その華の名は

篠原皐月

第7章 婚約破棄は大騒動:(1)新たな騒動の予感

 カテリーナの近衛騎士団勤務も三年目に突入し、彼女は先輩として後輩を指導する立場になっていた。
「お疲れさまです」
「お疲れさま。午後も頑張ってね」
「はい」
 昼休憩で食堂に向かう途中、後輩からすれ違いざま挨拶をされたカテリーナが笑顔で応じると、一緒に歩いていたティナレアがしみじみとした口調で言い出す。


「早いものね。私達がもう入団三年目だなんて、とても信じられないわ」
「本当。クレランス学園を卒業してから、あっという間だったわね」
 カテリーナも同様に頷いてみせたが、何故かティナレアは眉根を寄せながら言葉を返す。


「……随分、のんびりしているわね」
「え? 何の事?」
 友人の台詞の意味が分からなかったカテリーナが不思議そうに尋ね返すと、ティナレアは盛大に溜め息を吐いてから、呆れ気味に言い出した。
「あのね……。貴族とは名ばかりの私の家とは違って、カテリーナの家はれっきとした上級貴族だし、まかり間違っても仲間うちで恋バナが盛り上がる筈がないけど、一向にあなたの縁談が纏まる気配が無いから心配しているの。本当に、どうなってるのよ?」
 そんな事を渋面で言われてしまったカテリーナは、苦笑いしながら相手を宥めた。


「本気で心配して貰って悪いけど、私の場合『剛力暴力女』の悪評が広がっているもの。よほどの物好きでもなければ縁談を断られる以前に、話が持ち込まれる事もそうそうないでしょうね」
「それは単に古くさい石像が、偶々倒れてしまっただけでしょうが。確かに石像を殴った事に対しては弁解の余地は無いけど、面白おかしく噂の種にするなんて、世の中暇人が多過ぎるわよ」
 憤慨したティナレアだったがここで食堂に到着したため、一旦話は打ち切りになった。そして列に並んで昼食を受け取りながら、カテリーナは密かに考えを巡らせる。


(本当にナジェークの部下は、良い仕事をしてくれたわね。下準備もそうだけど、徹底的に噂を広めてくれたみたいだし)
 笑顔を見せつつ複雑な心境でカテリーナが空席に座ると、向かい合わせになって昼食を食べ始めたティナレアが、先程よりも物憂げな様子で言い出す。


「本当に世間は、見る目の無い男ばかりね。私なんかよりカテリーナの方が美人だし、察しが良くて気配りができるから先輩達からの信頼が篤いし、面倒見も良いから後輩達に慕われているのに……」
「褒めてくれてありがとう。でも……、いきなりそんな事を言い出すなんて、どうかしたの? また私に関する新しい噂が、何か流れていた?」
「別に、そういう事ではないけど……。ただ私から見ても、カテリーナの方が魅力的だし優秀なのに縁遠いのは、ちょっと理不尽だなと思ってね……。世の中、ままならないものだわ」
(さっきから感じていたけど、ティナレアったら今日はどうしたのかしら。あ……、ひょっとしたら、そういうことなの?)
 微妙な顔つきで愚痴めいた呟きを漏らす友人を、カテリーナは怪訝に思いながら観察していたが、少ししてある考えに思い至った。そして慎重に声をかけてみる。


「ティナレア、間違っていたらごめんなさい。もしかして、あなた結婚が決まったの? それで私がいまだに縁遠いから、それをどう切り出そうか悩んでいるの?」
 そう問いかけた途端、ティナレアはフォークを取り落として真っ赤になった。


「まっ、まだ、きちんと決まってないからっ!」
「それなら、正式に決まってはいないけどそれなりにお付き合いをしていて、ゆくゆくは……、とかの話にはなっているのよね?」
「まあ……、一応。そんな感じだけど……」
 顔を赤くした友人が、視線を微妙に外しながらボソボソと弁解がましく報告してくるのを見て、カテリーナは可愛らしいなと思いつつ話を進めた。


「おめでとう。それで、相手はどんな人? 差し支えなければ教えてくれる?」
「…………クロード」
「え? ティナレア。声が小さくて、よく聞こえなかったけど」
「だから、クロード・アゼルよ」
「はぁあ!? クロード!? 全然聞いてないけど!?」
「ちょっとカテリーナ! ここ、食堂なのよ!? 静かに!」
「ごめんなさい!」
 聞き覚えがありすぎる学園での同級生、かつ近衛騎士団同期入団者の名前が出てきたことで、カテリーナは動揺し、無意識に声を裏返らせた。それで周囲の視線を浴びてしまったことで、ティナレアが慌てて彼女を制止する。それで我に返ったカテリーナは何とか心を落ち着かせつつ、話を元に戻した。


「まさかクロードだったとは、驚いたわ。だけど急な話ね。これまで二人が顔を合わせている所に何回も遭遇しているけど、そんな話や気配が微塵もなかったから……。ティナレアの結婚相手が、私と共通の知り合いだとは思わなかったもの」
「だって……、同じ近衛騎士団内で付き合っているのが分かったら、周りから色々からかわれそうだったし。やりにくいかもしれないと思ったから……」
 弁解するように語られた内容に、カテリーナは素直に頷く。


「それは確かにそうかもね。でもそれなら、私に話して構わないの?」
「カテリーナは口止めを頼んだら、絶対口外しないでしょう?」
「勿論よ。信用して貰って嬉しいわ」
 そこで二人揃って笑顔になったが、すぐにティナレアが真顔になり、本題を切り出した。


「クロードが、今年中には結婚しようかって言っているの。それでカテリーナに結婚式の時、花嫁の介添え役をやって貰えたらと思ったから……。まず先に、内々に話をしておこうと思ったのよ」
 その予想外の申し出に、カテリーナは苦笑を深める。
「でも私には縁談の気配すら全然無いから、気を遣わせてしまったのね。本当に気にしないで。花嫁の介添え役は、喜んで引き受けさせて貰うわ」
「ありがとう。でも本当に、普通ならカテリーナの方が引く手数多なのにね。あの破壊事件が表沙汰になるまで、騎士団内で密かにカテリーナの人気は高かったのよ?」
「別に、一生独身でも構わないと思っているわ。このまま騎士団に居座って、隊長を目指すのも悪く無いわね」
「本気? 居座るって、アーシア隊長みたいに?」
 目を丸くして反射的に問い返したティナレアだったが、カテリーナは周囲を気にしながら声を潜めた。


「ティナレア。騎士団内では、今でもその名前は禁句よ。退団に関して、色々と憶測を呼んでしまったし」
「そうだったわね。それにあの人は結局、あまり評判の良くない家で決めた結婚相手に嫁いだ筈だし。本当に、今頃どうしているのやら。あれ以来、全然噂を聞かないけど」
 そこで微妙に気まずい空気になったものの、すぐに二人は話題を変えて楽しく昼食を食べ進めた。


「やあ、カテリーナ。久しぶり」
 食事を済ませ、ティナレアと共に食堂から出ようとしたところで入れ替わりに入って来たイズファインに声をかけられ、カテリーナは足を止めた。


「あら、イズファイン。今から食事?」
「ああ。予定が押してね。ところで例の鞍の修繕に関して、職人から君に伝言を頼まれているんだ」
「鞍ですって?」
「そうだよ。鞍の件だが」
(何を言ってるのよ。鞍の修繕なんて頼んでいないし、第一、どうしてイズファインに仲介を頼む必要が……。仲介……、ひょっとしたら、ナジェーク絡みの連絡かしら?)
 突然意味不明な事を言われたカテリーナが不審に思いながら問い返すと、イズファインは笑顔のまま目で訴えてくる。それで相手の言いたいことを何となく察したカテリーナは、それ以上余計な事は言わずに話を合わせた。


「…………ああ、例のあれの事ね。修繕が終わりそうなの?」
「来週には引き渡しができるそうだよ。君は寮生活だから、連絡がきちんとつくかどうか心配だからと、一昨日工房に出向いた時に頼まれてね」
「騎士団団長のご子息を伝言役に使うなんて、本当に豪胆な職人ね。腕が良いのは認めるけど」
「確かにそうだな。それじゃあ、また」
「ええ」
 一見、何の変哲もない会話を終わらせてから、カテリーナは再度歩き出して食堂を出た。すると並んで歩いているティナレアが、不思議そうに尋ねてくる。


「カテリーナ。愛用の鞍があるの?」
「ええ。かなり昔から使い込んでいて、ちょっと傷んでしまったの。それでイズファインから紹介してもらった工房に持ち込んで、修理をお願いしていたのよ」
「以前にも剣を修繕に出していたし、物持ちが良いわね」
「次々に使い潰すより、気に入った物を長く使いたいから」
 正直に思うことを告げたカテリーナだったが、それを聞いたティナレアはしみじみとした口調で感想を述べた。


「前々から思っていたけど、本当にカテリーナは侯爵令嬢らしくないわね」
「一応聞くけど、それは褒め言葉よね?」
「勿論そうよ」
 そこで二人は笑い合い、その話はおしまいになった。


(さて……、さっきの話は、察するに来週何か事を起こすか、事が起きると言う連絡の筈だけど……。これまで通り、手紙で書き記した物を送ってこないという事は、万が一にも露見したらまずい内容か、もしくは忙しくて手の込んだ手紙を書けない状態とか?)
 途中でティナレアと別れたカテリーナは、無言のまま勤務場所へ向かいながら考えを巡らせた。


(先月、エセリア様がクレランス学園を卒業して、本格的に王太子妃教育と結婚に向けての準備が本格化する時期である事を考えると……。そろそろ王太子殿下との婚約解消に向けて、動き出すのかしら?)
 そこであることが気になったカテリーナは、無意識に首を傾げた。


(でも来週って……。建国記念式典やその関連行事が幾つか設定されていて、かなり慌ただしい筈だけど。そんな時期に、一体何をする気なの? 確かに建国記念式典やそれに続く祝宴であれば、王太子殿下とその婚約者であるエセリア様が、揃って出席されるでしょうね。だけど国王王妃両陛下は言うに及ばず、国内の貴族当主夫妻や隣国からの招待客も目白押しの行事なのに……)
 そこで不吉な予感を覚えたカテリーナは足を止め、微妙に顔色を悪くしながら呟く。


「……まさかね。幾らなんでも、そんな大それたことにはならないわよね?」
 自分自身に言い聞かせるように呟いたカテリーナは、それ以上その事について考えるのを止め、意識をこれからの仕事に向けて再び歩き出した。



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