その華の名は

篠原皐月

(8)密談

「よう、色男。良いところで出くわしたな。ちょっと顔を貸して貰おうか」
 複数の部署に書類を届ける為にナジェークが回廊を歩いていると、前方から歩いてきたジャスティンが、獰猛な笑顔を向けながら有無を言わさぬ口調で迫って来た。さすがにこの場を適当に誤魔化すわけにはいかないと判断したナジェークは、周囲に人影がない事を確認してから彼に囁く。


「……手早く済ませていただけるのなら、ここで。下手に人目を避けようとすると、却って怪しまれます」
「それなら聞くが、俺が言いたい事は分かっているよな?」
「ええ。ご心配おかけして、誠に申し訳ありません」
「それなら巷で広がっている話は、ガセネタだと思って良いんだな?」
「事実無根です」
 互いに笑顔を取り繕っており、時折すれ違う官吏達も世間話でもしているのかと、特に気に止めず二人の横を通り過ぎて行ったが、その人影が消えてからジャスティンが歯軋りした。


「あの野郎……。近衛騎士団内で、ガセネタを声高に触れ回りやがって」
「やはりそうですか。コーウェイ侯爵家の者が近衛騎士団に所属しているのは確認していたので、イズファインにフォローを頼んでおいたのですが」
 うんざりしながらナジェークが応じると、ジャスティンが綺麗に笑みを消し去りながら険しい視線を向けてくる。


「随分余裕に見えるが、この噂を消し去るには、相当骨が折れると思うが?」
「何とかします。そうでないと、貴方に首を切り落とされそうだ」
「分かっているじゃないか。警告はしたからな」
 面白く無さそうに吐き捨てたジャスティンは、そのままナジェークの横を通り過ぎて行き、その場に取り残された彼は乾いた笑いを漏らした。


「彼女の兄だけあって、なかなか迫力のある笑顔だったな」
 しかしすぐに真顔になり、再び目的地に向かって歩き出す。
「……さて、警告もされてしまったし、そろそろ本気でかからないとまずいな」
 いつも通りの表情で飄々と独り言を呟いたナジェークだったが、その後の算段をかなり本気で考え始め、翌日早速行動に出た。


「アラン。折り入って、ちょっと相談に乗って欲しい事がある。今日の仕事が終わったら、夕飯を奢るから一緒に食べないか?」
 朝、王宮に出勤したナジェークは、内事部の部屋に入る前にアランを捕まえる事に成功し、並んで歩きながら彼に囁いた。すると彼が、僅かに動揺しながら問い返してくる。


「は? 今日の夕飯? まさかシェーグレン公爵邸でか?」
「いきなり急に言い出して、さすがにそれは緊張するだろうから、それなりに美味いレストランを予約してあるんだが」
「それは構わないが……、どんな相談だ?」
「王宮内ではできない話だ」
 それで、大体の話の内容を悟ったアランは、周囲に人影が無いのを確認してから短く答える。


「……分かった。付き合うよ」
「助かる」
 そこで二人は何事もなかったように別れ、それぞれの席でいつものように一日中仕事に勤しんだ。


 その日、先に職場を出たのはアランであり、ナジェークは時間を見計らってから仕事を切り上げて退勤した。そして屋敷との往復に使っている馬車で、王宮正門から程近い場所で待機していたアランを拾い、街へと移動する。
 その後、庶民達が生活している街区の境界付近で馬車を降りた二人は、ナジェークの先導で、とあるレストランに入った。
「それで? 俺に相談と言うのは?」
 注文を済ませて店の者が下がると同時にアランが尋ねると、ナジェークも時間を無駄にせず早速本題に入る。


「内事部が携わる予算の使途について、おかしな所が無いか、他の人間には内密に調べたい」
「え? おかしな所があったら、問題になるよな?」
「今の財務大臣が就任したのは三年前。部長が就任したのは、その前年の四年前。部長を任命した前財務大臣はその一年前に就任したが、収賄が発覚して二年足らずで罷免されている」
「すまん、ナジェーク。お前が何を言いたいのか、俺にはさっぱり分からないんだが……」
 頭の中が疑問で一杯のような表情になったアランに、ナジェークが真顔のまま話を続けた。


「実は少し前から部長の周囲を家臣に探らせていたんだが、部長に抜擢された年から随分暮らしぶりが派手になっている。広い家に引っ越したり、奥方が下級貴族の官吏夫人にしては分不相応な豪華な装飾品を身に付けて、各種催し物に参加していたり、出入りの商人から購入する物のレベルが食料品から衣料品に至るまで」
「ちょっと待て、ナジェーク。まさかそれは『一官吏から内事部長に昇格した事に伴う、報酬増加のレベルを越えている』と言う事か?」
「早々に理解してくれて助かる」
 相手の言いたい事を察したアランが慌てて台詞を遮ってきたが、ナジェークは平然と頷いた。それを見たアランは更に顔付きを険しくしながら、声を潜めて確認を入れる。


「そうなると……、まさか部長が不正を行って、内事部予算を横領しているとか? それから前財務大臣が収賄で罷免されているという話だったが、部長が彼の在任中に抜擢されたのは、まさかその人に賄賂を送った見返りなのか?」
「当時、部長からの贈賄の証拠は出なかったがな。記録では、他の人間が何人か摘発されている」
 淡々と事実を列挙するナジェークに、アランは諦めにも似た表情を浮かべた。


「……お前の家臣が調べた内容からすると、お前の見立てでは黒なのか?」
「そう睨んでいる」
「それで予算の使途を調べるとか、言い出したわけか……」
 深々と溜め息を吐いたアランだったが、ナジェークの話はそれで終わらなかった。


「それからあの部長と、リドヴァーンの繋がりを探りたい」
「は? 繋がりって? リドヴァーンさんがすり寄っているだけだろう?」
「あれは部長と同類の、大して能力は無いのに、周囲に媚びを売って生き残るタイプだ。奴が財務局内事部に配属になったのが4年前で、部長就任とほぼ同時。上級貴族であるコーウェイ侯爵家につてが欲しい俗物と、不正の片棒を担いでも上役から目をかけられたいと願う姑息な奴とでは、息が合いそうだよな?」
 ナジェークがそう問いかけると、アランが難しい顔で考え込む。


「確かにな……。予算を動かすには各種申請書類に、担当者とそれを認可する部長のサインが必要だ。察するに、お前はリドヴァーンさんが担当者になっている支出項目が怪しいと見ているのか?」
「ああ。不正に関わらせる人間は、秘密を守る上でもできるだけ少ない方が良い。そして去年から内事部所属の者を観察しているが、リドヴァーン以上に部長にすり寄っている人間はいない」
「理屈は通るな……。確かにそんな人間が、上司と同僚に存在しているのは噴飯ものだ」
 そのままアランは無言で考え込み、ナジェークはそんな彼に返事を催促したりせず、おとなしく料理に手を付けつつ酒を飲んでいた。すると暫くしてからアランが顔を上げ、真顔で申し出る。


「分かった。その調査に、全面的に協力する」
「よろしく頼む。さすがに一人では手に余るからな」
 安堵しながらナジェークが表情を緩めると、アランも苦笑で応じる。


「お前にとっては、目障りな人間を纏めて排除できる絶好の機会だな。因みに、横領の証拠を掴めたとして、どう表沙汰にするつもりだ? 下手をすれば、部長に握り潰されるだけだぞ?」
「そこは任せてくれ。こちらには特大の伝手がある」
 事も無げに断言したナジェークを見て、アランは目の前の人間が王妃の実の甥である事を瞬時に思い出した。


「そうだったな……。普段そんな事は口にしないから忘れていたが、お前にはこれ以上は無い位の特大のツテがあったな。それじゃあ徹底的にやってみるか。元々、あの二人は気に入らない上、大して仕事ができないから足手まといだと思っていたし」
「それで部長の後任には、ユーフスさんを推そうと思う。どうだ?」
「やっぱりお前とは気が合うな」
「それなら決まりだ」
 すかさずナジェークが、次期内事部長にベテラン官吏の名前を上げたのを聞いて、アランは破顔一笑した。そしてどちらからともなくグラスを取り上げ、このちょっとした陰謀の成功を願ってグラスを小さく打ち合わせた。



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