その華の名は

篠原皐月

(15)水面下でのやり取り

 カテリーナが食堂で夕食を済ませ、寮の自室に戻って少ししてから、寮の管理をしている女性の一人が彼女の部屋を訪れた。
「カテリーナ・ヴァン・ガロアですね? 日中にお手紙が届いていました」
「ありがとうございます」
 左手に提げた籠の中から封書をより分けてカテリーナに手渡した女性は、続けて他の部屋に移動し、カテリーナは彼女を見送ってからドアを閉め、上質の封筒を裏返しにして差出人を確認した。


「あら、サビーネからだわ。学園内の事が書いてあるかしら?」
 卒業してからまだ二ヶ月も経たないながら、環境が一変した事でカテリーナは既に学生生活を懐かしく感じており、浮き立つ気持ちを抑えながらペーパーナイフで封を切った。そして予想通りサビーネの手紙の内容は、学園生活を語りながら自分との思い出を懐かしく語るもので、カテリーナは笑顔で読み進める。しかし後半に入ったところで、無意識に眉根を寄せた。


「ナジェークから聞いた、例の王太子殿下を盲信しているといる女生徒は、随分殿下にまとわりついて噂になっているのね。エセリア様を追い落として自分が後釜に座る前に、退学処分になったりしないのかしら? それともそこら辺は、エセリア様が上手く調整するのかしら? サビーネはサビーネなりに大変そうね。……あら、追伸?」
 とうとう最後まで読み切ったカテリーナは、ここで漸くこの手紙の隠された本題を目にした。


「色違いの糸……。しかも五本も……」
 そこに書かれた指示通り、先程便箋を取り出した封筒の中を慎重に確認してみると、封筒の縁にへばりつくように入っている五本の糸を発見する。


「はいはい、分かりました。きちんと取っておきますから。幾ら他人を憚ると言っても、本当にこんな事までする必要があるの? 寮に届く手紙を、途中で開封する人なんていないと思うけど……」
 書かれた指示を呟きながら再確認したカテリーナは、本当にこんなことまでする必要があるのかと半ば呆れながら、封筒と糸をそれぞれ別の場所にしまい込んだ。


 ※※※


「隊長、お呼びでしょうか?」
 その日も勤務中に急遽隊長室に呼び出されたカテリーナは、同様に後宮出入り口に詰めていた同僚達に断りを入れ、一人で出向いた。すると例によって例の如く無表情のアーシアから、三枚の用紙を手渡される。


「ええ。申し訳無いけど今月の勤務で、急遽調整しなければならない所ができてね。5日と11日と24日の休暇を変更して、勤務して貰いたいの。こちらが休暇変更要請書と、新しい勤務表よ」
「はぁ……、そうですか」
(割り当てられた六日の休暇のうち、予め申請しておいた三日全てとはね。せめてもう少し、取り繕おうとは思わないのかしら? ここまであからさまな嫌がらせをして、本当に大丈夫なの?)
 全く申し訳なさそうに見えないアーシアの顔から手元の用紙に視線を落としたカテリーナは、思わず的外れな心配をしてしまったが、生返事をしただけで黙り込んでいる彼女も、アーシアが意地悪く尋ねる。


「何か異論でも?」
「いえ、了解しました。隊長、他にご用は?」
「無いわ」
「それでは失礼します」
 淡々と休暇変更を了承して引き下がったカテリーナを、アーシアは憮然としながら見送った。
「相変わらず、可愛いげのない。困った顔でもすれば、手心を加えてやっても良いものを」
 そして再び一人きりになった隊長室で、アーシアがそんな自分勝手な台詞を、忌々し気に吐き捨てていた。


「戻りました。勤務中に抜けて、申し訳ありません」
 早足で詰め所に戻ったカテリーナが、その場での取り纏め役の先輩に頭を下げると、彼女は不思議そうに尋ね返してきた。
「それは構わないけど、隊長の呼び出しは何だったの?」
「今月の勤務が変更になったので、それに伴って休暇を移動するように要請されました」
 それを聞いた彼女が何か言う前に、以前組んだ事がある女性が訝し気な声を上げる。


「また? あなた先月も、そんな事を言っていなかった?」
「どんな勤務になったの?」
「こちらです」
 口々に尋ねられたカテリーナが、渡された勤務表の改訂版を彼女達に差し出すと、それを囲むようにして確認した面々は、揃って呆れ顔になった。


「え? 何、これ?」
「5日と言ったら明後日じゃない!」
「それでいきなり明日が休暇と言われても、予定があったら変更できない場合もあるでしょう?」
「それは、まあ……。予定はありましたが、何とか後日にずらせない事もないので……」
「それにしても……」
 何とか事を荒立てずにこの場を収めたいカテリーナは曖昧に誤魔化したが、最年長の彼女は難しい顔になった。それに周りの者達も、困惑顔で言い合う。


「私、休暇を急遽変更させられた事なんか無いわよ?」
「私も。休暇変更要請書なんて物が存在する事すら、知らなかったわ」
「幾らなんでも……、ねえ?」
「あの、本当に私の予定はどうにでもなりますから。先輩方の方が、新人の私より忙しいと思っていますし」
 内心では冷や汗ものでカテリーナが弁解すると、先輩たちは苦笑しながら頷いた。


「本当に、性格が良いわねぇ……」
「本人が良いと言うなら、私達が口出しをする筋合いは無いけど」
「もし本当に予定の変更がきかないなら、遠慮なく言ってくれて良いわよ?」
「そうよ。何とかなるから」
「ありがとうございます。その時は宜しくお願いします」
(何とか大丈夫かしら? なるべくジャスティン兄様の耳に入らないようにしたいけど、変に口止めをしたら逆効果かもしれないし)
 何とか事を荒立てずに済んだとカテリーナは胸を撫で下ろしたが、隊の内部で彼女の勤務変更の話が、密かに広がっていく事となった。
 そんな不穏な日々が続いていたが、今度はカテリーナにタリアから手紙が届いた。


「今度はタリア義姉様からね。……あら、便箋の端に色が付いてるわ。そうなるとこの前のサビーネからの手紙で説明されていたように、今回秘密の伝言を仕込んであるから、片方の端を同じ赤に染めてある糸を使うわけね」
 便箋の左上に小さな赤い染みを認めたカテリーナは、ぶつぶつと独り言を呟きながら、しまってあった糸の中から端を赤に染めてある糸をより分けた。それを手にして、便箋を広げておいた机に戻る。


「それじゃあ早速、一行目の端を、この糸の赤い方の端に合わせて横に張って伸ばす。最初の結び目がぶつかる所の言葉は……、『17日』か……」
 そしてその一つ目の結び目を文章の二列目の先頭に合わせ、同様に横に伸ばす。


「次はこの結び目を二行目の頭に合わせて、二つ目の結び目の場所は『十時』よね」
 そんな調子で結び目を各行の先頭に次々合わせ、次の結び目が重なった言葉を確認していくと、きちんとそれらしい内容になった。


「繋げると……、『17日』『十時』『中央』『広場』『噴水』『兄』『家』『服』『変える』よね? 大方、タリア義姉様に頼んで庶民的な着替えを用意してあるから、そこで着替えてから噴水に来いって事でしょうけど……」
 内容を確認できたのは良いものの、それが仕込まれていた便箋をしげしげと眺めたカテリーナは、半ば呆れ気味の感想を漏らした。


「どう見ても近況報告と世間話の羅列の、違和感の無い手紙の中に、どうしてこんなに自然に必要な単語を盛り込めるのよ……。これ、絶対ナジェークが書いたのよね? 頭が良すぎて、本当に怖いわ」
 前回のサビーネから貰った手紙とは明らかに差がある、庶民が使うようなそれほど質の良くない便箋を手配しているそつのなさも加えて、彼女は少々寒気を覚えた。



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