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その華の名は

篠原皐月

（26）全ての陰謀はナジェークに繋がる

　実家に戻った翌日。カテリーナは簡素なドレスに身を包み、付き添いの侍女も付けずにリール伯爵邸の馬車寄せに降り立った。

「カテリーナ様、いらっしゃいませ！」
「サビーネ様、今日はお招きいただき」
「お知らせした通り、今日は侍女などは同伴しておりませんわね？」
　玄関ホールで待ち構えていたらしいサビーネが笑顔で駆け寄り、挨拶もそこそこに馬車の方を気にしながら声を潜めて確認してくる。それを怪訝に思いながらも、カテリーナは同様に小声で答えた。

「ええ、今日は何か催し物があったり外出するわけでは無くて、二人で語り合うとのお話でしたから」
「それなら結構です！　時間がないので、お急ぎください！」
「え？　急ぐって、何を？」
　背後で執事が御者に声をかけ、馬車を返す気配を感じながら、カテリーナは彼女に半ば強引に手を引かれて、屋敷の奥に向かった。

「取り敢えず、こちらのお部屋に！　皆、分かっているわね？」
「はい、お嬢様」
「お任せください」
「カテリーナ様、皆の言う通りにしてくださいませ。それでは、また後程」
「はい？　あの、ちょっと!?」
　サビーネにある部屋に押し込められたと思ったら、本人は室内に待機していた侍女達に言い付けると、笑顔でドアを閉じて姿を消してしまった。それにカテリーナが唖然とする間も無く、傍らの全く面識の無い侍女に、突拍子もない事を要請される。

「さあ、カテリーナ様、ドレスをお脱ぎくださいませ」
「は？　あの……、どうしてそんな事を？」
「こちらに着替えていただくからですわ！」
　そこで丈夫な生地の簡素なワンピースを見せられたカテリーナは、益々意味が分からずに呻いた。

「……申し訳ありません。こちらは何か、ご説明していただければ嬉しいのですが」
「シェーグレン公爵家の、侍女のお仕着せです。さあ、無駄話はここまでです！　さっさとお脱ぎになってくださいませ！」
「ちょ、ちょっと待って！　一体何事なの!?」
（シェーグレン公爵家って、絶対ナジェークが絡んでいるわよね！　一体どういう事よ!?）
　三人がかりで詰め寄られたカテリーナは、断固抵抗したかったものの、女性相手に手荒な真似もできず、しぶしぶ指定された服に着替えた上でアクセサリーも全て外し、髪も侍女らしくしっかり結い上げられてから漸く解放された。

「お嬢様、準備が整いましたわ！」
「サビーネ。この騒ぎは、一体どういう事なのか説明を！」
　侍女達に先導されて応接室に向かったカテリーナは、室内に足を踏み入れると同時にサビーネに向かって抗議の声を上げた。しかしその途中で、重厚なソファーに諸悪の根元が如何にもリラックスした様子で座っているのを認めて、盛大に顔を引き攣らせる。

「やあ、カテリーナ。そんな服まで見事に着こなしてしまうとはさすがだね。誰にでもできる事では無いよ」
「やっぱりあなたの仕業ね……。何となく、そんな気がしていたけど」
「申し訳ありません、カテリーナ様」
　心底申し訳なさそうに頭を下げたサビーネの向かい側で、大貴族の子弟らしいきらびやかな装いのナジェークが飲んでいたカップをソーサーごとテーブルに戻してから、優雅な動作で立ち上がった。

「それではサビーネ嬢。準備ができたし、ちょっと行ってくるよ。面倒をかけるけど、帰りはまた宜しく」
「はい、お任せくださいませ。カテリーナ様、健闘をお祈りしておりますわ！」
「え、ええ!?　健闘って、何の事!?」
「さあさあ、時間に遅れたら厄介だから。本当に急ぐよ」
「あのね!?　全く説明が無いって、どういう事よ!?」
　戸惑うカテリーナを押し出すようにしてナジェークはそのまま玄関に進み、いつの間にか馬車寄せに待機していたシェーグレン公爵家の馬車に彼女と共に乗り込んだ。そしてサビーネの他、数名の侍女だけに見送られてリール伯爵邸から馬車が走り出ると、カテリーナが正面に座るナジェークを睨みながら、低い声で恫喝する。

「……それで？　取り敢えず、どうして私がシェーグレン公爵家の使用人の服を着なければいけないのかと、これからどこに行って何をするのかと、そちらの座席の半分を占めている得体の知れない御大層な荷物について説明して貰いたいのだけど？」
　さすがに腹に据えかねたカテリーナが険しい表情で詰問すると、ナジェークは下手な弁解をする気は無かったらしく、自分の横に置いてある代物に手を伸ばした。

「それではまず、これから説明するか」
　そう呟きながら彼がその上に掛けられていた白い布を取り去ると、一見樹木にしか見えない物が現れる。しかしこれまでに見慣れている物とは明らかに大きさが異なり、カテリーナは目を丸くしながら問いを重ねた。

「え？　それはラレンディアの木？　でも……、本物では無いわよね？」
　可憐な白い花を咲かせる低木を脳裏に思い浮かべながらのカテリーナの台詞に、ナジェークは微笑みながら頷いた。

「ああ、勿論作り物だよ。小さく切った紙や布で作ってある。後は極細の針金を使って造形してあるんだ」
「それにしても……、色も質感も本物そっくりに再現してあって、凄い精巧な物ね。こんな物、見たことが無いわ……」
　先程までの怒りも忘れ、身を乗り出して見入っているカテリーナに、ナジェークが淡々と説明を続けた。

「ワーレス商会が、新たに手掛けている新商品の一部でね。趣味の一環としての、箱庭製作部品を売り出すそうだ」
「『はこにわ』？　何の事？」
「庶民が広い屋敷や広い庭を手に入れるのは、かなり難しいだろう？　商売で成功して、手に入れる場合はあるが」
「まあ、それはそうでしょうね……。まさかその代わりに、小さな庭とか屋敷を作るとか？」
「その通り」
　ふと思い付いた内容を口にしてみたものの、大真面目に返されてしまったカテリーナは、ものすごく懐疑的な表情になった。

「そんな物が売れるの？」
「ワーレス商会は、十分に商売になると踏んでいるよ。それでこれはラレンディアの花をお好みの、王妃陛下への進呈品でね」
「……王妃陛下への進呈品？」
　そこで何となく嫌な予感を覚えたカテリーナが、警戒しながら言われた内容を反復すると、予想通りナジェークがろくでもない事を言い出した。

「それで残りの質問の答えだけど、これから君を我が家の使用人としてこれを持たせて、後宮に同行させるから」
「…………はい？」
「だから、これから君を、王妃陛下に拝謁させるつもりだ」
「何ですってぇぇっ!?」
　予想外にも程がある内容をサラッと告げられたカテリーナは、馬車の中だと言うことも忘れて勢い良く立ち上がった。しかしさすがに馬車の為、中腰のまま相手に詰め寄り、ナジェークの膝の上に自分の片膝を乗せながら胸ぐらを掴み上げて恫喝する。

「ふざけないでよっ！　あなた、自分が何を言ってるか本当に分かってるの!?」
「カテリーナ、ちょっと冷静に。落ち着こうか。そんな凄まじい叫び声を上げたら、幾らなんでも御者が動揺する」
「冷静になれるわけ無いでしょうが!?　公式行事とかで遠くからお顔を拝見した事はあっても、個別に王妃陛下にお目にかかった事なんて、これまで皆無なのよっ！　それなのに使用人のふりをして、後宮に侵入するってどういう事なの!?」
「不法侵入では無くて、事前にきちんと許可は貰っているよ。君が緊張するのは分かるけど、伯母上はそんなに気難しい方では無いから大丈夫だ。寧ろ茶目っ気たっぷりの所があって……。うん？　どうかしたのかな？　急に変な顔をして」
　怒りの形相のカテリーナが、そこで何やら急に表情を消した為、ナジェークが不審に思って尋ねた。すると彼女は心なしか虚ろな表情になりながら、独り言のように告げる。

「そうだったわね……。あなたは王妃陛下の、血の繋がった甥だったのよね……。今の今まで、すっかり忘れていたけど……。まさか王妃陛下って、あなたと似ているの？」
　その問いかけに、ナジェークは真顔で考え込む。

「私と？　それはどうかな……。才能と発想の非凡さで言えば、私よりもエセリアの方がはるかに似ていると思うが……」
「そう……、エセリア様に………………。このまま、帰っても良い？」
「侍女のお仕着せで、屋敷まで徒歩で？」
「………………」
　思わず愚痴を漏らしたカテリーナだったが、ナジェークが容赦なく退路を断つ。更に次の瞬間、明るい笑顔で覚悟を決めるように促してきた。

「さあ、カテリーナ。窓から王宮の正門が見えてきたし、さっさと腹を括ろうか」
「どこまで人を嵌める気よ！　事前に話したら絶対却下されるか逃げられると思って、サビーネに口止めまでして用意周到に仕組んだわね!?」
「いやいや、君を嵌めるなんて。単に私のミスで、詳細を説明するのをうっかり忘れていただけだから」
「その嘘臭い笑顔は止めなさい！　この性悪男！」
　カテリーナは声の限りにナジェークを罵倒したものの、馬車があっさりと王宮の正門を通過してからは怒鳴る気力も消え失せ、力無く座席に座り直して頭を抱える事となった。

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