その華の名は
(2)制裁決定
カテリーナと遭遇した日の夕方。勤務を終わらせたイズファインが執務棟の回廊を歩いていると、偶然ナジェークに出くわした。
「イズファイン、今日の勤務は終わりか?」
「ああ。気の毒に、そっちはまだ仕事漬けみたいだな」
かなりの量の書類を手にしている友人にイズファインが気遣う視線を向けると、ナジェークが凄みのある笑顔になりながら、皮肉まじりの声で応じる。
「ありがたくも王太子殿下のクレランス学園ご卒業に合わせて、財務部から殿下付きの筆頭補佐官に抜擢されたものでね。その過大な期待に応えようと、粉骨砕身しているところさ」
「ナジェーク……。笑顔が黒いぞ。どこで誰が見聞きしているか分からないから、少しは取り繕ったほうがいい」
夕方で人通りが少ないとはいえ、時折官吏や騎士が行き交う場所であるため、イズファインは控え目に自制するよう促したが、ナジェークは忌々しげな口調のまま話を続けた。
「お前相手に、少しくらい愚痴っても良いだろう。本当にあの連中ときたら、主従揃ってろくに仕事をしやしない。まあ……、下手に手を出されると後始末が大変だから、最初から私が全部取り仕切っているんだがな」
「グラディクト殿下だけではなくて、卒業と同時に自動的に補佐官に収まった、例の側付き三人組もか。そんなに使えないのか?」
「1から10まで教えればできるだろうが、生憎とそれほど暇ではない」
仮にも王太子と、その補佐官をあっさり切って捨てたナジェークだったが、イズファインはそれを咎めたりはせず、溜め息を吐くだけに止めた。
「彼らを君と比較するのは、ある意味酷だが……。全く同情はできないな。さぼらずにきちんと仕事をしていれば、完全に陥れられる筈もなかったのに……」
「ああ。奴らの怠慢のお陰で、この1ヶ月程でしっかり仕込む事ができたからな。これ以上文句を言うつもりは無いし、とどめはエセリアが刺すから、当日は高みの見物をさせて貰う。ところでイズファイン、当日の配置はどうなった?」
既に話し合っていた内容についたてナジェークが言及すると、イズファインも顔つきを改めながら短く答える。
「正面玄関の警備担当になった」
「それは好都合だな。不測の事態が生じたら、その時は臨機応変によろしく頼む」
「ああ、任せてくれ。それから詳細は伏せて、今日カテリーナに、来週に事を起こすとだけ伝えておいた」
それを聞いたナジェークは、反射的に表情を緩めた。
「それは助かった。本来の仕事と裏工作に忙殺されていて、彼女に落ち着いて連絡するのがままならなかったから。今頃、何の事やらと悩んでいるかな?」
「はっきり伝えたら激怒しそうだが、黙ったままだとそれはそれで後が怖いからな……」
「違いない」
「本来、笑い事ではないんだがな?」
そこで二人揃って苦笑いの表情になってから、ナジェークが思い出したように話題を変えた。
「そういえば、近々新たに頼みたい事ができたんだ。本当に、馬鹿は度しがたいと言うか何と言うか……」
「何の事だ?」
「ガロア侯爵家の長男夫婦が、懲りずにまたカテリーナの縁談を画策している」
それを聞いたイズファインは、本気で呆れ返った。
「はぁあ? どうやって画策しているんだ? 本人には悪いが、カテリーナの社交界での評判はかなり悪くなっているし、そうそう縁談が成立するとも思えないが?」
「評判が悪い娘でも、それ以上に評判が悪い男なら、引き取って貰えるだろうと考えたらしい」
「……ちょっと待て。穏やかな話ではないな。因みに相手は誰だ?」
瞬時に顔つきを険しくしながら問い質してきたイズファインに、ナジェークは冷めきった目付きで答える。
「カモスタット伯爵家のダマールだ。近衛騎士団に所属しているし、聞き覚えはあるだろう?」
そう問い返されたイズファインは、思わず周囲に人目があるのも忘れ、怒りを露にしつつ友人に詰め寄る。
「聞き覚えも何も、奴は近衛騎士団でも指折りの性悪野郎だぞ!? 特権階級意識に凝り固まって、平民出身の新人いびりが凄まじいし、貴族でも気に入らない人間は、訓練と称して叩きのめすのが日常茶飯事だ」
「へぇ? 聞きかじった噂もろくでも無かったが、実際はその上を行くらしいな。だが、あの厳格なティアド伯爵が束ねる近衛騎士団内で、よくそんな横暴がまかり通っているな」
「実際に腕は立つのと、カモスタット伯爵家の権勢がそれなりな事と、上層部の方々の前では如才なく取り繕っている事で、放逐されずに済んでいるんだ。同僚達から白眼視され、下からの人望も無しで、隊長職はおろか分隊長職にも声がかからず小隊長止まりだ」
そこでナジェークが、些か不思議そうに口を挟む。
「あの長兄夫妻が勧める縁談相手なら、嫡男だろう? どうして近衛騎士団勤務を続けているんだ? さっさと引退して、伯爵家の運営に専念すれば良いだろうが。どうせ小隊長止まりなのに。現状認識ができない馬鹿なのか?」
「公爵家嫡男なのに一官吏として出仕している君や、伯爵家嫡男なのに一騎士として出仕している私がいるし、それ自体は咎められる事ではないが……。恐らく自分の屋敷や領地では父親であるカモスタット伯爵の目が厳しくて、騎士団内で行われているような平民や後輩の騎士に対しての横暴な行為ができないからではないかな?」
渋面になりながらイズファインが解説した内容を聞いて、ナジェークは呆れ顔になった。
「はぁ? 年だけくった腕力にものを言わせているだけの我が儘坊主が、人知れず叩きのめす相手を調達できなくなるから、だらだらと近衛騎士団に居座っているとでも言う気か?」
「取り敢えず、それ位しか思い浮かばない。それなりにプライドが高いから、騎士団内に平民の分隊長や隊長が何人もいれば、普通だったらさっさと辞めると思うんだが。そういうわけで、あいつの小隊に配属されて辞めないのは、下級貴族のごますり野郎だけだと専らの評判だ」
イズファインには珍しく嫌悪感を露にしながら吐き捨てるように告げたことで、ナジェークの眉間のしわも深くなった。
「察するに……、その小隊への異動を打診された時点で、辞表を出す騎士が多いのか?」
「平民出身の優秀な騎士から、何人も立て続けに辞表を出されたらな……。それでおおよそを察した上層部が、辞表を出した者達を留意させて他の小隊へ配置しつつ、あいつを小隊長に任命してしまった事を後悔して頭を抱えているらしい。だが力量はあるし大きな落ち度が無いのに、伯爵家の人間を一方的に解雇できないからな」
「悪逆非道な行いの、決定的な証拠を掴めないというわけか」
「残念ながら毎回上手く立ち回っていて、何人かの貴族出身の隊長達を後ろ盾にしているし、王太子殿下とは比べ物にならない位、悪質で狡猾だ。女癖の悪さも相当なものらしいな」
「どうしてそんなことを知っている?」
怪訝な顔になりながらナジェークが問いかけると、イズファインが声を潜めながら告げる。
「さすがに王宮勤務の女性官吏や女官、女性騎士には手を出していないが、屋敷の使用人には何人も手を出しているらしいぞ? 直接聞いた事は無いが、それを武勇伝の如く仲間内で語っているらしい。どうやらカモスタット伯爵は、貴重な戦力である騎士や手足となってくれる家臣に危害を加えることは許さなくても、女遊びに関しては寛容らしいな。……聞く限りでは、女遊びの範疇に入るかどうかも怪しそうだが」
そこまで聞いたナジェークは、真顔で頷いてから冷静に宣言した。
「よく分かった。そんな品性下劣な奴の為に、近衛騎士団団長の手を煩わせる必要はないだろう。今回は私が、奴自ら辞表を提出させるように仕向けよう」
それを聞いたイズファインは、唖然としながら確認を入れた。
「『辞表を提出させるように仕向けよう』って……。カテリーナとの縁談の話は?」
「勿論、縁談を潰した上での事だ。私は何事も、効果的に無駄なく進めることにしているからな」
「ああ……、お前はそういう奴だよな……」
色々諦めたような表情で呟いたイズファインに、ナジェークが新たな要求を繰り出す。
「そういうわけだから、今回はちょっと手を貸してくれ。内密に動かせる人間は、多い方が良い」
「分かった。人数が必要であれば、秘密厳守で力を貸してくれる他の人間にも声をかける」
そこで頷き合った二人は話を終わらせ、何事もなかったように反対方向に向かって再び歩き出した。
「イズファイン、今日の勤務は終わりか?」
「ああ。気の毒に、そっちはまだ仕事漬けみたいだな」
かなりの量の書類を手にしている友人にイズファインが気遣う視線を向けると、ナジェークが凄みのある笑顔になりながら、皮肉まじりの声で応じる。
「ありがたくも王太子殿下のクレランス学園ご卒業に合わせて、財務部から殿下付きの筆頭補佐官に抜擢されたものでね。その過大な期待に応えようと、粉骨砕身しているところさ」
「ナジェーク……。笑顔が黒いぞ。どこで誰が見聞きしているか分からないから、少しは取り繕ったほうがいい」
夕方で人通りが少ないとはいえ、時折官吏や騎士が行き交う場所であるため、イズファインは控え目に自制するよう促したが、ナジェークは忌々しげな口調のまま話を続けた。
「お前相手に、少しくらい愚痴っても良いだろう。本当にあの連中ときたら、主従揃ってろくに仕事をしやしない。まあ……、下手に手を出されると後始末が大変だから、最初から私が全部取り仕切っているんだがな」
「グラディクト殿下だけではなくて、卒業と同時に自動的に補佐官に収まった、例の側付き三人組もか。そんなに使えないのか?」
「1から10まで教えればできるだろうが、生憎とそれほど暇ではない」
仮にも王太子と、その補佐官をあっさり切って捨てたナジェークだったが、イズファインはそれを咎めたりはせず、溜め息を吐くだけに止めた。
「彼らを君と比較するのは、ある意味酷だが……。全く同情はできないな。さぼらずにきちんと仕事をしていれば、完全に陥れられる筈もなかったのに……」
「ああ。奴らの怠慢のお陰で、この1ヶ月程でしっかり仕込む事ができたからな。これ以上文句を言うつもりは無いし、とどめはエセリアが刺すから、当日は高みの見物をさせて貰う。ところでイズファイン、当日の配置はどうなった?」
既に話し合っていた内容についたてナジェークが言及すると、イズファインも顔つきを改めながら短く答える。
「正面玄関の警備担当になった」
「それは好都合だな。不測の事態が生じたら、その時は臨機応変によろしく頼む」
「ああ、任せてくれ。それから詳細は伏せて、今日カテリーナに、来週に事を起こすとだけ伝えておいた」
それを聞いたナジェークは、反射的に表情を緩めた。
「それは助かった。本来の仕事と裏工作に忙殺されていて、彼女に落ち着いて連絡するのがままならなかったから。今頃、何の事やらと悩んでいるかな?」
「はっきり伝えたら激怒しそうだが、黙ったままだとそれはそれで後が怖いからな……」
「違いない」
「本来、笑い事ではないんだがな?」
そこで二人揃って苦笑いの表情になってから、ナジェークが思い出したように話題を変えた。
「そういえば、近々新たに頼みたい事ができたんだ。本当に、馬鹿は度しがたいと言うか何と言うか……」
「何の事だ?」
「ガロア侯爵家の長男夫婦が、懲りずにまたカテリーナの縁談を画策している」
それを聞いたイズファインは、本気で呆れ返った。
「はぁあ? どうやって画策しているんだ? 本人には悪いが、カテリーナの社交界での評判はかなり悪くなっているし、そうそう縁談が成立するとも思えないが?」
「評判が悪い娘でも、それ以上に評判が悪い男なら、引き取って貰えるだろうと考えたらしい」
「……ちょっと待て。穏やかな話ではないな。因みに相手は誰だ?」
瞬時に顔つきを険しくしながら問い質してきたイズファインに、ナジェークは冷めきった目付きで答える。
「カモスタット伯爵家のダマールだ。近衛騎士団に所属しているし、聞き覚えはあるだろう?」
そう問い返されたイズファインは、思わず周囲に人目があるのも忘れ、怒りを露にしつつ友人に詰め寄る。
「聞き覚えも何も、奴は近衛騎士団でも指折りの性悪野郎だぞ!? 特権階級意識に凝り固まって、平民出身の新人いびりが凄まじいし、貴族でも気に入らない人間は、訓練と称して叩きのめすのが日常茶飯事だ」
「へぇ? 聞きかじった噂もろくでも無かったが、実際はその上を行くらしいな。だが、あの厳格なティアド伯爵が束ねる近衛騎士団内で、よくそんな横暴がまかり通っているな」
「実際に腕は立つのと、カモスタット伯爵家の権勢がそれなりな事と、上層部の方々の前では如才なく取り繕っている事で、放逐されずに済んでいるんだ。同僚達から白眼視され、下からの人望も無しで、隊長職はおろか分隊長職にも声がかからず小隊長止まりだ」
そこでナジェークが、些か不思議そうに口を挟む。
「あの長兄夫妻が勧める縁談相手なら、嫡男だろう? どうして近衛騎士団勤務を続けているんだ? さっさと引退して、伯爵家の運営に専念すれば良いだろうが。どうせ小隊長止まりなのに。現状認識ができない馬鹿なのか?」
「公爵家嫡男なのに一官吏として出仕している君や、伯爵家嫡男なのに一騎士として出仕している私がいるし、それ自体は咎められる事ではないが……。恐らく自分の屋敷や領地では父親であるカモスタット伯爵の目が厳しくて、騎士団内で行われているような平民や後輩の騎士に対しての横暴な行為ができないからではないかな?」
渋面になりながらイズファインが解説した内容を聞いて、ナジェークは呆れ顔になった。
「はぁ? 年だけくった腕力にものを言わせているだけの我が儘坊主が、人知れず叩きのめす相手を調達できなくなるから、だらだらと近衛騎士団に居座っているとでも言う気か?」
「取り敢えず、それ位しか思い浮かばない。それなりにプライドが高いから、騎士団内に平民の分隊長や隊長が何人もいれば、普通だったらさっさと辞めると思うんだが。そういうわけで、あいつの小隊に配属されて辞めないのは、下級貴族のごますり野郎だけだと専らの評判だ」
イズファインには珍しく嫌悪感を露にしながら吐き捨てるように告げたことで、ナジェークの眉間のしわも深くなった。
「察するに……、その小隊への異動を打診された時点で、辞表を出す騎士が多いのか?」
「平民出身の優秀な騎士から、何人も立て続けに辞表を出されたらな……。それでおおよそを察した上層部が、辞表を出した者達を留意させて他の小隊へ配置しつつ、あいつを小隊長に任命してしまった事を後悔して頭を抱えているらしい。だが力量はあるし大きな落ち度が無いのに、伯爵家の人間を一方的に解雇できないからな」
「悪逆非道な行いの、決定的な証拠を掴めないというわけか」
「残念ながら毎回上手く立ち回っていて、何人かの貴族出身の隊長達を後ろ盾にしているし、王太子殿下とは比べ物にならない位、悪質で狡猾だ。女癖の悪さも相当なものらしいな」
「どうしてそんなことを知っている?」
怪訝な顔になりながらナジェークが問いかけると、イズファインが声を潜めながら告げる。
「さすがに王宮勤務の女性官吏や女官、女性騎士には手を出していないが、屋敷の使用人には何人も手を出しているらしいぞ? 直接聞いた事は無いが、それを武勇伝の如く仲間内で語っているらしい。どうやらカモスタット伯爵は、貴重な戦力である騎士や手足となってくれる家臣に危害を加えることは許さなくても、女遊びに関しては寛容らしいな。……聞く限りでは、女遊びの範疇に入るかどうかも怪しそうだが」
そこまで聞いたナジェークは、真顔で頷いてから冷静に宣言した。
「よく分かった。そんな品性下劣な奴の為に、近衛騎士団団長の手を煩わせる必要はないだろう。今回は私が、奴自ら辞表を提出させるように仕向けよう」
それを聞いたイズファインは、唖然としながら確認を入れた。
「『辞表を提出させるように仕向けよう』って……。カテリーナとの縁談の話は?」
「勿論、縁談を潰した上での事だ。私は何事も、効果的に無駄なく進めることにしているからな」
「ああ……、お前はそういう奴だよな……」
色々諦めたような表情で呟いたイズファインに、ナジェークが新たな要求を繰り出す。
「そういうわけだから、今回はちょっと手を貸してくれ。内密に動かせる人間は、多い方が良い」
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