その華の名は
(25)周囲の困惑
アーシアが退職し、王宮内の独身寮からも姿を消して数日後。騎士団棟の食堂で友人達と共に昼食を食べていたカテリーナは、旧知の人物から声をかけられた。
「やあ、カテリーナ、ティナレア、ノーラ、久しぶりだな。同席させて貰って構わないか?」
「構わないわよ?」
「二人ともどうぞ」
「ありがとう」
「それじゃあ、遠慮なく」
イズファインとクロードは彼女達のテーブルで空いている席に座り、早速昼食を食べ始めたと思いきや、周囲を気にしながら小声で尋ねてきた。
「なあ、第十五隊の元隊長の事だが」
それを聞いたティナレアとノーラが、如何にもうんざりとした様子で応じる。
「クロード。アーシア隊長について聞かれたのは、あなたでもう五人目よ」
「でも私達は、本当に何も知らないのよ。急に退職が決まったし、普通だったら催される退任式も無かったから、何だか事情があったらしい事は察しがつくけど」
「結婚が決まって退職したんだろう? それなのに横領をしたとかしないとか、不穏な噂が流れているんだよな」
「それは私も聞いたけど、それなら懲戒免職になるのじゃない?」
「イズファインは知らないの? お父様が騎士団長なのに」
ティナレアに続いてノーラが不思議そうに首を傾げると、イズファインは苦笑した。
「隊員の個別な情報とかは、幾ら家族でも漏らさないさ。正直、アーシア隊長の事は大して興味は無いが、『一人で女だけのテーブルに行くのは気が引ける』というクロードに付き合っただけだ」
「この裏切り者。本当に気にならないのかよ」
「確かに彼女の結婚相手に関しては、意外性という意味では興味があるが」
「どういう事?」
微妙な顔をしながら言い出したイズファインに、他の者達が怪訝な顔になると、彼は淡々と話を続けた。
「これは、先輩達から聞いた話だが……。アーシア隊長が入団してから何年かの間に、何人かの人間が交際や結婚を申し込んだらしい。だが『自分は男爵家の人間だから、平民と結婚なんかできない』と、悉く袖にしていたそうなんだ」
「はぁ?」
「何よそれ?」
「本当にそんな事があったの?」
「ああ。それなのに彼女の結婚相手が、平民の商人だという話だからな。当時を知る人達は『男爵家の人間は平民と結婚しないんじゃなかったのか?』と冷笑しているんだ」
そのイズファインの説明を聞いたティナレアは、本気で呆れ返った声を出した。
「馬鹿馬鹿しい。カテリーナみたいに自力で生活資金を得る必要は無い、どう考えても酔狂で場違いな侯爵令嬢ならともかく、私達のような末端の貧乏貴族は、生活費も余裕が無いから働きに出ているんじゃない。貴族だ平民だなんて言える立場なの?」
「ティナレア……。『酔狂で場違い』って、私の事をどんな人間だと思っているのよ?」
「間違ってはいないでしょう?」
「ええ、普通なら間違っても、カテリーナのような人間がいる場所じゃないもの」
「二人とも酷い……」
友人達に真顔で断言されたカテリーナは少々拗ねてしまったが、ここでイズファインが話を戻した。
「それでアーシア隊長の結婚相手が、余程才覚がある将来有望な商人だから結婚を決めたのかと思って。どんな人か興味が湧いたから、名前だけでも分かれば教えて貰おうと思ったんだ」
「そう言えば、結婚相手の名前すら出なかったわね」
「ええ、聞いていないわ。そんなやり手の商人なら、周囲に自慢しそうなのに」
「やはり第十五隊の中でも、そこら辺の事情については公になっていないのか」
ティナレアとノーラが顔を見合せる中、アーシアの結婚が決まった経過を思わぬ形で知らされていたカテリーナは、無言で考え込んだ。
(かなり年上の人に、しかも貴族との繋がり目当てに支度金を積まれて結婚が決まっただなんて、さすがに外聞を憚る話だから騎士団上層部も口を閉ざしているのね。でも微妙に情報が漏れているところが、何とも言えないわ……)
アーシアの事に関連して、少し前からもやもやした気持ちを抱えていたカテリーナは、そこで顔を上げた。
「イズファイン。ちょっと頼みたい事があるのだけど」
「何だい?」
「食べてからで良いわ」
「……そうか?」
それだけで、何やら周囲を憚る内容らしいと察したイズファインは、それ以上無理に聞き出そうとはせず、昼食を食べ進めた。対照的にクロードは、食べる手を止めて慎重に問いかけてくる。
「話を戻すが、そうなるとティナレアは貴族だが、別に結婚相手は貴族でないと駄目だとか、そういう事は言わないんだな?」
「さっきも言ったけど、言える立場じゃないわよね?」
「そうか、拘らないのか……」
「それがどうかしたの?」
「いや、何でもないから!」
怪訝な顔でティナレアが問い返すと、何やら安堵した表情になったクロードは慌てて誤魔化し、再び勢い良く食べ始めた。しかし次のティナレアの台詞で反射的に顔を上げる。
「カテリーナを目の敵にして嫌がらせをしていた事に関しても、隊長としてどうかと思っていたけど、本当に意味が分からないわ」
「カテリーナへの嫌がらせ? 何だそれは?」
「クロード、もう済んだ事だし、何でもないのよ!」
「もう! カテリーナは本当に人が良いんだから!」
今度は深く突っ込まれたくないカテリーナが、慌てて大した事では無いと強調し、それにティナレアが半ば呆れながら叱り付け、それ以後はアーシア以外の話題を出しながら、賑やかに昼食のひと時を過ごした。
「それで頼みたい事とは?」
昼食を食べ終えてから、さりげなく一足先にカテリーナと共に席を立ったイズファインは、食器を回収場所に運びながら彼女に尋ねた。するとカテリーナが前を見たまま、淡々と要求を口にする。
「できるだけ早く、ナジェークと直に会って話したい事があるのよ。明日の昼までに連絡を取って欲しいの」
「シェーグレン公爵邸に、私の名前で使いを出せば大丈夫だと思うが。具体的には?」
「明日の今の時間帯に、執務棟から後宮に抜ける東回廊の、中庭で待っているからと伝えて」
それを聞いたイズファインは、難しい顔になった。
「随分とざっくりとした伝言だな……。向こうの勤務の都合もあるし、合わせるのは無理かもしれないぞ?」
「それなら帰るだけだから、可否の連絡は要らないわ」
「分かった。今日中に話を通しておくよ」
「よろしくね」
そして食堂を出た二人は、何事も無かったようにそれぞれの持ち場に向かって歩き出した。
「やあ、カテリーナ、ティナレア、ノーラ、久しぶりだな。同席させて貰って構わないか?」
「構わないわよ?」
「二人ともどうぞ」
「ありがとう」
「それじゃあ、遠慮なく」
イズファインとクロードは彼女達のテーブルで空いている席に座り、早速昼食を食べ始めたと思いきや、周囲を気にしながら小声で尋ねてきた。
「なあ、第十五隊の元隊長の事だが」
それを聞いたティナレアとノーラが、如何にもうんざりとした様子で応じる。
「クロード。アーシア隊長について聞かれたのは、あなたでもう五人目よ」
「でも私達は、本当に何も知らないのよ。急に退職が決まったし、普通だったら催される退任式も無かったから、何だか事情があったらしい事は察しがつくけど」
「結婚が決まって退職したんだろう? それなのに横領をしたとかしないとか、不穏な噂が流れているんだよな」
「それは私も聞いたけど、それなら懲戒免職になるのじゃない?」
「イズファインは知らないの? お父様が騎士団長なのに」
ティナレアに続いてノーラが不思議そうに首を傾げると、イズファインは苦笑した。
「隊員の個別な情報とかは、幾ら家族でも漏らさないさ。正直、アーシア隊長の事は大して興味は無いが、『一人で女だけのテーブルに行くのは気が引ける』というクロードに付き合っただけだ」
「この裏切り者。本当に気にならないのかよ」
「確かに彼女の結婚相手に関しては、意外性という意味では興味があるが」
「どういう事?」
微妙な顔をしながら言い出したイズファインに、他の者達が怪訝な顔になると、彼は淡々と話を続けた。
「これは、先輩達から聞いた話だが……。アーシア隊長が入団してから何年かの間に、何人かの人間が交際や結婚を申し込んだらしい。だが『自分は男爵家の人間だから、平民と結婚なんかできない』と、悉く袖にしていたそうなんだ」
「はぁ?」
「何よそれ?」
「本当にそんな事があったの?」
「ああ。それなのに彼女の結婚相手が、平民の商人だという話だからな。当時を知る人達は『男爵家の人間は平民と結婚しないんじゃなかったのか?』と冷笑しているんだ」
そのイズファインの説明を聞いたティナレアは、本気で呆れ返った声を出した。
「馬鹿馬鹿しい。カテリーナみたいに自力で生活資金を得る必要は無い、どう考えても酔狂で場違いな侯爵令嬢ならともかく、私達のような末端の貧乏貴族は、生活費も余裕が無いから働きに出ているんじゃない。貴族だ平民だなんて言える立場なの?」
「ティナレア……。『酔狂で場違い』って、私の事をどんな人間だと思っているのよ?」
「間違ってはいないでしょう?」
「ええ、普通なら間違っても、カテリーナのような人間がいる場所じゃないもの」
「二人とも酷い……」
友人達に真顔で断言されたカテリーナは少々拗ねてしまったが、ここでイズファインが話を戻した。
「それでアーシア隊長の結婚相手が、余程才覚がある将来有望な商人だから結婚を決めたのかと思って。どんな人か興味が湧いたから、名前だけでも分かれば教えて貰おうと思ったんだ」
「そう言えば、結婚相手の名前すら出なかったわね」
「ええ、聞いていないわ。そんなやり手の商人なら、周囲に自慢しそうなのに」
「やはり第十五隊の中でも、そこら辺の事情については公になっていないのか」
ティナレアとノーラが顔を見合せる中、アーシアの結婚が決まった経過を思わぬ形で知らされていたカテリーナは、無言で考え込んだ。
(かなり年上の人に、しかも貴族との繋がり目当てに支度金を積まれて結婚が決まっただなんて、さすがに外聞を憚る話だから騎士団上層部も口を閉ざしているのね。でも微妙に情報が漏れているところが、何とも言えないわ……)
アーシアの事に関連して、少し前からもやもやした気持ちを抱えていたカテリーナは、そこで顔を上げた。
「イズファイン。ちょっと頼みたい事があるのだけど」
「何だい?」
「食べてからで良いわ」
「……そうか?」
それだけで、何やら周囲を憚る内容らしいと察したイズファインは、それ以上無理に聞き出そうとはせず、昼食を食べ進めた。対照的にクロードは、食べる手を止めて慎重に問いかけてくる。
「話を戻すが、そうなるとティナレアは貴族だが、別に結婚相手は貴族でないと駄目だとか、そういう事は言わないんだな?」
「さっきも言ったけど、言える立場じゃないわよね?」
「そうか、拘らないのか……」
「それがどうかしたの?」
「いや、何でもないから!」
怪訝な顔でティナレアが問い返すと、何やら安堵した表情になったクロードは慌てて誤魔化し、再び勢い良く食べ始めた。しかし次のティナレアの台詞で反射的に顔を上げる。
「カテリーナを目の敵にして嫌がらせをしていた事に関しても、隊長としてどうかと思っていたけど、本当に意味が分からないわ」
「カテリーナへの嫌がらせ? 何だそれは?」
「クロード、もう済んだ事だし、何でもないのよ!」
「もう! カテリーナは本当に人が良いんだから!」
今度は深く突っ込まれたくないカテリーナが、慌てて大した事では無いと強調し、それにティナレアが半ば呆れながら叱り付け、それ以後はアーシア以外の話題を出しながら、賑やかに昼食のひと時を過ごした。
「それで頼みたい事とは?」
昼食を食べ終えてから、さりげなく一足先にカテリーナと共に席を立ったイズファインは、食器を回収場所に運びながら彼女に尋ねた。するとカテリーナが前を見たまま、淡々と要求を口にする。
「できるだけ早く、ナジェークと直に会って話したい事があるのよ。明日の昼までに連絡を取って欲しいの」
「シェーグレン公爵邸に、私の名前で使いを出せば大丈夫だと思うが。具体的には?」
「明日の今の時間帯に、執務棟から後宮に抜ける東回廊の、中庭で待っているからと伝えて」
それを聞いたイズファインは、難しい顔になった。
「随分とざっくりとした伝言だな……。向こうの勤務の都合もあるし、合わせるのは無理かもしれないぞ?」
「それなら帰るだけだから、可否の連絡は要らないわ」
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