その華の名は

篠原皐月

(27)とんでもない濡れ衣

 王宮内の広大な敷地を走り抜け、ある実務棟の正面玄関前で馬車を止めさせたナジェークは、布で覆い隠した樹木の模型をカテリーナの膝の上に乗せながら彼女を促した。


「さあ、それを胸の前で両腕の上に乗せて、手で前方を押さえながら抱え持って。かさばってはいるけど見た目よりはるかに軽いから、運ぶのに支障は無いだろう?」
「確かに軽々と運べるけど……、どうしてこんな物を持参しないといけないの?」
 上半身を隠してしまう程の大きさのそれを抱えながら、カテリーナが根本的な疑問を口にすると、ナジェークが落ち着き払った様子で説明を始めた。


「現時点では、私達の関係を他者に知られたくない。しかし後宮に君を連れて、こっそり忍び込むのは不可能だ」
「当たり前よ。怖すぎる事を言わないで」
「貴族令嬢の装いの君を同伴したら忽ち噂になるし、男装をさせても余計に目立つ。だから事前に顔が隠れる荷物を持たせて、侍女として同伴させる事にした」
 確かに顔は隠れても、却って悪目立ちする気がしたカテリーナは、納得しかねる顔付きになった。


「設定に無理が有りすぎない? これでも十分怪しいと思うのだけど……」
「どうとでも言い訳は立つさ。さあ、前は殆ど見えないが、王宮内に変な物は滅多に転がっていないから、私の後に付いて来てくれ。一応足元だけには注意して」
「……分かったわ」
 注意事項を口にした彼はさっさと馬車から降り立ち、事ここに至って完全に諦めたカテリーナも、ナジェークに手を貸して貰いながら慎重に馬車を降りた。


「それじゃあ、行くよ」
「ええ、大丈夫」
 改めてしっかり植木鉢を模した浅い容器の底を抱え持ったカテリーナは、ナジェークの先導でゆっくりと玄関に向かって歩き出した。


「失礼。どちら様ですか?」
「シェーグレン公爵家のナジェークだ。王妃陛下の所にお届け物で、侍女に持たせている。通らせて貰うよ」
 当然のように玄関の内外で警備している近衛騎士達に声をかけられたが、ナジェークは悪びれない笑顔で名乗り、その堂々とした立ち居振舞いと、彼らが乗ってきた馬車に付いている公爵家の紋章を確認した騎士達は、微妙な顔になりながら一礼して道を譲った。


「……どうぞ、お通りください」
「ありがとう」 
 ナジェークは両側に居並ぶ騎士達など全く気にせず、悠々とその場を通り過ぎて先へ進んだが、半ば顔を隠すようにして俯き加減に付いて行ったカテリーナは、周囲から視線を集めている気配を感じて気が気ではなかった。


「何だか結構、人目を引いている気がするのだけど?」
 前を歩くナジェークだけに聞こえる程度の声でカテリーナが囁くと、彼も前を向いたまま小声で返してくる。


「確かにすれ違う官吏や女官達からは見られているかもしれないが、仰々しい君の荷物が気になっているだけで、君自身の顔を見ている人間は殆ど居ないから、心配要らないよ」
「それも見越して、顔を隠す用途としてこんな物を……、うわっ」
「どうかしたのか?」
 話の途中でカテリーナが急に変な声を上げ、足を止めたのを訝しんだナジェークが振り返ると、彼女は荷物の陰に完全に顔を隠したまま事情を説明した。


「さっき三番目の兄が、目の前の通路を横切ったのよ」
「……ああ、確か近衛騎士団勤務だったか」
「こんな場所で、こんな格好でいる所を見られたら、何も弁解できないわよ。洒落にならないわ」
 偶々顔を上げて前方を見た時、視界に見慣れた顔が入ったカテリーナは本気で肝を潰して冷や汗を流した。しかし彼女の動揺ぶりとは裏腹に、ナジェークは相変わらず涼しい顔付きで他人事のように告げる。


「まあ、どうにでもなるんじゃないか?」
「またそんなお気楽な事を」
「そうだな……、せっかくだからその兄上も、こちら側に引き込むか……」
「人の話を聞きなさいよ!」
 何やら考え込んでいるナジェークを叱咤したカテリーナは、立ち止まったままでは嫌でも人目を引いてしまう為、彼を促して奥へと進んだ。


「うぅ、緊張する。あそこで警備しているのは、近衛騎士団の人達なのよ? 今後の事があるから変な事をして怪しまれたり、顔を覚えられたりしたく無いんだけど!?」
 それからさほど時間を要さずに後宮棟との境目に到達した二人は、足を止めて警備している騎士達を眺めた。そこでカテリーナにしてみればかなり切実な訴えをしたのだが、ナジェークはそれを聞いているのかいないのか、あっさりといなして歩き出す。


「大丈夫だから。心配しないで付いて来てくれ」
「本当に大丈夫なんでしょうね!?」
 かなりの不安を覚えながらカテリーナも彼の後に続いたが、やはり二人は騎士達に先に進むのを止められた。


「失礼します。お名前と、どちらにご用なのかお聞かせください」
「シェーグレン公爵家のナジェークです。本日午後に、王妃陛下とのお約束があります」
「少々、お待ちください」
 互いに神妙にやり取りをしてから、騎士の一人が手元の書類の束を捲り、深く頷いて了承した。


「失礼いたしました。ナジェーク様のお名前は確認できましたので、お通りいただいて構いません。それで、そちらの女性は?」
 やはり怪しまれたかと、カテリーナは緊張のあまり全身を強張らせたが、ナジェークの飄々とした態度は微塵も揺るがなかった。


「ああ、彼女は我が家で勤務している侍女です。今日は王妃陛下への進呈品を持参したのですが、これがなかなか嵩張る上に重い物で。私一人では、とても運べない代物ですから」
 すると騎士達は一瞬顔を見合わせてから、何とも言えない顔付きでナジェークとカテリーナが抱えている荷物を交互に見やった。


「……それを、侍女殿に持参させたと?」
「王妃陛下の御前に、むさ苦しい男を同伴するのは躊躇われまして。幸い彼女は見た目によらず、我が屋敷の中でも一、二を争う怪力の持ち主で、母や妹が大層重宝しているのですよ」
「ほぅ?……」
「それはそれは……」
 ナジェークが平然と説明を繰り出すにつれ、カテリーナの両手に緊張からではない怒り由来の力が籠り、騎士達の表情が徐々に呆れた物に変化する。


「リーナ、今日は本当に助かった。屋敷に戻ったら特別手当を出すから」
「……勿体ないお言葉、ありがとうございます」
 適当な偽名を口にしながら愛想良く振り返ったナジェークと視線を合わせず、カテリーナは俯き加減のまま何とか感謝の言葉を口にした。そして再び騎士達に向き直った彼が、わざとらしく語りかける。


「そういうわけだから、彼女と一緒に通して貰って構わないかな? 王妃陛下用に特別に調整した繊細な物だから、できれば取り扱いに慣れた人間に運んで貰いたいが、運搬を君達に任せても構わない。ただ……、万が一の事態が生じた時に、君達に弁償できるかどうかは不明だが……」
 そんな大それた物に何かあった場合の責任を取らされてはかなわないと即決した彼らは、恭しくナジェークに一礼した。


「分かりました。お二人ともお通りください。君、先導してくれ」
「分かりました。こちらへどうぞ」
「ありがとう。それではリーナ、行こうか」
「はい、ナジェーク様」
 女騎士に先導された二人は、何事も無かったかのように悠然と奥へと向かって進んだが、カテリーナの耳には背後の者達の囁き声がしっかりと届いていた。


「如何にも大貴族の坊っちゃんだな。女に荷物を持たせて、平然としているとは」
「しかしそんな重い物を、軽々と持っているようにしか見えないぜ? どんな怪力女だよ」
「全くだ。あれじゃあ、嫁の貰い手が無いんじゃないか?」
「顔は良く見えなかったが、腕と同じで桁外れに不器量なご面相だったりしてな!」
 彼らの押し殺した笑い声は徐々に聞こえなくなったが、それと反比例してカテリーナの怒りは急速に増大した。


(うふふ……、怪力女、桁外れに不器量な怪力女ね……。事が片付いた後で、しれっと前を歩いているこの男を殴りたい……。いえ、どう考えても私には、最低一発は殴る権利があるわよね!? 絶対に殴ってやるから覚えてらっしゃい!!)
(さっきから途切れなく、背後から殺気が漂ってくるな……。緊張感がちょっと心地よい位だ。さて、彼女は殴るつもりか蹴り倒す気か、はたまた斬り捨てる腹積もりなのか……)
 こめかみに青筋を浮かべた怒りの形相のカテリーナと、そんな彼女の顔を想像して楽しそうに笑み崩れているナジェークは、そんな対照的な表情のまま後宮の奥へと進んで行った。



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