その華の名は

篠原皐月

(22)問題回避

「これは王宮内を巡回時に耳にした話ですが、ダオニール伯爵領では外国由来の新種の作物の育成と量産に成功したとか。それが事実であれば既存の穀物が育成不良に陥っても、国内が飢饉に襲われる心配は無くなると伺いましたが」
「ええ、その通りです」
「ですが大金を投じて土壌改革や試験栽培をした結果、かなり高額で売らないと元が取れず、しかしそうなると国内に広める事ができず、国の備蓄量を保持する名目で、安価で販売した場合の差額を国費から支出して貰えるように、陛下と交渉中でいらっしゃるとか」
「そこまでご存じとは……」
 驚愕を露にしながらローバンが応じると、カテリーナが右手を胸に当てながらしみじみとした口調で語った。


「それだけ王宮内で関心が高く、熱心に議論されているという事です。そしてこの事を耳にして、私はく感銘を受けましたの」
「それはどういう事ですの?」
 メルリースが不思議そうに口を挟むと、カテリーナは穏やかな口調で話を続けた。 


「一旦飢饉が発生すれば、一番被害を受けて困窮するのは末端の農民です。ダオニール伯爵は自分の領地の農民のみならず、国内全域の農民が有事に被害を受けないよう、方々の国々に人を派遣して寒さや疫病に強い品種を探し求め、無事に国内に根付かせたのです。何という深謀遠慮とご苦労の末の成果かと、しみじみと感じ入りました」
 全く知らない話の為、口を挟めないジェスランとエリーゼを無視しながらカテリーナが語りかけると、ローバンは感激したように目頭を押さえ、そんな夫を横目で見ながらメルリースが腹立たしげに訴える。


「カテリーナ嬢……。年若い貴女に、そこまで言って頂けるとは……。それだけでこれまでの苦労が、報われた気がします」
「本当に……。物知らずの短絡的な者達は、陰で『まともに食えない穀物を高値で売り付けようとする守銭奴』とか『王家に金をせびるとは何事だ』などと、口汚く申しておりますもの」
 そんな彼女を、カテリーナは笑顔で宥めた。


「メルリース様。そんな愚か者達など、心の中で嘲笑っておけば宜しいのです。王家はその重要性を認めておりますし、近々王家が補助金を出してその新種の種を買い上げ、国内隅々に提供する事を公表する筈ですわ」
「まあ!」
「カテリーナ嬢、それは本当ですか!?」
 興奮気味に問い返してきたローバンに、カテリーナは力強く頷く。


「はい。王宮内でかなり取りざたされている内容ですから近衛騎士が耳にする事も多い筈ですが、その者が内政に関心が無ければ聞き流すだけで、外部へは漏れないのかもしれませんね」
「確かにそうかもしれない。貴女は若いに似合わず、なかなかに思慮深い方のようだ」
「恐れ入ります。それに王宮で勤務しておりますと、後宮の王妃陛下や側妃の方々にお目にかかる為に、皆様が装いを凝らしていらっしゃるのを目の当たりにしておりまして、その面でも勉強させていただいております」
「あら、そういう事もあるの?」
 不思議そうにメルリースが尋ねてきたが、カテリーナは落ち着き払って答えた。


「例えばメルリース様の今夜の装いは、ドレスはカルディスの店の仕立てで、アクセサリーは全てターブレス工房の物ではありませんか?」
「ええ、良く分かりましたね」
「そちらの袖に使われている蝶がモチーフのレースは、カルディスで主に取り扱っている物ですし、最近の彫金の繊細な細工物で、ターブレス工房の人気は高いですから」
 微笑みながらどこから調達した物かを言い当てたカテリーナに、夫妻は揃って感心した表情になった。


「なるほど……。どこでどんな事をしていようと、本人の心がけ次第で、人格や品格が損なわれる事は無いとみえる」
「本当に。『女性ながら近衛騎士団に入るなどなんて野蛮な』などと放言している方々には、その見識の狭さを正してあげなければいけませんわね。ジェスラン殿、エリーゼ様、そうは思わなくて?」
「え? ええ……」
「それは……」
 メルリースに微笑まれたジェスランとエリーゼは咄嗟に言葉が返せず、ここで他の招待客を待たせている事に気付いたローバンが、カテリーナに笑顔で断りを入れた。


「今日はお会いできて良かった。コニールをご紹介できなかったのは残念だが、楽しんでいってください」
「若いお嬢さん方が、先程から貴女に話しかけたくてうずうずしているみたいですし、私達が貴女を独占していては申し訳ありませんからね。また後でお話ししましょう」
「はい、また後ほど」
(予めタリア義姉様の名前で、ナジェークが書き送ってきた内容は本当だったのね。それにしてもあの話、公言して本当に良かったのかしら?)
 カテリーナが安堵しながらその場を離れるダオニール伯爵夫妻を見送っている横で、ジェスランとエリーゼは忌々しげな顔を見合わせていたが、少し前からカテリーナの来場に気が付き、しかし伯爵への挨拶が済むまでは礼儀正しく様子を伺っていた年若い女性達が、ここで何人も一気に押し寄せてきた。


「仕方が無い。コニール殿が来られないなら、他の方々にご挨拶するか」
「そうね。ざっと見た感じ、独身の方が何人か、きゃあ! 何をするの!?」
「ちょっと邪魔よ。退いてくださる?」
「カテリーナ様、お久しぶりです!」
「学園を卒業後は近衛騎士団で働いておられますから、このような場に出る事もめっきり減っておりましたし」
「せっかく夜会にご参加くださったのに殿方の出で立ちでは無いなんて、とても残念ですわ」
「私達、カテリーナ様と踊るのを、楽しみにしておりましたのに」
 ジェスランとエリーゼを半ば強引に押し退けながら自分の周囲を取り囲んだ女性達に、カテリーナは苦笑しながら応じた。


「申し訳ございません。今夜は諸事情でドレス姿で出席しておりますが、この姿でも皆さんと踊る事はできます。宜しければ一人ずつ並んでいただけますか?」
「本当ですか!?」
「是非、踊ってくださいませ!」
「それならまず私から!」
「いいえ、私よ!」
「声をかけたのは私達が一番先なのに!」
 彼女の提案に周囲は色めき立ったが、これから目ぼしい独身男性をカテリーナに引き合わせようと考えていたジェスラン達は、慌ててその人垣に割り込んだ。


「ちょっと待て! これからカテリーナは、私達と一緒に挨拶回りを!」
「何を割り込んでいらっしゃるの!?」
「カテリーナ様は私達と踊ると仰っておられるのよ!?」
「おじさまとおばさまは、引っ込んでいてくださいませ! 邪魔ですわ!」
「なっ!」
「おっ、おば……」
 周りを囲んでいる者達の中で、一番年若く見える十代前半にしか見えない少女がジェスラン達を一括し、「おじさまおばさま」呼ばわりされた二人は怒りのあまり絶句した。しかし彼女はそんな二人を綺麗に無視しながら、カテリーナに懇願する。


「カテリーナ様、私達と踊ってくださいますわよね?」
「はい、ステラ様。皆様、お願いですから喧嘩などはせずに順番を決めてお待ちくださいね?」
「ええ、カテリーナ様を困らせたりはしませんわ。皆様、そうですわね?」
「その通りですわ」
「それでは一列に並びましょうか」
「そう致しましょう」
「ステラ様、どうぞお先に」
「いえ、クレア様とナターリア様の方が先にいらっしゃいましたから」
 ステラが穏やかに声をかけると、他の者達は冷静さを取り戻し、我先にと張り合うのを止めて礼儀正しく譲り合い始めた。しかし怒りが収まらなかったエリーゼが、夫を叱り付ける。


「ジェスラン!」
「そうは言っても……、あのステラ嬢はテーゼル公爵の一人娘で、公爵の溺愛ぶりはつとに有名だし、ここで機嫌を損ねる訳にはいかないだろう」
「全く忌々しい!」
 確かに社交界でも幅を利かせている家相手に、こんなつまらない事で事を構えるわけにもいかず、エリーゼ達は歯噛みして少女達のダンスを見守る事になった。


「できれば王子様のようなカテリーナ様と踊りたかったのですが、ドレス姿の貴女と踊るのも新鮮ですね。相変わらず凛々しくて、素敵ですわ」
 躍りながら苦笑気味にステラに囁かれたカテリーナは、笑顔で誉め言葉を口にした。


「ありがとうございます、ステラ様。その花をモチーフにした髪飾りは、良く似合っていますね」
「そうですか? ちょっと大人っぽくて、私には似合わないかもしれないと思いましたが」
「実際の年齢で括るよりも、本人の精神年齢で判断すべきですね。貴女は十分、クランベート工房のそのシリーズを身に付ける資格があると思いますよ? 本当に良く似合っていますから、自信を持ってください」
「ありがとうございます、カテリーナ様」
 それからもカテリーナは次々にダンスを申し込んでくる若い女性達とそつなくダンスをこなすだけでは無く、多彩な話題でその場を盛り上げた。


(最近の流行とか若い女性の関心事を、サビーネが小まめに事細かに書き送ってくれているから、話題に困らなくて助かっているわ。今度改めて、お礼の手紙を書かないとね)
 そのようにカテリーナの周囲に若い女性達が群がる半面、目論見が潰れたジェスランや女性達に見向きもされなくなった若い男性達は、腹立たしい思いを抱える事となった。 



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