その華の名は

篠原皐月

(24)平穏なひと時

 休日に寮を出たカテリーナは、一度ジャスティンの家に出向いて借りた服に着替え、いつも通り裏口から外に出てナジェークとの待ち合わせ場所に向かった。


「やあ、久しぶり」
「そうね……。お互い王宮で姿を見かける事はあるけど、こうして顔を合わせるのは久しぶりね。……どうかしたの?」
 顔を合わせて挨拶をするなり自分の背後に視線を向け、何やら手振りをして見せたナジェークに、カテリーナは訝しげに尋ねた。すると彼が事も無げに返してくる。


「うん? ちょっと部下に確認。君の後をつけてくる人間は、いなかったそうだよ」
 それを聞いたカテリーナは呆れ顔になった。


「未だにジェスラン兄様やエリーゼ義姉様が、私の行動を監視していると思っているの?」
「彼らは、今はそれどころでは無いかな? 君の豪腕ぶりが知れ渡って、縁談を持ちかけても話を聞いても貰えなくて大変だろうし」
 それで嫌な事を思い出してしまったカテリーナは、思わず渋面で応じる。


「そうでしょうね……。屋敷に帰る度に頭が痛いし肩身が狭いから、今日は寮に帰るつもりでいるわ」
「可愛い盛りの、姪の顔が見れなくて残念だな」
「本当にそうね。半分は誰かさんのせいだと思うけど」
「否定はしないよ。それじゃあ行こうか」
 ナジェークはそう言いながら、左手でカテリーナの右手を掴んで歩き出す。咄嗟の事で抵抗する間もなく歩き出してから、カテリーナは斜め前を歩く彼に問いかけた。


「どこに行くのか、まだ聞いていないけど?」
「去年から、ワーレス商会が経営している食事処。なかなか評判が良いんだよ。個室も準備して貰ったし」
「ワーレス商会は、益々幅広く商売をしているのね……。ところで、この手は何?」
 しっかりと握られたままの手を軽く引きながら尋ねると、ナジェークは軽く振り返りながら当然のように告げる。


「明後日から始まる武術大会の参加者や各国の関係者で、いつもより人通りが多くなっているし、はぐれたら困るだろう?」
 確かに周囲を見回せば行き交う人間は多く、聞きなれない言葉が伝わる活気に満ちた様子だったが、納得しかねたカテリーナは言い返した。


「この年で、私が迷子にでもなると言いたいの?」
「不本意かい? それとも暴漢が襲ってきた時の為に、利き手は空けておきたいのかな?」
 笑いを堪える表情で尋ねられ、カテリーナの顔が僅かに引き攣る。


「……別に構わないわよ? その場合はあなたが責任を持って、暴漢を排除してくれるのよね?」
「そう思って貰えれば光栄だ」
(相変わらず、茶化すような物言いしかしないんだから)
 ナジェークはどこか機嫌良く答えて笑いを漏らしてから、再び前を向いて人波を避けながら進んだ。少々気分を害したカテリーナも、すぐに気を取り直しておとなしく付いて行く。そして周囲の様子を眺めながら、しみじみとした口調で言い出した。


「去年初めて武術大会が開催されて好評だったけど、今年は本当に近隣各国の代表者も参加する事になったのね」
「去年の開催時に、各国大使を招待したからね。どこの国も自国の猛者達を送り込んで、他国に向けて自慢したくなったんだろう。噂によると勝敗に関しての賭けを開催しようとしている胴元がいて、近衛騎士団が摘発の為に動いているとかいないとか」
「賭けの事は知らないけど、大勢の人間が王都内に流入しているから、治安維持の為に厳戒態勢を敷いているわよ。明日からはよほどの事がないと、休暇を取るのは難しいみたい」
「官吏側も、国賓の受け入れ対応で同様だな」
「だけど……、あの単なる学園行事の剣術大会から、ここまで規模が大きい国家行事に発展するとはね……。そもそもの構想を出したエセリア様って、本当にすごい人だわ」
 カテリーナとしては本心からの賛辞だったのだが、何故かナジェークはどこか困ったような苦笑いの表情を向けてきた。


「妹の事を手放しで誉めて貰ったのは嬉しいけど、いつまで『エセリア様』なのかな?」
「はい? どういう意味?」
 意味が分からなかったカテリーナが反射的に問い返すと、ナジェークが苦笑を深めながら言葉を重ねる。


「大した意味では無いが……。義理の妹になっても、君は『エセリア様』と呼ぶのかなと思ってね」
「え、ええと……、それは……」
(確かにこちらが年上だけど、本当に『エセリア様』のイメージなのよね。格が違うというか何というか……。今の今まで、考えてみた事が無かったけど。そうよね、ナジェークと結婚したら、彼女が私の義妹になるわけで。結婚……)
 指摘された内容に思い至ったカテリーナは困惑した後、僅かに顔を紅潮させながら少々語気強く言い返した。


「べっ、別に今すぐ義妹になるわけじゃなくて、まだまだ先の話よね!? 呼び方も当面、エセリア様のままで構わないはずよ! 違う!?」
「違わない。ゆっくり考えて貰って構わないさ」
「勿論、そうするわよ!」
(もう! 一人だけ余裕綽々で、本当に悔しいったら!)
 憤然としながらカテリーナは歩き続け、斜め後ろのその気配を察しながら、ナジェークは前を見たまま小さく笑っていた。





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