その華の名は
(13)小道具は手袋
カテリーナは次の休暇に合わせて屋敷に戻り、翌日にラツェル伯爵邸に向かおうとしたが、出発前に玄関ホールで兄夫婦に叱責される羽目になった。
「カテリーナ、分かっているな! くれぐれもラツェル伯爵邸では失礼の無いようにするんだぞ!?」
「分かっております」
「カテリーナ。そのレースの手袋は何なの?」
目ざとく指摘してきたエリーゼに、カテリーナは予め考えておいた口実を口にする。
「昨日戻った時、お気づきになりませんでした? 訓練中に左手に怪我をしまして、手の甲にちょっと傷跡が残っております。右手はどうしても手入れが疎かになりがちで、少々手荒れが……。普段の生活では支障はありませんが、他家への訪問時には失礼になりますし、見苦しいかと思いまして」
「全く! 近衛騎士団などに入っているから、色々疎かになるのよ。みっともないわね!」
「本当に見苦しいな! 少しは恥を知れ!」
「申し訳ありません」
兄夫婦に揃って喚かれてもカテリーナは平然と聞き流していたが、一連のやり取りを聞いていたジェフリーが仏頂面で三人を促した。
「過ぎた事は仕方があるまい。そのまま行けば良い」
「ですがお義父様!」
「この場で説教しても、カテリーナの手が治るわけではなし。こんな所で時間を潰して、刻限に遅れる方がよほど先方に失礼だろうが」
「そうですよ。早くお行きなさい」
尤もな事を言われてさすがに反論できず、ジェスランとエリーゼが不承不承頷く。
「……分かりました」
「行って参ります」
いかにも面白く無さそうな顔でジェスラン達はカテリーナを促して馬車に乗り込み、それを両親とミリアーナが玄関で見送った。
「カテリーナ?」
てっきりいつも通り遊んでくれると思っていた叔母が着飾って出掛けてしまった事でミリアーナが不満そうに祖父母を見上げる。そんな孫娘を、イーリスが優しく宥める。
「ご用事が済んだら、また遊んでくれますよ? 良い子にして待っていましょうね?」
「うん!」
そこでジェフリーが考え込みながら口を開く。
「それにしても……、昨夜と今朝の食事の時、特にカテリーナの手の傷など気にならなかったが」
「本人が口にしませんでしたから、私も注視などしませんでしたし。それほど気になる物でも無いのでは?」
「ああ。私もそう思ったのだがな。あの手袋はお前がカテリーナに渡した物では無いのだな?」
「ええ。私はエリーゼが準備したのかと思いましたが、あの様子では違うみたいですね」
「カテリーナが自分で調達したのか。なかなか趣味が良いな」
「ええ、私もそう思ったの。あれをどこであつらえたのか、後であの子に聞いてみるわ」
これから引き起こされる騒動など微塵も予測できなかった二人は、そんな呑気な会話を交わしてから、ご機嫌斜めなミリアーナを宥める為、彼女の遊び相手になっていた。
「降りるぞ」
「ええ。カテリーナ。仕方がないから、今日はその手袋は外しては駄目よ!? 見苦しい物を、ラツェル伯爵家の皆様の目に晒さないで頂戴!」
「分かりました。気を付けます」
ラツェル伯爵邸に向かう間もネチネチ嫌みを言われ続けた挙げ句、馬車を降りる直前にも釘を刺されたカテリーナは、憮然としながら兄夫婦に応じた。しかし馬車を降りた時、彼女は兄夫婦と同様、文句のつけようがない笑顔を浮かべていた。
「ジャスティン殿、エリーゼ様、カテリーナ様、我が屋敷へようこそ」
「息子共々、お待ちしておりましたわ。さあ、どうぞ中へ」
「ありがとうございます」
「いつ見ても、素敵なお屋敷ですわね」
ラツェル伯爵夫妻がジェスラン達と挨拶を交わす横で、当事者であるケビンとカテリーナも顔を合わせる。
「初めまして、カテリーナ嬢。お会いできて光栄です」
「私もケビン様にお会いする機会を得られて、幸運ですわ」
「カテリーナ嬢? この手袋は?」
「これは」
公式行事でもなく季節的な物でもないそれを見たケビンが何気なく問いかけると、カテリーナが言いかけるのを遮りながらエリーゼが声高に説明してくる。
「あの! 実はカテリーナは少々肌が弱く、赤く腫れやすい体質なのです。今朝、庭に植えられている花を飾ろうと剪定しましたら、軽く手を傷付けてしまいまして」
「勿論かすり傷程度なのですが、せっかくお招きいただいた場で見苦しいものをお見せするのは憚られますから。本日はこのままで失礼させていただきます」
(剣の稽古で怪我をしたなんて口外するより、花や葉で負けたと言った方が、確かにしおらしく聞こえるでしょうね。兄様もご苦労様です)
笑顔を引き攣らせながらジェスランまで弁解してきたのを見て、カテリーナは小さく肩を竦めた。しかしラツェル伯爵家の面々はそれを素直に信じたらしく、揃って穏やかに微笑む。
「そんな事をお気にされずとも」
「酷い怪我や、火傷などでは無くて良かったですわね」
「ありがとうございます。次にお目にかかる機会には、手袋など着けずに参りますわ」
(そんな機会は無いでしょうけど)
カテリーナは密かに辛辣な事を考えながら、促されるまま兄夫婦と共に応接室へ足を進めた。
それから六人はお茶を飲みながら談笑を始めたが、当初の予想以上に会話が弾み、和やかに時間が経過していった。
「カテリーナ嬢は近衛騎士団に所属されておられると聞いていますが、なかなかどうして話題が片寄る事なく、立ち居振舞いにも不安がありませんな」
「ええ、本当に。男装の麗人などと面白おかしく話題にされている方々がいらっしゃいますが、こうしていると普通のご令嬢にしか見えませんわ」
ラツェル伯爵夫妻が手放しでカテリーナに対して好意的な感想を口にすると、ジェスランとエリーゼは安堵の表情で礼を述べる。
「ありがとうございます」
「ええ、本当にカテリーナは周囲から誤解を受ける事が多く、私達は日々心を傷めておりまして」
「いやいや、あなた達のような理解ある兄夫婦がおられるのなら、心配いらないだろう」
「本当にそうですわね。優しいお兄様夫婦にお世話して貰って、カテリーナ様は幸せですわね」
「……はい。身に余る幸運だと思っております」
(はぁ……、さっさと終わらせたい。愛想笑いもそろそろ限界よ)
その頃には茶番劇を続ける事に飽きていたカテリーナは、室外に出るチャンスを窺っていたが、ここで願ってもない展開になった。
「それではケビン、カテリーナ嬢とのお近づきの印に、我が屋敷内をご案内してきたらどうかな? 家宝の幾つかもお見せして来なさい」
「そうですね。家宝と言っても武具が主なのですが、近衛騎士団におられるカテリーナ嬢には興味を持っていただけるかと思いますし」
「是非ともお願いしたいですわ!」
ラツェル伯爵の申し出にケビンが素直に応じ、カテリーナも即座に満面の笑みで頷く。
「それは良かった。それでは案内してきなさい」
「はい、それでは席を外します」
「それでは見学させて貰いますので」
「ああ、行ってこい」
「ケビン殿に失礼の無いようにね」
年長者に促されて二人が廊下に出て行き、残された四人は満足げに語り合った。
「カテリーナ様が想像以上に素敵なお嬢様で、嬉しい誤算でしたわ」
「そうだな。ケビンも昨日までは色々と愚痴を言っていたのに、相当彼女を気に入ったようだ」
「それは何よりです」
「安堵いたしました」
それから四人は全く不安を感じない笑顔で、二人の結婚式や披露宴はどうするのかなど、早速先走った相談を始めていた。
「カテリーナ、分かっているな! くれぐれもラツェル伯爵邸では失礼の無いようにするんだぞ!?」
「分かっております」
「カテリーナ。そのレースの手袋は何なの?」
目ざとく指摘してきたエリーゼに、カテリーナは予め考えておいた口実を口にする。
「昨日戻った時、お気づきになりませんでした? 訓練中に左手に怪我をしまして、手の甲にちょっと傷跡が残っております。右手はどうしても手入れが疎かになりがちで、少々手荒れが……。普段の生活では支障はありませんが、他家への訪問時には失礼になりますし、見苦しいかと思いまして」
「全く! 近衛騎士団などに入っているから、色々疎かになるのよ。みっともないわね!」
「本当に見苦しいな! 少しは恥を知れ!」
「申し訳ありません」
兄夫婦に揃って喚かれてもカテリーナは平然と聞き流していたが、一連のやり取りを聞いていたジェフリーが仏頂面で三人を促した。
「過ぎた事は仕方があるまい。そのまま行けば良い」
「ですがお義父様!」
「この場で説教しても、カテリーナの手が治るわけではなし。こんな所で時間を潰して、刻限に遅れる方がよほど先方に失礼だろうが」
「そうですよ。早くお行きなさい」
尤もな事を言われてさすがに反論できず、ジェスランとエリーゼが不承不承頷く。
「……分かりました」
「行って参ります」
いかにも面白く無さそうな顔でジェスラン達はカテリーナを促して馬車に乗り込み、それを両親とミリアーナが玄関で見送った。
「カテリーナ?」
てっきりいつも通り遊んでくれると思っていた叔母が着飾って出掛けてしまった事でミリアーナが不満そうに祖父母を見上げる。そんな孫娘を、イーリスが優しく宥める。
「ご用事が済んだら、また遊んでくれますよ? 良い子にして待っていましょうね?」
「うん!」
そこでジェフリーが考え込みながら口を開く。
「それにしても……、昨夜と今朝の食事の時、特にカテリーナの手の傷など気にならなかったが」
「本人が口にしませんでしたから、私も注視などしませんでしたし。それほど気になる物でも無いのでは?」
「ああ。私もそう思ったのだがな。あの手袋はお前がカテリーナに渡した物では無いのだな?」
「ええ。私はエリーゼが準備したのかと思いましたが、あの様子では違うみたいですね」
「カテリーナが自分で調達したのか。なかなか趣味が良いな」
「ええ、私もそう思ったの。あれをどこであつらえたのか、後であの子に聞いてみるわ」
これから引き起こされる騒動など微塵も予測できなかった二人は、そんな呑気な会話を交わしてから、ご機嫌斜めなミリアーナを宥める為、彼女の遊び相手になっていた。
「降りるぞ」
「ええ。カテリーナ。仕方がないから、今日はその手袋は外しては駄目よ!? 見苦しい物を、ラツェル伯爵家の皆様の目に晒さないで頂戴!」
「分かりました。気を付けます」
ラツェル伯爵邸に向かう間もネチネチ嫌みを言われ続けた挙げ句、馬車を降りる直前にも釘を刺されたカテリーナは、憮然としながら兄夫婦に応じた。しかし馬車を降りた時、彼女は兄夫婦と同様、文句のつけようがない笑顔を浮かべていた。
「ジャスティン殿、エリーゼ様、カテリーナ様、我が屋敷へようこそ」
「息子共々、お待ちしておりましたわ。さあ、どうぞ中へ」
「ありがとうございます」
「いつ見ても、素敵なお屋敷ですわね」
ラツェル伯爵夫妻がジェスラン達と挨拶を交わす横で、当事者であるケビンとカテリーナも顔を合わせる。
「初めまして、カテリーナ嬢。お会いできて光栄です」
「私もケビン様にお会いする機会を得られて、幸運ですわ」
「カテリーナ嬢? この手袋は?」
「これは」
公式行事でもなく季節的な物でもないそれを見たケビンが何気なく問いかけると、カテリーナが言いかけるのを遮りながらエリーゼが声高に説明してくる。
「あの! 実はカテリーナは少々肌が弱く、赤く腫れやすい体質なのです。今朝、庭に植えられている花を飾ろうと剪定しましたら、軽く手を傷付けてしまいまして」
「勿論かすり傷程度なのですが、せっかくお招きいただいた場で見苦しいものをお見せするのは憚られますから。本日はこのままで失礼させていただきます」
(剣の稽古で怪我をしたなんて口外するより、花や葉で負けたと言った方が、確かにしおらしく聞こえるでしょうね。兄様もご苦労様です)
笑顔を引き攣らせながらジェスランまで弁解してきたのを見て、カテリーナは小さく肩を竦めた。しかしラツェル伯爵家の面々はそれを素直に信じたらしく、揃って穏やかに微笑む。
「そんな事をお気にされずとも」
「酷い怪我や、火傷などでは無くて良かったですわね」
「ありがとうございます。次にお目にかかる機会には、手袋など着けずに参りますわ」
(そんな機会は無いでしょうけど)
カテリーナは密かに辛辣な事を考えながら、促されるまま兄夫婦と共に応接室へ足を進めた。
それから六人はお茶を飲みながら談笑を始めたが、当初の予想以上に会話が弾み、和やかに時間が経過していった。
「カテリーナ嬢は近衛騎士団に所属されておられると聞いていますが、なかなかどうして話題が片寄る事なく、立ち居振舞いにも不安がありませんな」
「ええ、本当に。男装の麗人などと面白おかしく話題にされている方々がいらっしゃいますが、こうしていると普通のご令嬢にしか見えませんわ」
ラツェル伯爵夫妻が手放しでカテリーナに対して好意的な感想を口にすると、ジェスランとエリーゼは安堵の表情で礼を述べる。
「ありがとうございます」
「ええ、本当にカテリーナは周囲から誤解を受ける事が多く、私達は日々心を傷めておりまして」
「いやいや、あなた達のような理解ある兄夫婦がおられるのなら、心配いらないだろう」
「本当にそうですわね。優しいお兄様夫婦にお世話して貰って、カテリーナ様は幸せですわね」
「……はい。身に余る幸運だと思っております」
(はぁ……、さっさと終わらせたい。愛想笑いもそろそろ限界よ)
その頃には茶番劇を続ける事に飽きていたカテリーナは、室外に出るチャンスを窺っていたが、ここで願ってもない展開になった。
「それではケビン、カテリーナ嬢とのお近づきの印に、我が屋敷内をご案内してきたらどうかな? 家宝の幾つかもお見せして来なさい」
「そうですね。家宝と言っても武具が主なのですが、近衛騎士団におられるカテリーナ嬢には興味を持っていただけるかと思いますし」
「是非ともお願いしたいですわ!」
ラツェル伯爵の申し出にケビンが素直に応じ、カテリーナも即座に満面の笑みで頷く。
「それは良かった。それでは案内してきなさい」
「はい、それでは席を外します」
「それでは見学させて貰いますので」
「ああ、行ってこい」
「ケビン殿に失礼の無いようにね」
年長者に促されて二人が廊下に出て行き、残された四人は満足げに語り合った。
「カテリーナ様が想像以上に素敵なお嬢様で、嬉しい誤算でしたわ」
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