その華の名は

篠原皐月

(26)カテリーナの迷い

 連絡を貰ったのは急だったものの、ナジェークは何とか指定された時間帯に都合を付け、職場を抜け出した。そして足早に指定された場所に出向くと、カテリーナが近衛騎士の制服のまま中庭では無くそこを囲んでいる回廊に佇んでおり、ナジェークを目にすると軽く片手を上げながら声をかけてきた。


「こんにちは。久しぶりね」
「やあ、君も元気そうだな」
 カテリーナの大胆さに苦笑しながらナジェークは歩み寄り、周囲に人が居ないのを確認しながら声を潜めて話し出した。


「随分大胆だな」
「王宮内では、人目が無い場所を探す方が大変よ。色々考えてみたけど、偶然顔を合わせた同級生と立ち話する風情でいれば、見咎められないでしょう?」
「確かにそうだな。それで? 至急、直に話したい事とは何かな?」
 そこでカテリーナは溜め息を吐いてから、慎重に問いかけた。


「アーシア隊長の事よ。ワーレス商会の店舗にお邪魔した時、少なくとも商人達の間では、ブラウズがライール男爵家に縁談を持ち掛けた事が噂になっていたのね? それは知っていたけど、あなたは仕組んでいないのね?」
「だから何か仕掛けるまでもなく、自滅すると言っただろう? それにもっと正確に言えば、縁談では無くて乗っ取りだ」
「ちょっと。乗っ取りって、どういう事?」
 ナジェークの口から、急に物騒な単語がこぼれ出た事でカテリーナが警戒しながら問いを重ねると、彼はとんでもない事を言い出した。


「彼女との間に男児が生まれたら、ライール男爵家現当主の後継者をその男児にすると言う条件で、ブラウズが大枚をはたいたんだ」
「何ですって!? そんな事は不可能でしょう?」
「可能だ。相続に関する公文書を作成して、貴族簿を管轄する部署に届ければ良い」
「だけどライール男爵家が、そんな文書を提出する筈が無いわ!」
 カテリーナは常識的な事を述べたが、ナジェークは小さく肩を竦めただけだった。


「届け出には貴族家当主2名以上の署名が必要だから、ライール男爵家は言われるまま書いて渡したそうだ。署名が無ければ受け付けられないから、平民がありがたがってただの紙切れを持っていったと馬鹿にして油断しているが、ブラウズ位の商人だと金を貸していたり弱味を握っている貴族の一人や二人はいるだろう。現に、もう提出申請されている」
「嘘!?」
「本当だ。家族揃って迂闊な事だな。今頃ライール男爵家では認可通知の書簡が届いて、さぞかし動揺しているだろう」
 ナジェークが素っ気なく告げた事で、それが紛れもない事実だと悟ったカテリーナは、何とも言えない表情になりながら、独り言のように口にした。


「それなら次代のライール男爵家当主は、アーシア隊長が産んだ息子さんになるのね」
「それはどうかな? 別にあの女に産んで貰う必要は無いから」
 それを聞いたカテリーナは、驚いて問い返した。


「だって相続の条件は」
「どんな子供でも、彼女が産んだ息子として申請すれば良いだけの話だ。現に結婚式などもせず、彼女は国境沿いの辺鄙な場所にある別荘に送られたそうだ。ブラウズは王都内で、変わらず精力的に商売をしているのにな」
「どういう事?」
「王都に住まわせているお気に入りの愛人が男児を産んだら、その子はあの隊長が産んだと言えば良い。現に妻はあの女なんだからな。案外もう、産まれているかも知れないぞ?」
 そこまで聞いたカテリーナは、さすがに声を荒げて問い返した。


「そんな馬鹿な! 離れて暮らしているのに、無理があるでしょう!? それに隊長だって産んでいないと言うわよ!」
「時々は会いに行っているし、子供を産んだことを忘れた程錯乱している妻の療養の為に、静かな環境で生活させていると言えば十分言い訳が立つ。それに『自分が産んだ息子だと言わなければ、身一つで放り出す』と脅されたらどうかな?」
 そう指摘された彼女は、愕然としながら呟いた。


「……そこまでするの?」
「そこまでしてもおかしくは無い、たちの悪い男だと巷では評判だ。ライール男爵家はよくもまあ、あんな男と手を組んだものだ。金が入ったのは一時期で、遠からず家も爵位も領地も手放す事になるな」
「あなたはそれを知っていて、傍観していたわけ?」
「彼女の結婚に関しては、ブラウズとライール男爵家の問題だ。百歩譲って君が彼女に世話になっていたのなら忠告位はしてやっていたかもしれないが、あからさまに八つ当たりして嫌がらせをしていたからな。そんな義理は無い。それで? 話と言うのは、あの元隊長の事だけなのか?」
 如何にも面倒くさそうに問いかけてきたナジェークを見て、彼の中ではこの事はとっくに片付いた問題になっているのを察したカテリーナは、気持ちを切り替えて話を続けた。


「アーシア隊長の結婚は家同士の話し合いで決まったし、さっきあなた自身もその事に言及していたけど、この際きちんとあなたの考えを聞いてみたいと思ったのよ」
「具体的には?」
「あなたは結婚を申し出た時、私の人生に制限を加えるつもりはないとか言ったわよね? 結婚しても騎士団の勤務を続けて構わないとも」
「ああ、確かに言ったね。それが?」
「聞いた時は、そこまでできるものかしらと思って半ば聞き流していたけど、ここでの勤務を始めてやりがいを感じてきたし、できるだけ続けていきたいの。それに結婚すれば退職するしかないという慣例を、是非打ち破りたいと思っているわ。でも、あなたのご両親はどう思うかしら」
 真顔でそんな事を尋ねてきたカテリーナに、ナジェークは少々困ったように応じた。


「なるほど……。私の保証だけでは当てにならないと」
「そういう意味ではないけど、現当主であるシェーグレン公爵夫妻の意向を、さすがのあなたも無視できないでしょう?」
「確かにそうだが、もし万が一両親が賛同してくれないなら、結婚と同時に私が当主になれば良いだけの話だ」
 妙にあっさりと言われた内容に、カテリーナははっきりと顔色を変えて問い質した。


「ちょっと! まさかご両親を幽閉したり、辺境の屋敷に押し込めたり、外国に追放したりしないでしょうね!?」
 その必死な様子を見て、ナジェークはつい吹き出してしまった。


「カテリーナ……。君は一体、私をどんな人間だと思っているのかな?」
「あのブラウズの話を聞いた後だし、あなただってそれ位の事はやりかねないわ!」
「他の者に対して必要ならするが、さすがに家族に対してはしないさ。だが両親の事を心配してくれるんだ」
「それは人として当たり前でしょう!?」
「いや? 世の中には『ナジェーク様は優秀ですからご両親には引退していただいて、領地でつつがなく暮らしていただいては?』などと親切ごかして世迷い言を言ってくる毒婦母娘が、稀に存在している」
「……何よそれ。怖いのだけど」
 真顔で語られた内容にカテリーナが若干引いていると、ナジェークは話を纏めにかかった。


「君は知らなくて良い。とにかく、私は結婚しても君の勤務に口を挟むつもりはない。君が満足するかしないかは君の問題だが、私は現時点ではそうとしか言いようがないな」
 確かに今の時点で確約できる筈もなく、カテリーナは納得して頷いた。


「分かったわ。つまらない事で時間を取らせてごめんなさい」
「私達の結婚に関する事だから、つまらなくは無いさ。これからも何か話したい事があれば、いつでもイズファインを使えば良い」
「彼に悪いし、できるだけ控えるわ」
 そしてナジェークはおかしそうに笑ってからその場を立ち去り、カテリーナもスッキリした顔付きで持ち場へと戻って行った。


 ※※※


「今までの話が、学園を卒業後してから半年位までの内容だな」
 それを聞いたエセリアは、本気で頭を抱えてしまった。


「確かに複数の防犯グッズを提案して、ワーレス商会の工房で実用化して貰いましたが。まさかそれほど需要は無いと思っていたのに、その後で工房に出向いた時、『大変高貴なお嬢様にお渡しした直後に、多大な成果を上げたらしいですよ?』と職人の方がお話ししていたから、一体どんな高貴な方がどんな場面でどんな成果を上げたのかと、疑問に思っていたのですが……」
「その職人に、詳細を聞かなかったのかい?」
「その方はデリシュさんからのまた聞きで、それ以上の事はご存じ無かったので。それっきりデリシュさんに尋ねるのを忘れていましたし……。ですがお兄様! カテリーナ様に、何という濡れ衣を着せたのですか! 何ですか、『豪腕リーナ』と言うのは!?」
 本気で叱り付けてきた妹に、ナジェークは苦笑しながら応じる。


「彼女の知り合いは全く知らないのだから、別に構わないだろう?」
「もう本当に、色々な意味でカテリーナ様に申し訳なくて……。ご挨拶する時には土下座をしたくなってきました」
「『どげざ』とは何の事かな?」
「……大した事ではありませんので、気にしないでください。ところで卒業後の半年の経過をお聞きしましたが、ここで話を区切ったという事は、後半の半年にはもっと何か劇的な展開がありましたの?」
 ここでエセリアは少々強引に話題を変えたが、ナジェークは素直にそれに乗った。


「いや、寧ろ逆だ。その年の後半には、彼女の義姉の妊娠が発覚してね。彼女の長兄夫婦はカテリーナの縁談は一先ず棚上げして、社交も控えて出産に備えていたから、比較的平穏だったんだ」
 それを聞いたエセリアは、少しの間考え込んだ。


「カテリーナ様のお義姉様……。確かそれまでに、ご令嬢を1人出産されていましたわね」
「ああ。そして翌年に出産した子供も娘でね。このまま息子が生まれないままでは、本当に跡継ぎの座から追われると被害妄想に凝り固まった兄夫婦から、猛烈な縁談攻勢を受ける事になるのだが」
 それを聞いたエセリアは、当時のカテリーナの境遇に同情した。


「カテリーナ様にとっては、難儀な事でしたわね……。あら? 学園卒業後、二年目となると……。確かお兄様もその頃、どこぞのご令嬢との縁談が持ち上がったのではありませんか?」
 エセリアは何気なく口にしたが、その途端ナジェークが如何にも不快そうに顔を歪めた。


「縁談が持ち上がったのでは無くて、恥知らず女達にごり押しされて、既成事実化されそうになったんだ。あれでカテリーナにもかなり拗ねられたし、不愉快な事を思い出させないでくれないか?」
「申し訳ありません」
「まあ、それは良いから、さすがに眠くなってきたから、そろそろ休ませて貰おうかな? 夜も更けてきたし」
 そこでさりげなく腰を上げたナジェークだったが、それよりも早くエセリアが立ち上がり、壁際に置いてある小さめのテーブルに駆け寄った。


「ご安心ください、お兄様! ルーナに指示して揃えさせておきましたの! 眠気防止にすごくしみて涙が止まらなくなる点眼液と、悪臭一歩手前のすごくむせて吐き気すら催す香水と、暫く味覚がおかしくなる程のすごく不味くて苦い飴です! どれでもお好きな物を使ってください!」
 満面の笑みでそこに置かれていたトレーを差し出されたナジェークは、盛大に顔を引き攣らせた。


「……何だかどれもこれも、体に悪そうだね」
「人体に悪影響はありませんわよ? これまでに何人も使っていますもの」
「こんな物、誰が使うのかな?」
「世の中には人知れず夜通し働く方が、れっきとして存在していますのよ? その方々に《睡魔撃退シリーズ》として売り出して、なかなかの成績を出していますわ」
 その事実を知らされたナジェークは、諦めた表情になりながら溜め息を吐いた。


「そうか……、世の中、知っているようで知らない事が結構あるのだな……」
「それではお兄様、どれになさいます?」
「……飴にしておこうか」
 そしてガラス製のキャンディーポットから中身を一粒摘まみ上げたナジェークは、眼を閉じながらそれを口の中に放り込み、あまりの不味さと苦さに暫く悶絶する事となった。

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