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その華の名は

篠原皐月

（19）大会前日の余談

　夕食時にカテリーナとティナレアが友人達と同じテーブルを囲み、夕刻に勃発したハプニングについて語っていると、カテリーナの斜め後ろから涼やかな声が聞こえてきた。

「失礼します。こちらに座らせて貰って宜しいでしょうか？」
「構いませんわ。マリーア様、どうぞ」
「ありがとうございます」
　マリーアは六人がけのテーブルで、一つだけ空いていたカテリーナの左隣の席にトレーを置いて落ち着くと、微笑みながら告げた。

「こんな言い方をしたら不謹慎だと思われるかもしれませんが、カテリーナ様は随分と人気がありますのね」
　その言葉に含むものが分からないカテリーナでは無く、苦笑気味に確認を入れる。

「マリーア様が、物見高い方だとは思っておりませんわ。……もしかして、夕刻の件がお耳に入りましたか？」
「ええ。それで、詳細について直に確認させていただきたい事が二、三ありまして。女子寮の食事の時間帯が、学年毎に設定されていて助かりました」
「ご迷惑おかけしております」
「大した事ではございませんから」
　友人達がそ知らぬ顔で夕食を食べ進めながら、二人の会話に耳を傾け始めたが、ここで無遠慮な声が割り込んだ。

「まあ、カテリーナ様！　お久しぶりですわね！」
　反射的にカテリーナが顔を上げると、貴族科上級学年に所属している上、教養科時代に異なるクラスだった事で殆ど接点が無かった人物が、自分に対して愛想笑いを振り撒いているのを認めた。

（白々しい……。自分の家が王太子派だから、教養科の頃から殊更私を無視していたくせに、打って変わった愛想の良さね。それに接触はしなくとも、食事時には嫌でも顔を見かける事になるのに、どこがどうお久しぶりなのかしら？　それに確かこの人の家は、バーナムの家と縁戚関係があったわよね？）
　マリーアも同様の事を考えたらしく、僅かに眉根を寄せたが無言を保つ。そんな微妙な空気の中、カテリーナは警戒心を高めながら、軽い皮肉で応じた。

「ヨハンナ様。本当に随分と、お久しぶりですわね。これまで同学園同学年に所属しているとは思えない程、私達の間には交流らしい交流がございませんでしたから」
「そうですわね。ところでちょっとお食事をしながらお話したい事がございますが、宜しいですか？」
（何が『ところで』なのよ。通じない相手に皮肉をぶつけるのは、本当に時間と労力の無駄だわ）
　そんなご無沙汰な人間に何の用かと言外に含ませたカテリーナだったが、相手が変わらない笑顔で自分の要求を繰り出した事で、心底うんざりしながら言葉を返した。

「生憎とこちらのテーブルは、ご覧の通り席が空いておりませんの。お話ならまたの機会にしてくださいませ」
　そうカテリーナに断られたヨハンナは、面白く無さそうにテーブルを見回した。そしてカテリーナの左隣のマリーアは公爵令嬢である事から譲らせるのは無理と判断し、右隣に座っていたノーラに上から目線で言い放つ。

「あなた。席を譲って頂けないかしら？　私、カテリーナ様と大事なお話があるのよ」
　しかしそんな傲岸不遜な態度に、あっさり恐れ入る彼女では無かった。
「そんなに大事な話なら、食べながらしない方が良いんじゃありません？」
　顔を上げないままノーラが素っ気なく言い返し、エマとリリスがそれに続く。　

「私達、まだ食事中ですから」
「食べ終わるまで待って貰えるなら、どれでも空いた席に座って貰って構いませんよ？」
「何ですって!?　下級貴族や平民の分際で生意気な！」
　全く相手にされなかったヨハンナがいきり立ち、彼女が喚いた事で周囲の視線が彼女に集まったが、このタイミングでマリーアがさりげなく会話に割り込んできた。

「ヨハンナ様は、下剤の常用者でいらっしゃるみたいですわね」
「…………え？」
「かなり努力して吹き出物の跡を隠しておられるようですが、また新しい物が出かかっておりましてよ？」
　ヨハンナは勿論、その場に居合わせた全員が一瞬何を言われたのか分からず目を瞬かせたが、マリーアは笑顔で言葉を継いだ。そこで我に返ったヨハンナが、顔を赤くしながらマリーアに食って掛かる。

「そんな物があるわけ無いでしょう!?　言いがかりは止して頂戴!!」
「定期的なお通じがないと吹き出物が出やすいと言われていますし、さぞかし下剤に頼った生活をしておいでかと思いまして。そのご様子では、本当に大変そうですわね……。心からご同情申し上げますわ」
　ヨハンナの抗議の声も何のその。マリーアはしみじみとした口調で断言し、それを聞いた周りからは忍び笑いが漏れ始めた。

「ぶふっ！」
「下剤常用者って……」
「まあ……、本当に大変そうね」
「お気の毒に」
　そして徐々に嘲笑の囁きが伝わってきた事で、ヨハンナは益々激高した。

「食堂で何を口にされていますの!?　下品極まりないですわ！」
「下品なのは醜悪な膿を出しきる事無く、無様に溜め込んでいるそちらのお顔では？」
「ふざけないで!!」
　完全に理性を失ったヨハンナが、咄嗟にトレーに乗せてあったグラスを掴み、中に入っていた果汁をマリーアの顔目掛けてぶちまけた。そんな蛮行を目の当たりにした周囲から、悲鳴と非難の声が上がる。

「きゃあっ！」
「何するのよ!?」
「マリーア様！」
「大丈夫ですか!?」
　しかし当のマリーアは、果汁をかけられた瞬間は両目を閉じたものの、無言のまますぐに取り出したハンカチで手早く顔を拭いてから、眼光鋭くヨハンナを睨み返した。

「お引き取りください。先程から食事の邪魔ですわ」
「…………っ！」
　そこで周囲から一斉に非難の眼差しを向けられたヨハンナは、忌々しげにカテリーナを一睨みしてからその場を離れた。カテリーナは呆気に取られたまま彼女を見送りながら、考えを巡らせる。

（私の隣に座りたかったのは、私の食べ物や飲み物に隙を見て何が混入するつもりだったのかしら。マリーア様に下剤云々言われた時に過剰に反応していたし、図星？　確かに寮内ですぐに調達できる物と言えば、下剤が一番手っ取り早いわ）
　思わず彼女が溜め息を吐くと、マリーアが苦笑しながら顔に引き続き濡れた髪を拭き始めた。

「漸く静かになりましたわね」
「マリーア様、取り敢えずこれもお使いください」
「あ、あのっ！　安物ですが、良かったら使ってください！」
「これもどうぞ！」
　周囲から一斉に差し出されたハンカチに、マリーアは一瞬面食らってから、笑顔で礼を述べた。

「ありがとうございます。洗濯係の方に果汁の染み抜きをお願いしますが、染みが残ってしまいましたら新しい物を購入して弁償いたしますね？」
「弁償なんて本当に良いですから！　私、マリーア様みたいな人とお知り合いになれただけで、幸運だったと思っていますもの！」
「エマさん？」
　身を乗り出すようにして訴えたエマに続き、ノーラも僅かに顔を上気させながら発言する。

「私もです！　今でもさっきの人みたいに、あからさまに平民を見下す貴族の人は多いですけど、カテリーナやマリーアさんのような人も存在している事が分かっただけでも、私達は嬉しいです」
「それに私達の友人のカテリーナを庇ってくれたマリーアさんは、私達の恩人でもありますから」
「もうハンカチ位、気にしないでください。返さなくても結構です」
　そこまで聞いたマリーアは、彼女達の好意をありがたく受ける事にした。

「分かりました。それでは今日の記念に……、と言うのも少々変ですが、ありがたく頂いておきます」
「はい」
「どうぞ」
「本当に安物で、申し訳ありませんけど」
　彼女達がお互いに笑顔で頷いてから、マリーアはカテリーナに向き直った。

「カテリーナ様。剣術大会の準備を進める上で、皆さんの他にも平民の方々と親しく言葉を交わす事が増えて、随分世界が広がった気がします。大した事もできない小娘が何を言っているのかと、他の方には笑われそうですが」
「少なくとも、私は笑いませんわ」
　カテリーナが真顔で頷くと、マリーアが笑みを深める。

「自分の力で得たものではない特権の上に我が物顔で居座り、他者を見下す事で優越を誇る方など、私の尊敬の対象ではございません。ですがあの方は恵まれた環境におられても決して慢心する事無く、常に努力を怠らず、多くの方々に利益と幸福を分け与える事を考えておられます」
　唐突に語られた内容であっても、マリーアが誰の事を指して言っているのか十分に理解できたカテリーナは、深く納得しながら言葉を返した。

「あなたがエセリア様を崇拝する理由が、まさにそれですのね」
「はい。ですから私は彼女の理念を実現させるべく、全力を尽くすのみですわ。それはまあ……、今回は多少、私利私欲が含まれておりますが……」
「私利私欲？　とてもそうは見えませんが……」
　不思議そうにカテリーナが問い返すと、マリーアは明るく笑った。

「いえ、こちらの話ですわ。カテリーナ様、ティナレアさん。明日からの大会、頑張ってくださいませ」
「ええ、勿論です」
「全力を尽くします」
（本当に、無様な試合などは見せられないわ。体を張って庇ってくれたマリーア様に、申し訳ないものね）
それからは彼女達に近づく怪しい人影も無く、和やかに夕食を食べ終えた。その後カテリーナは穏やかな気持ちで就寝し、爽やかな大会初日の朝を迎えた。

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