その華の名は

篠原皐月

(6)とんだとばっちり

 近衛騎士団に入団してひと月が経過し、通常であれば勤務にも慣れて心身ともに余裕が出てくる時期ではあったが、何故かカテリーナの周囲では気の抜けない空気が漂っていた。


「カテリーナ・ヴァン・ガロアです。隊長、お呼びと伺いましたが、どのようなご用件でしょうか?」
 訓練時間の合間に隊長室に呼びつけられたカテリーナは、これまで勤務場所や時間が直前になって変更された事が度々あり、またその連絡かと思いつつ感情を面に出さずに挨拶をした。するとアーシアは彼女に負けず劣らずの無表情で、二枚の文書を差し出しながら説明してくる。


「ご苦労様。今月の勤務表は出ているけど、その時々で調整する事があってね。あなたには申し訳無いけれど休日にしてあった七日と十九日は、日勤と準夜勤に入って欲しいの。これが二日分の勤務変更要請書よ」
「七日と十九日、ですか?」
「……何か問題でも?」
「あ、いえ……、何でもありません」
 思わず尋ね返したカテリーナを、アーシアが鋭く睨み付ける。それを見たカテリーナは、顔が笑み崩れそうになるのを必死に堪えた。


(よりによって、休暇申請を出しておいた七日と十九日が変更? しかも公文書まで貰えるなんて、本当に助かったわ! こちらから休みを変更したわけではないし、予定を返上しても不可抗力よね!? いけない、仕事中よ。平常心、平常心)
 そこでカテリーナは、気になった事を尋ねてみる。


「隊長。そうなると、代わりの休日はどうなりますか?」
「四日と十五日になるわね」
「分かりました。それでは他にご用は?」
「下がって良いわ」
「それでは失礼します」
 アーシアはおとなしく休暇変更をカテリーナが受け入れたのが少し意外そうな顔になったが、無表情な彼女を見て退室を促した。勿論カテリーナも長居をする気は更々無く、おとなしく頭を下げて鍛錬場に戻る為に歩き出す。


(それじゃあせっかくだから、これはもう少し手元で温めておいて、各予定の二・三日前に家に届けるようにしないと。早目に届けたら新しい休日に合わせて、予定を変更される可能性もあるものね。本当に凄い偶然で助かったわ)
 この間、憂鬱の種だった予定が二つ見事に潰れた事で、カテリーナはすっかり気を良くして歩いて行った。そして彼女が助かった分、代わりに割りを食う者達が発生するのは自明の理であった。


 ※※※


「お義母様、お呼びと伺いましたが」
「母上、何かご用ですか?」
 ジェフリー夫婦の居間に呼びつけられたジェスランとエリーゼは笑顔でお伺いを立てたが、その笑顔はすぐに怒りの表情に置き換わる事となった。


「あなた達に知らせておかなくてはいけなくてね。明後日のケーニッヒ伯爵家での夜会ですが、カテリーナは参加できなくなったわ」
「どうしてですか! カテリーナにはちゃんと休暇を申請するように、言っておきましたよね!?」
「カテリーナが、つまらない言い訳でもしてきたのですか? 父上と母上が甘やかすからですよ!」
 その非難の声にジェフリーが心外そうに言い返し、イーリスが困惑顔で一枚の用紙を差し出す。


「誰がカテリーナを甘やかした」
「上司の方から、急遽こういう物を渡されたとカテリーナが知らせてきたのよ」
 母親から引ったくるようにしてそれを受け取ったジェスランは、益々表情を険しくしながら悪態を吐いた。


「勤務変更要請書!? 何だこれは! こんな物、知らんぞ!」
「近衛騎士団の紋様が入った、騎士団での正式な文書だ。このように仕事上の事だから、今回の予定変更は仕方があるまい」
「ですが!」
「私事で勤務を疎かにはできん。近衛騎士団に入団したいと、カテリーナが自ら決めた事だ。新人なのだから、年配の者より自由が利かないのは当然の事。多少不規則な勤務となっても、きちんと上司の指示に従うべきだろう」
「それはそうかもしれませんが!」
「私は、カテリーナを甘やかすつもりは無い。お前の意見は違うのか? 常日頃から『カテリーナを甘やかすな』と言っているお前が、まさかカテリーナの希望通りの休暇にするように騎士団に抗議すべきだなどとの妄言を、口にはしまいな?」
「……っ!」
 厳めしい表情で父親に断言されたジェスランは、反論できずに悔しそうに唇を噛んで黙り込んだ。更にイーリスが止めを刺してくる。


「そういう事情ですから、急な事で申し訳無いけれどケーニッヒ伯爵家に断りを入れないといけません。エリーゼ宛に招待状が来ていたから、あなたから事情説明とお断りの連絡をお願いしますね?」
「……分かりました」
 イーリスの要請を突っぱねる事などできず、エリーゼは歯軋りしたい気持ちを何とか押さえ込みながら了承の返事をし、夫婦揃って引き下がった。そして夫婦に与えられている居間に戻ってから、周りの目に構わず盛大に喚き散らす。


「どうしてカテリーナの勤務が、急に変更になるのよ!」
 それに疲れたようにソファーに腰を下ろしたジェスランは、忌々しげに告げる。
「今回は偶々だろう。小耳に挟んだところでは、近衛騎士団内でも女性騎士はなり手が無くて、慢性的に人手不足らしいし」
「だから近衛騎士団なんかに、入れるべきじゃ無かったのよ!」
 憤懣やるかたない妻の心情は理解していたものの、事態をこれ以上悪化させないように手を打つ必要性を認めていたジェスランは、諦めの表情でエリーゼに言い聞かせた。


「それよりも一刻も早く、ケーニッヒ伯爵家にお断りの連絡をしないと。カテリーナを、ダーシュ伯爵家のヨハン殿と引き合わせる仲介をお願いしているのだし」
「分かっているわよ! すぐに手紙を……、いいえ、ご都合をお伺いして、先方に頭を下げてくるわ! 全く! どうして私が、こんな事をしなくてはいけないのよ!?」
 そんなエリーゼの金切り声を耳にしても彼女付きの使用人達は慣れたもので、冷静に事態の推移を見守るだけだった。



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