その華の名は

篠原皐月

(16)合言葉はマール・ハナー

「さて、行きましょうか」
「そうね。楽しみだわ」
 閉会が宣言された事で、カテリーナとティナレアは後輩達を激励してから、一般生徒達の中にいる友人達と合流するべく歩き出した。しかしその時背後から、鋭い声がかけられる。


「おい、カテリーナ!」
 相手のその行為を完全に予想していたカテリーナは微塵も動揺せず、余裕の笑みすら浮かべながら振り返った。


「あら、バーナム。明後日は宜しくね。開会式直後の試合だなんて、本当に光栄だわ」
「お前……、女なら自分の立場位、分かっているだろうな?」
 自分を睨み付けながら、低い声で恫喝してきたバーナムに対し、カテリーナは笑顔で声高に告げる。


「それ位、勿論わかっているわ! 女だからその程度かなどと、ご臨席いただく近衛騎士団の方々を落胆などさせないよう、全力で戦い抜きますからご心配なく!」
「このっ……」
「それでは失礼します。ティナレア、行きましょう」
「え、ええ……」
 その声を耳にした周囲は、詳しいやり取りは聞こえなかったもののバーナムが何を言ったのかを察し、更にカテリーナにまともに相手にされていないのを見てとって、失笑するか冷ややかな視線を彼に送った。


「何か、火に油を注いだ気がするわ」
 チラッと背後の様子を窺いながら並んで歩くティナレアに、カテリーナは素っ気なく言葉を返す。


「こんな衆人環視の中で、声を潜めたにしても『女だから分を弁えて自分に勝ちを譲れ』とか暗に言ってくる輩を、まともに相手にする気は無いわ」
「……カテリーナ、もしかして本気で怒ってる?」
「怒っていないように見える? これまでにも腹に据えかねる事は色々あったけど、この際、纏めてうさを晴らさせて貰うわ」
「うわ……、本当に本気だわ。どんな試合になるのか、怖くて想像できない……」
 ティナレアが額を押さえながら本気で呻いていると、彼女達の友人達が駆け寄って来る。


「カテリーナ、ティナレア!」
「何だか揉めていたみたいだけど、大丈夫?」
「ええ、大した事は無いわよ? ちょっと挨拶をしていただけで」
 カテリーナの白々しい台詞にティナレアが盛大に溜め息を吐いたところで、予想外の声がかけられた。


「カテリーナ様、周りのご友人の方達も、少しお時間を頂いても宜しいかしら?」
「マリーア様? はい、私は構いませんが、友人達もですか?」
「はい、是非ご一緒に」
 普段なら滅多に接触する事のないマリーアからの申し入れ、しかも自分以上に接点が無い友人達に何の用があるのかとカテリーナは訝しんだが、相手の真剣な顔を見て即座に決心した。


「ご免なさい、皆、ちょっと付き合ってくれる?」
「ええ」
「それは構わないけど……」
 そこで総勢六人でぞろぞろと講堂を出て校舎を進み、校舎間の中庭の一つに出たマリーアは、周囲に人影が無いのを確認してからカテリーナとティナレアを振り返った。


「この辺りで宜しいでしょうか……。カテリーナ様、ティナレアさん。まずは対戦組み合わせ決定、おめでとうございます。後は当日に向けて、体調を万全に整えておくだけですわね」
「はぁ……」
「どうも……」
「ですが『女とまともに試合などできるか』と悪態を吐くならまだしも、『万が一、女に負けたら恥だ』と裏で手を回して対戦相手を出場辞退に持ち込もうとする、不心得者が居ないとも限りません」
(いえ、確実にいますから)
 真顔でのマリーアの指摘に、彼女以外の全員が心の中で突っ込みを入れた。


「それで実行委員会内での議論の結果、危害及び脅迫を受ける可能性が特に高い女生徒五人に対して、対策を講じる事になりました」
「対策? どのような?」
「まず一つ目はこれです」
 そう言いながらマリーアが制服のポケットから取り出し、掌の上で見せた物を見て、カテリーナ達は揃って首を傾げた。


「何ですか? この金属製の筒状の物は?」
「まだ企画段階の防犯グッズで、ホイッスルと言う物だそうです」
「『ほいっする』? 『ぼうはんぐっず』?」
 まだ意味が分からないカテリーナは怪訝な顔になったが、マリーアは落ち着き払って容易に掌に握り込める細い物体を手でつまみ上げ、口元に持っていった。


「こちら側の端を軽く咥え、筒の中に勢い良く息を吹き込むと、それはそれは高く響き渡る音が鳴り響きますの。街路の2ブロック先まで聞こえるそうですわ」
「それは凄いですわね。マリーア様は、それを実際にお聞きになった事があるのですか?」
「いいえ。これは聞き慣れない音を聞いた襲撃犯を驚かせて、撃退する物ですから。あちこちで吹いていたら、『ああ、また誰か鳴らしているな』としか思われなくて犯人が動揺しませんし、周囲も警戒心を抱きませんわ」
(この話の流れだと、どう考えても考案者はエセリア様……。だけどマリーア様。全く自分で使っていないものをそこまで自信満々に勧めるなど、本当にエセリア様を崇拝していらっしゃるのね)
 あまりにも堂々とした口調で確信しきっているマリーアを見て、カテリーナは半ば呆れてしまった。そこでティナレアが真剣な顔で考え込みながら、マリーアに確認を入れる。


「その……、つまり誰かに襲撃されそうになったら、躊躇わずにこれを吹いて周囲に助けを求めろと?」
「はい、その通りです。ですが皆様の場合、普段付き合いの無い男子生徒に囲まれたら嫌でも目立ちますし、警戒するでしょう。ですからこの場合、本当に注意すべきは女生徒です」
「はい?」
 ここでティナレアは勿論、カテリーナ達も目が点になったが、マリーアは淡々と説明を続けた。


「対戦相手とは親戚関係や利害関係がある女生徒が、偶然を装って階段でよろけて体当たりしてきたり、手が滑ったと言って二階の窓から手入れをしている植木鉢を落としたり、うっかり取り間違えたと下剤が入った飲み物をあなた達のカップとすり替えたりするかもしれませんわ」
「あの、マリーア様? 幾ら何でもそれは」
「カテリーナ様。そのような可能性は全く考えられないと、自信を持って断言できますか?」
「………………できないのが、辛いところですわね」
 大真面目に詰め寄られ、カテリーナは相手の主張の正しさを悟った。


「そういうわけですから、取り敢えずこれを皆様に一人一本お持ちいただきます。皆様、有事に僅かでも躊躇っては敗けですわよ!? お分かりですね!?」
「は、はぁ……」
「分かりました……」
 ここで完全にマリーアに気迫負けしたカテリーナ達は、大人しくそのホイッスルを貰ってポケットに入れた。


「それから確実に信用のおける女生徒達を厳選して、剣術大会の試合終了までローテーションを組んで、五人全員に護衛を付ける事にしました。少々煩わしいと思いますが、ご了解ください」
「え? あの、護衛って、そんな」
「ですが初対面の方ですと、あなた達が敵か味方か判別できないと思いますので、予め合言葉を決めてあります」
「合言葉って、あの……、マリーア様?」
 そんな大袈裟な事が必要なのかとカテリーナは反論しようとしたが、マリーアの話は止まらなかった。


「まず不審者が寄ってきた場合、『あなたの妹さんの髪の色は?』と尋ねてください。そこで『あなたと同じ緑色です』と返したら、あなたの味方です」
 そんな事を真顔で言われてしまったカテリーナは、友人達の視線が自分に突き刺さるのを感じながら、控え目にマリーアに言い返した。


「あの……、私の髪は緑色ではありませんが……」
「現実にある髪色にすると、偶然合ってしまう可能性がありますから。もしくは『昨日の月はどうだったかしら?』と尋ねてください」
「その時、味方ならどう答えるんですか?」
「『纏めて三本突き指しました』と答えますわ」
「………………」
 もう何も言う気がしなくなったカテリーナが無表情で黙り込んだが、マリーアの説明はまだまだ続いた。


「それから最後のパターンは、『最近美味しいと思った物は何ですか?』と尋ねた時には、『マール・ハナーの新作です』と答えますので」
(うん、決定。この合言葉を考えたのも、絶対にエセリア様だわ。何とも愉快な、と言うか型にはまらない思考回路の持ち主ね)
 カテリーナが納得していると、マリーアが真剣な顔で確認を入れてくる。


「皆様、宜しいですか? 合言葉は覚えていただけましたでしょうか?」
「あ、は、はい」
「妹の髪の色は、緑色……」
「昨日の月は……、突き指三本」
「美味しいもの、マール・ハナーの新作……」
 まだ少し動揺しながらも、ティナレア達はボソボソと言われた内容を復唱し、それにマリーアは満足げな笑顔で頷いた。


「大丈夫そうですわね。それでは皆様、これから寮に戻られるなら、近くまでご一緒しますわ。その辺りで、交代の者と引き継ぎをする事になっていますの」
「はぁ……、お願いします」
 そして先頭を歩くマリーアの後ろを歩きながら、リリスが当事者の二人に囁いた。


「カテリーナ、ティナレア。本当に剣術大会が終わるまでは、一人歩きは厳禁かもね」
「……不自由だけど、我慢するわ」
「そうね。皆にも迷惑をかけるかもしれないけど」
「それは気にしなくて良いから」
 そこでカテリーナは、先程別れたばかりの後輩達の事を思い出して尋ねた。


「マリーア様。騎士科下級学年の二人と教養科からの出られた一人にも、同様にフォローする方がいらっしゃるのですよね?」
「はい。お任せください。副実行委員長のナジェーク様の指揮の下、完璧な警戒当番表を作成しておりますので」
「それなら安心ね」
 恐らくそうだろうと予想はしていたものの、きちんと説明して貰ったカテリーナは安堵した。と同時に、最近ナジェークが隠し部屋で顔を合わせる度に、大量の書類を持ち込んでいた事を思い出す。


(当番表……。そんな事までやっていたなんて、全然知らなかったわ……。他にも色々企んでいるんでしょうね。ああ、企んでいると言うのは、ちょっと言い方が悪いかしら? 要は色々と任されて、何でも期待通りにやり遂げてしまう、優秀な人材と言う事よね)
 カテリーナは心の中でナジェークの勤勉さを素直では無い表現で褒め称え、何となく誇らしく思いながら友人達と一緒に寮に向かって歩き続けた。



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