その華の名は

篠原皐月

(23)白熱する応援合戦

 バーナムに続いてもう一人にも勝利したカテリーナは、予選第一ブロックでの最終戦に挑む事になったが、その対戦相手を目の前にして小首を傾げた。
「イズファイン。私に勝てば予選突破が決まるのに、その覇気の無い顔は一体どうしたのよ。気の抜けた試合なんかしたら、おじさまに叱責されるわよ?」
 試合場中央に向かって歩きながら、軽く目線で来賓席を示すと、イズファインが項垂れながら愚痴をこぼす。


「本当に……。どうしてよりにもよって、予選突破をかけた試合の相手がカテリーナなんだ……。万が一ナジェークの目の前で怪我でもさせたら、今後の俺の人生がどうなるか分からないじゃないか……」
「そんな大袈裟な……。ナジェークより貴方の方が、剣の腕は上じゃない。闇討ちなんかできないわよ」
「闇討ちしなくても、ありとあらゆる方策を労して俺を嵌めるよな!?」
 急に顔を上げて同意を求めてきた彼に、カテリーナは呆れ気味に言葉を返す。


「少しは自分と彼の友情を信じたら?」
「これに関しては、微塵も信じられない」
「…………薄い友情ね」
 これに関してはもう何を言っても無駄だと悟ったカテリーナは、別な方向から彼の奮起を促す事にした。


「ほら、サビーネが見ているわよ? わざわざ試合前に『申し訳ありませんが、今回はカテリーナさんではなくて、イズファイン様を応援させて貰います』と、律儀に断りを入れに来た健気な婚約者に、無様な試合を見せるつもり? そんな事は私が許さないわよ?」
 来賓席とは異なる一角をチラッと眺めながらカテリーナが指摘すると、イズファインは漸く気を取り直したらしく、真顔で頷く。


「……ああ、その通りだな。カテリーナ。悪いが、全力でやらせて貰う」
「望むところよ」
 そこで所定の位置についた二人は、無言のまま無駄の無い動作で模擬剣を抜いて構えた。


「両者とも準備は良いか?」
「はい」
「いつでも」
「それでは……、試合始め!」
 審判の号令と共に二人の剣が激しく打ち合わされ、観覧席から歓声と怒号が湧き起こった。
 参加者が入退場する付近でその様子を眺めていたエセリアが、隣に立つナジェークと打ち合わせの合間に囁き合う。


「予選もいよいよ大詰めで、盛り上がっていますわね」
「最初は戸惑っていた生徒達もこの間に慣れて、毎回の試合で盛大な応援が繰り広げられるようになったな」
「マリーア様を筆頭とした、紫蘭会の皆様の働きのお陰ですわね。ところでお兄様。明日の人気投票の準備は大丈夫ですか?」
「ああ、抜かりは無い。だが開票前でも、復活する二名のうち、一人は決まったようなものだな」
「あら、どうして分かるのですか?」
「この歓声が、それを雄弁に物語っていると思うが?」
 不思議そうに問い返した妹に、ナジェークが苦笑しながら観覧席を視線で示す。するとその一角では、激しい舌戦が繰り広げられていた。


「カテリーナ様ぁぁっ! また見事にお相手を蹴散らして下さいませ!」
「私達が付いておりますわぁぁっ!」
「イズファイン! 女に負けたら承知しないぞ!」
「これまで通り、さっさと叩きのめしてしまえ!」
 当初は各自が贔屓する生徒の応援に徹していた筈が、次第にそれがエスカレートして相手方への非難の応酬に発展していく。


「まあぁあぁっ! 何て野蛮人の集団なのかしら!!」
「はぁ!? 野蛮人だと! 男を打ち負かしている女の方が、非常識だろうが!」
「はっ! 負ける殿方達の方が、非常識に弱いだけですわ!」
「そうよ! カテリーナ様の足元にも及ばないからといって、妬むのはお止めになるのね!」
「何だと!? 女は黙って男の後ろに控えていれば良いんだよ!」
「でしゃばり女は引っ込んでろ!」
「なんですってぇぇ!?」
 下手をすると収拾がつかなくなりかけている予想外の事態に、エセリアは僅かに顔を引き攣らせた。


「……応援合戦が、当初より良い意味でも悪い意味でも白熱していますわね」
「ある意味、言葉での場外乱闘だな。あまりにも相手方への配慮と気品に欠ける言動が見られた時には、実行委員会から指導する事にしよう」
「そうですわね。とにかくこの試合でどちらが勝っても、敗者が人気投票で復活しそうな事は分かりましたわ」
 これまでに無い盛り上がりを見せている会場内を見渡してエセリアが納得したところで、ナジェークがさりげなく話題を変えた。


「ところでエセリアは、バーナムがどうしているか知っているかな?」
「あの不愉快な方が、どうかされましたの?」
 剣術大会発案の、そもそもの発端と言える彼について好意を抱ける筈もなく、エセリアが眉間にしわを寄せながら兄を見上げた。そんな妹を笑いを堪える表情で見下ろしながら、ナジェークが彼について耳にした情報を告げる。


「息子の側付きが、あのような負け方をしたのを目の当たりにしたディオーネ様が、『王太子の側付きの立場を何だと思っているのか!』と大層ご立腹されたとか。噂では昨日中に側付きを解消され、今朝早く実家に呼び戻されたらしい。今ごろ両親から、叱責されているだろうな」
「素早い事ですわね。でもあの殿下には、寧ろお似合いの側付きかと思われますが」
「辛辣だな。だが人目もあるから程々に」
「他の方に向かって、こんな事は漏らしませんわよ?」
 素っ気なく切り捨てたエセリアにナジェークが苦笑を深めていると、ここで審判の判定が下された。


「そこまで! 勝者、イズファイン・ヴァン・ティアド!」
 それと共に、一際高い歓声と悲鳴が会場内に満ちる。


「うぉおぉぉっ! やったぞ、イズファイン!」
「お前が負ける筈は無いと信じていたぞ!」
「いやぁあぁぁっ! カテリーナ様ぁぁっ!」
「あと一歩でしたのに、悔しいですわぁぁっ!」
 しかし周囲の騒々しさなど気にする事なく、当事者の二人は元通り剣を鞘に収め、互いにすっきりした顔で握手を交わした。


「ありがとう、イズファイン。お疲れ様」
「こちらこそ。やっぱり楽には勝たせて貰えなかったな」
「本戦では私以上の人と当たるのよ? 油断しないで頑張ってね」
「ああ、これまで以上に気を引き締めていくよ」
 そして互いに一礼し、四方の観覧席にも軽く会釈して応援への礼を済ませてから、カテリーナは取って貰っていた自分の席へと向かった。


「皆様、この間盛大なご声援をいただきましたのに、力及ばず申し訳ありませんでした」
 応援の牽引役を務めていた彼女達に改めて礼を述べると、その場を代表してマリーアが笑顔でカテリーナの健闘を讃える。
「カテリーナ様、剣術の素養の無い私達が見ても、とても良い試合だったと思いますわ。本当にお疲れ様でした」
 それに周囲の者達も、口々に言い合った。


「でもこれでカテリーナ様の戦いが、完全に終わったわけではありませんわ!」
「そうですわ! 明日の人気投票で、敗者の中から二名が復活されるのですから!」
「しかも私達の本番は、明日ですもの。万事滞りが無いように、進めていきますわ」
「そうでしたわね。皆様、明日は開票時の接待係を頑張ってください」
 これまでの準備や進行に関わっていない貴族科の生徒の多くが、男子は人気投票の開票作業、女子は開票作業時の休憩を取り仕切る事になっていたのを思い出したカテリーナは、笑顔で彼女達を激励した。


(本当に、生徒間でこんな一体感を共有する事ができるなんて、入学した直後は想像もできなかったわね)
 それからは自分の試合が終わった安堵感もあり、カテリーナは他の生徒達の試合を、最後まで笑顔で観戦し続けていた。



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