中身を注いでいたジェシカは、茶葉を入れたティーポットに手早く沸かしたお湯を入れ、再びワゴンに乗せる。


「それではお願いします」
「ええ、任せて」
「それじゃあ少し休ませて貰ったら、野菜の皮剥きと刻みを始めますね」
「ああ、宜しく頼むよ」
(安心して頂戴。幾ら恨みに思っても、殺すような真似はしないわ。ただ招待客の前で、赤っ恥をかくだけよ。寛大な措置に、涙を流して感謝して欲しいわね。……するわけがないけど)
 ジェシカは人知れず酷薄な笑みを受かべながら、ワゴンを押していく同僚を見送ったのだった。






「すみません。追加注文分をお持ちしたので、ここを開けていただけませんか?」
 朝も日が高くなってから、カモスタット伯爵邸邸の裏手にある使用人や出入りの業者が使う通用門に、幌馬車に乗った男がやって来た。そして荷台から降りるなり、鉄柵越しに訴えてきた為、警備していた伯爵家お抱えの騎士達が怪訝な顔で応じる。


「うん? なんだ貴様。出入りの業者なら、普段はもっと朝早くか夕方にくるだろうが」
「ですから、急な追加注文を頂いたんですよ。最上級のパティル酒10本です。今日の午餐会でお出しする物なら、早く厨房に運んで準備をしないといけないのでは?」
「どうする? そんな話は聞いていないが……」
「午餐会の準備でバタバタしているし、どこかで連絡が漏れたんだろう。どこの誰かは分からないが、他人のミスで『酒が届かない』と俺達が文句を言われるのはごめんだぞ」
「そうだな。取り敢えず運ばせるか」
「ちょっと待て。今、門を開けてやる」
「ありがとうございます」
 二人で顔を見合わせて相談した結果、騎士達はあっさり開錠して門を開け、幌馬車を敷地内に引き入れた。


「じゃあ厨房まではお前が運べよ?」
「勿論です。すぐ戻りますので、こちらに置かせてください」
「それは構わんが……。お前の店では、どうして配達にこんな立派な幌馬車を使うんだ? 荷馬車で良いだろうに」
「酒ではなくて、人を運んでいますので」
 荷台から飛び降りた男と一緒に、何気なく騎士達が荷台の後部に回り込んだ。しかし男が発した言葉の意味が分からずに困惑する。


「は? 人だと?」
「ああ、こんな風にな!」
「ぐほぉっ!」
 そこでいきなり幌の中からジャスティンが飛び出し、近くにいた騎士を問答無用で殴り倒した。それを至近距離で目撃した同僚は、狼狽しながら腰に下げている剣を抜こうとする。
「おっ、おい! お前、何をしやが、ぐあぁっ!」
 しかしここで、ジャスティンに続けて馬車から飛び降りたイズファインが二人目を蹴り倒し、あっさり地面に転がす。


「悪いな二人とも。無駄に怪我はさせたくないんだ」
「少しだけ、おとなしくしていてくれ」
「なっ、なにをふぐぅむっ!」
「お前ら! こんなことをしてただぉうがっでぅ!」
 素早くクロードが取り出した猿ぐつわ用の布と手足を縛る為の縄を使い、ジャスティンとティナレア、イズファインとクロードで組んで、瞬く間に二人を拘束してしまった。そして通用門近くの待機用の小屋に二人を押し込んでから、イズファインが溜め息を吐いて申し訳なさそうに言い出す。


「さて、第一段階は終了だな。これからはティナレア、サビーネ、注意して行動してくれ。私達はダマールに顔を知られているから、なるべく直に接触する危険は回避したい。身元がバレたら、色々面倒だ」
「分かっています。そんなに心配しないで」
「ただどうしようもなくなったら、躊躇わずにこれを吹かせて貰うわよ?」
 幌馬車から降り立ったサビーネとティナレアの服装は、カモスタット伯爵邸でのメイドのお仕着せだった。直接屋敷に乗り込んでの工作活動に、さすがにティナレアの表情は固く、服の中から紐でつないであるホイッスルを引き出しつつ確認を入れる。対する男達も、同様の真剣な表情で頷いた。


「勿論だ。その時は責任を持って、ここの使用人達を蹴散らして救出に向かうから安心してくれ」
「その緊急警告用ホイッスルの威力は、剣術大会の時に使われて二人とも知っているだろう? 屋敷内からこの裏庭の隅までの距離だったら十分聞こえる筈だし、屋敷内にはこの屋敷の騎士の姿でヴァイスとアルトーが既に潜入しているから、連携してどうにでも処理するよ」
「そうだ。万が一の為に、二人に覆面を渡しておく」
「はい?」
「覆面?」
 ここで唐突にジャスティンが言いながら幌馬車の荷台から取り出した物を見て、イズファインとクロードは呆気に取られた。


「妻に『身元がバレると甚だまずい極秘活動の予定がある』と言ったら、『それならこれを使って』と渡された。同行する人間もいると話したら、その人の分も合わせて作ったと……」
「奥様に宜しくお伝えください……」
「……ご配慮いただき、ありがとうございます」
 イズファインとクロードは黒一色で目元が出るだけの覆面を受け取りながら、(こんなのを着けたら、確実に不審者だよな)と遠い目をしてしまった。その横で、何やら完全に開き直ってしまったらしいティナレアが、サビーネに向かって力強く宣言する。


「サビーネ様、私から離れないでくださいね! 屋敷内では周り全員が敵ですが、絶対に私がサビーネ様をお守りしますわ! カテリーナから、痴漢撃退用の武器も借りてきましたし!」
 そこでティナレアがスカートのポケットから取り出した金属製の物を見て、サビーネが目を輝かせる。


「あ、それはもしかして、カテリーナ様が石像を叩き壊した時のあれですか!?」
「ええ、あれです。私の指のサイズでも使えましたので、借りてきました。今回は使える物は何でも使って、事態を打開していきますから! お任せください!」
「素敵です、ティナレア様! 心強いですわ! もう成功間違いなしですわね!?」
 そして男三人は警戒しつつその場に残り、メイド姿のティナレアとサビーネは、意気軒昂なまま伯爵邸内に潜入したのだった。



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