その華の名は
(2)切なる訴え
ひとしきり母と共にミリアーナと遊んでから自室に入ったカテリーナは、心地よい疲労感に浸りながら椅子に座りつつ、ぼんやりと窓の外の景色を眺めていた。するとノックの音に続いて、入室の許可を求める声が聞こえてくる。
「カテリーナ様、お茶をお持ちしました。入ってもよろしいでしょうか?」
「ええ、構わないわ」
「失礼します」
落ち着き払って許可を出すと、茶器の支度をしたワゴンを押しながらメイドが静かに入室し、カテリーナに歩み寄ってから恭しく頭を下げた。
「エリーゼ様付きのルイザと申します。今回のご滞在中は、私がカテリーナ様の身の回りのご用を承ります。何なりとお申し付けください」
「ありがとう、ルイザ。よろしくね」
クレランス学園在学中に引き続き近衛騎士団で寮生活を続けているカテリーナには、屋敷内に専属メイドは配置されておらず、これまでにも帰宅時には母か義姉付きのメイドが身の回りの世話をしてくれていたが、カテリーナはしみじみとお茶を淹れ始めたルイザを眺めた。
(次期侯爵夫人のお義姉様付きの専属メイドは、お母様同様3人。その中でも一人は結婚時に実家から連れて来た人間だから、内通者にはならない筈。ナジェークの打つ手が有効なのは、情報の正確さによるものだと考えると……、このルイザかもう一人のお義姉様付きのスザンナが、限りなく怪しいのよね。下手に探りを入れるわけにもいかないけれど)
そんな事を悶々と考えている間に、カテリーナの前に静かにカップが置かれた。
「カテリーナ様、どうぞ」
「ありがとう」
「ところで、私の顔に何か付いておりますか? 先程から凝視されているようで、少々気になっていたのですが」
不思議そうにそんな事を尋ねられたカテリーナは、愛想笑いをしながら誤魔化そうとした。
「別に何も無いわ。気にしないで頂戴」
「そうでございますか。カテリーナ様は私が、某公爵子息がこの屋敷の内情を探る為に送り込んだ密偵かと、お疑いなのかと思いました」
「…………」
にこやかに微笑まれながらさりげなく告げられた内容に、カテリーナは無言で目を見開きながら相手を凝視した。そして数秒が経過してから、笑顔のままのルイザに慎重に確認を入れる。
「本当に“そう”なの?」
「はい。お疑いですか?」
「驚いただけよ。あなたとはこれまでに何回も顔を合わせた事はあるけど、そんな素振りは微塵も見せなかったわよね? このタイミングで素性を打ち明けたのには、何か理由があるの? 何かナジェークから言い含められた事があるとか」
驚きが過ぎ去ってからカテリーナが冷静に指摘すると、ルイザはただちに笑みを消し、真剣な面持ちで話し始めた。
「いえ……。実はこれは、私の一存です。ナジェーク様には、後で断りを入れます」
「どういう事かしら?」
「カテリーナ様、聞いてください。最近のエリーゼ様のなさりようが、私には到底我慢できないのです」
「最近と言うと、具体的には?」
カテリーナが重ねて促すと、ルイザは何とか怒りを押し殺しながら切々と訴え始める。
「以前からもそうでしたが、アイリーン様がお生まれになってから、お子様を顧みられない傾向がより顕著になられまして。あの方は自分の娘を、まるで居ないものかのように扱っておられるのです」
「居ないようにって……。お義姉様はミリアーナやアイリーンと、一緒に暮らしているわよね?」
「一切の世話は、メイドや乳母に丸投げですが。あの方はこの家の跡取りになり得る息子でなければ、興味が湧かないとお見受けします」
そんな事を辛辣に述べたルイザを、カテリーナは控え目に宥めようとした。
「それは……、確かにお義姉様には、そういう傾向があるかもしれないけれど……」
「全く! あの娘にして、あの親ありですわね! あれは仮にも娘の出産祝いに出向いた人間の台詞や態度ではありませんわ!」
そこでルイザが盛大に非難の声を上げ、カテリーナは先程母親から言われた事を思い出した。
「一昨日、お義姉様の所にダトラール侯爵夫妻がお見えになったそうだけど、その時に何かあったの?」
「あのお二人は、旦那様や奥様の前では余計な事は仰いませんでしたが、エリーゼ様に向かって『また女を産むとは、どこまで使えないのか』とか『他の娘はちゃんと息子を産んでいるのに』とか『いまだに家内の実権を握れないとは、不甲斐ないにも程がある』とか『ひとえに夫が頼り無さすぎるから。元々殿方を見る目は無かったけれど』とか言いたい放題でしたわ」
苦々しげに語られたそれをさすがに聞き流せず、カテリーナは思わず口を挟んだ。
「その場にジェスランお兄様はいらっしゃらなかったの?」
「はい。さすがに同席されていたら、そこまでは仰らなかったでしょうが。それでお二方がお帰りになった後、エリーゼ様が『好きで娘を産んだわけじゃないわよ!』と周囲に怒鳴り散らしまして」
「理不尽な事を一方的に言われたお義姉様の気持ちは、分からなくもないけど……」
「昨日など、エリーゼ様に遊んで欲しくて歩み寄ってきたミリアーナ様が、ドレスのスカート部分をつかんでおねだりしたら、『ドレスがしわになるでしょう!』と怒鳴り付けながらその手を掴んで、盛大に振り払ったのです。その拍子にミリアーナ様は床に倒れ込んで、大泣きされてしまいまして。幸い、無傷でいらっしゃいましたが」
憤然としながらルイザが語った内容を聞いて、カテリーナは顔色を変えて問い質した。
「そんな事があったの!? ミリアーナもお母様も一言も言っていなかったけど!?」
「エリーゼ様の私室内での出来事なので奥様はご存じありませんし、ミリアーナ様はまだ幼いですから、ご自分で訴えたりはできませんわ。ですがそれ以降、ミリアーナ様はエリーゼ様を怖がって近寄ろうとはせず、専ら奥様が面倒を見ておられます」
「まさか、そんな事があったなんて……」
特に変わった様子は無いように見えた母と姪の様子を思い返しながらカテリーナは呆然と呟き、そんな彼女を宥めるようにルイザが話を続ける。
「他の言動もあり、最近はさすがに奥様も腹に据えかねて時々意見をされていますが、カテリーナ様にはわざわざ知らせる事も無いと考えておられるようですね」
「確かに私まで口を出したら、お義姉様の態度が益々硬化するのが目に見えているわね。困ったものだわ」
「それで子供を放り出して何に血道を上げているかと言えば、カテリーナ様の縁談を纏める為に茶話会や夜会などの社交に励んでいるのですから、呆れて物が言えません! カテリーナ様に侯爵家の後継者の座を奪われかねないと、被害妄想を拗らせるにも程があります! 人の親として、他にする事が幾つもございますわ!」
そこで益々語気強く訴えたルイザに、カテリーナは神妙に頭を下げた。
「カテリーナ様、お茶をお持ちしました。入ってもよろしいでしょうか?」
「ええ、構わないわ」
「失礼します」
落ち着き払って許可を出すと、茶器の支度をしたワゴンを押しながらメイドが静かに入室し、カテリーナに歩み寄ってから恭しく頭を下げた。
「エリーゼ様付きのルイザと申します。今回のご滞在中は、私がカテリーナ様の身の回りのご用を承ります。何なりとお申し付けください」
「ありがとう、ルイザ。よろしくね」
クレランス学園在学中に引き続き近衛騎士団で寮生活を続けているカテリーナには、屋敷内に専属メイドは配置されておらず、これまでにも帰宅時には母か義姉付きのメイドが身の回りの世話をしてくれていたが、カテリーナはしみじみとお茶を淹れ始めたルイザを眺めた。
(次期侯爵夫人のお義姉様付きの専属メイドは、お母様同様3人。その中でも一人は結婚時に実家から連れて来た人間だから、内通者にはならない筈。ナジェークの打つ手が有効なのは、情報の正確さによるものだと考えると……、このルイザかもう一人のお義姉様付きのスザンナが、限りなく怪しいのよね。下手に探りを入れるわけにもいかないけれど)
そんな事を悶々と考えている間に、カテリーナの前に静かにカップが置かれた。
「カテリーナ様、どうぞ」
「ありがとう」
「ところで、私の顔に何か付いておりますか? 先程から凝視されているようで、少々気になっていたのですが」
不思議そうにそんな事を尋ねられたカテリーナは、愛想笑いをしながら誤魔化そうとした。
「別に何も無いわ。気にしないで頂戴」
「そうでございますか。カテリーナ様は私が、某公爵子息がこの屋敷の内情を探る為に送り込んだ密偵かと、お疑いなのかと思いました」
「…………」
にこやかに微笑まれながらさりげなく告げられた内容に、カテリーナは無言で目を見開きながら相手を凝視した。そして数秒が経過してから、笑顔のままのルイザに慎重に確認を入れる。
「本当に“そう”なの?」
「はい。お疑いですか?」
「驚いただけよ。あなたとはこれまでに何回も顔を合わせた事はあるけど、そんな素振りは微塵も見せなかったわよね? このタイミングで素性を打ち明けたのには、何か理由があるの? 何かナジェークから言い含められた事があるとか」
驚きが過ぎ去ってからカテリーナが冷静に指摘すると、ルイザはただちに笑みを消し、真剣な面持ちで話し始めた。
「いえ……。実はこれは、私の一存です。ナジェーク様には、後で断りを入れます」
「どういう事かしら?」
「カテリーナ様、聞いてください。最近のエリーゼ様のなさりようが、私には到底我慢できないのです」
「最近と言うと、具体的には?」
カテリーナが重ねて促すと、ルイザは何とか怒りを押し殺しながら切々と訴え始める。
「以前からもそうでしたが、アイリーン様がお生まれになってから、お子様を顧みられない傾向がより顕著になられまして。あの方は自分の娘を、まるで居ないものかのように扱っておられるのです」
「居ないようにって……。お義姉様はミリアーナやアイリーンと、一緒に暮らしているわよね?」
「一切の世話は、メイドや乳母に丸投げですが。あの方はこの家の跡取りになり得る息子でなければ、興味が湧かないとお見受けします」
そんな事を辛辣に述べたルイザを、カテリーナは控え目に宥めようとした。
「それは……、確かにお義姉様には、そういう傾向があるかもしれないけれど……」
「全く! あの娘にして、あの親ありですわね! あれは仮にも娘の出産祝いに出向いた人間の台詞や態度ではありませんわ!」
そこでルイザが盛大に非難の声を上げ、カテリーナは先程母親から言われた事を思い出した。
「一昨日、お義姉様の所にダトラール侯爵夫妻がお見えになったそうだけど、その時に何かあったの?」
「あのお二人は、旦那様や奥様の前では余計な事は仰いませんでしたが、エリーゼ様に向かって『また女を産むとは、どこまで使えないのか』とか『他の娘はちゃんと息子を産んでいるのに』とか『いまだに家内の実権を握れないとは、不甲斐ないにも程がある』とか『ひとえに夫が頼り無さすぎるから。元々殿方を見る目は無かったけれど』とか言いたい放題でしたわ」
苦々しげに語られたそれをさすがに聞き流せず、カテリーナは思わず口を挟んだ。
「その場にジェスランお兄様はいらっしゃらなかったの?」
「はい。さすがに同席されていたら、そこまでは仰らなかったでしょうが。それでお二方がお帰りになった後、エリーゼ様が『好きで娘を産んだわけじゃないわよ!』と周囲に怒鳴り散らしまして」
「理不尽な事を一方的に言われたお義姉様の気持ちは、分からなくもないけど……」
「昨日など、エリーゼ様に遊んで欲しくて歩み寄ってきたミリアーナ様が、ドレスのスカート部分をつかんでおねだりしたら、『ドレスがしわになるでしょう!』と怒鳴り付けながらその手を掴んで、盛大に振り払ったのです。その拍子にミリアーナ様は床に倒れ込んで、大泣きされてしまいまして。幸い、無傷でいらっしゃいましたが」
憤然としながらルイザが語った内容を聞いて、カテリーナは顔色を変えて問い質した。
「そんな事があったの!? ミリアーナもお母様も一言も言っていなかったけど!?」
「エリーゼ様の私室内での出来事なので奥様はご存じありませんし、ミリアーナ様はまだ幼いですから、ご自分で訴えたりはできませんわ。ですがそれ以降、ミリアーナ様はエリーゼ様を怖がって近寄ろうとはせず、専ら奥様が面倒を見ておられます」
「まさか、そんな事があったなんて……」
特に変わった様子は無いように見えた母と姪の様子を思い返しながらカテリーナは呆然と呟き、そんな彼女を宥めるようにルイザが話を続ける。
「他の言動もあり、最近はさすがに奥様も腹に据えかねて時々意見をされていますが、カテリーナ様にはわざわざ知らせる事も無いと考えておられるようですね」
「確かに私まで口を出したら、お義姉様の態度が益々硬化するのが目に見えているわね。困ったものだわ」
「それで子供を放り出して何に血道を上げているかと言えば、カテリーナ様の縁談を纏める為に茶話会や夜会などの社交に励んでいるのですから、呆れて物が言えません! カテリーナ様に侯爵家の後継者の座を奪われかねないと、被害妄想を拗らせるにも程があります! 人の親として、他にする事が幾つもございますわ!」
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