その華の名は

篠原皐月

(12)ちょっとした誤解

「ジュール様、戻りました」
 妹達に気付かれないように様子を監察するようにと命じ、密かに送り出したたガロア侯爵家の騎士が昼過ぎに戻り、ジュールは彼を書斎で出迎えた。
「ああ、どうだった? あのクオールさんに限って変な事は無いと思うが、二人きりで遠乗りに行くと言うから、ちょっと心配になってね」
 苦笑いしながらジュールが弁解がましく口にすると、壮年の騎士は困惑顔で簡潔に報告した。


「遠乗りの後、周りに迷惑にならない場所で、お二人で剣を打ち合っていました」
「は?」
「昼食を挟んで、ひたすら剣の稽古をしていました。商人だと聞いていましたが、見た感じカテリーナ様と五分五分……、いえ、下手するとそれ以上です。相手は何者ですか?」
「…………」
「ジュール様? 二人があまりに熱心に稽古をしているので、別に変な事にはなるまいと、観察を切り上げてこちらに戻って来たのですが……」
 部下の報告を聞いて呆気に取られたジュールが黙り込み、このままでは話が終わらないと感じた騎士が、再度声をかける。そこで我に返ったジュールは、何とか気を取り直して話を続けた。


「彼は、商人の筈なのだがな……。ご苦労だった。今後、カテリーナの外出時に尾行はさせないから」
「了解しました。失礼します」
 そこで騎士は安堵してその場を離れ、一人書斎に残ったジュールが自問自答し始める。
「あのカテリーナと、五分以上? 全然意味が分からん……」
 考えても全く事の次第が分からなかったジュールは、手っ取り早く本人に尋ねる事にした。




「カテリーナ。今日は随分、暴れてきたらしいな。遠乗りのついでにクオールさん相手に、長時間剣の稽古をしていたそうじゃないか」
「え!? ジュール兄様、どうしてそれを!?」
 館に戻った後、ナジェークを見送ったカテリーナは、一緒に正面玄関で彼を見送っていたジュールに唐突に言われて動揺した。ジュールも、まさか正直に「お前達を尾行させた」などと言える筈もなく、予め考えておいたそれらしい理由を口にする。


「偶々現場付近を通りかかった人が、こちらの方に来る用事があってな。『お嬢様は一体何をなさっているのか』と、ここに聞きに来たんだ。お前の顔は知られているからな」
「何もわざわざ、聞きに来なくても良いでしょうに……」
 どれだけ好奇心旺盛な領民に目撃されたのかと項垂れたカテリーナに、ジュールが苦笑まじりに言い聞かせる。


「剣術大会の事はこちらに来て早々に聞かせて貰ったが、あまりクオールさんを振り回すなよ? 仮にも侯爵令嬢に怪我はさせられないと、慎重に相手をしてくれた筈だし」
「分かっています」
「それにしても見ていた者の話では、お前となかなか良い勝負だったそうじゃないか。クオールさんは本当に商人なのか?」
 とんでもない方向からナジェークの詐称が露見する可能性が出てきたと焦りまくったカテリーナは、先程以上に狼狽しながら必死に弁解した。


「もっ、勿論そうに決まってるじゃない! 嫌だわ、ジュール兄様ったら! 確かに普通の商人なら武術一般の鍛練なんてする筈もないけど、ワーレス会頭のお考えは他の人達とはちょっと違うのよ!」
「へえ? どう違うんだ?」
 興味津々で尋ねてきた兄に、カテリーナは必死に考えを巡らせながら話を続ける。


「え、ええと……、さすがに今は治安が良くて、街道を進んでいる最中に強盗に襲われる事も滅多に無いでしょうけど、商売では積み荷を満載して頻繁に移動する必要があるわよね?」
「それはそうだろう」
「その時にタチの悪い盗賊に遭遇したら、荷物を盗られた挙げ句に命まで奪われかねないわ。例え荷物を盗られても、自分の身を守る術を身に付けておけば、逃走できる可能性は高まるもの」
「それでワーレス会頭は、自分の身内に武術の訓練をさせていると?」
「ええ。その他にもものになるかどうかは別として、商売に直接関係の無い事でも、本人が興味を持てば色々やらせているそうよ」
 完全に口からでまかせの話だったのだが、それを聞いたジュールは深く頷いて納得した。


「なるほど。財産より命、商人でも武術訓練は必要と、柔軟な考え方をされる方なのだな」
「ええ、そう言う事よ。本当に、ワーレス商会を一代であれだけ発展させただけの事はあるわね」
「そうなるとデリシュさんも、何か得意な武術があるのかな?」
 納得してくれたかと安堵したその直後、続けてジュールが何気なく問いかけてきた内容を聞いて、カテリーナは僅かに頬を引き攣らせながら何とか調子を合わせた。


「そうね……。何が得意か詳しくは聞いていないけど、相当な腕前らしいわ」
「とてもそうは見えないが……」
「見るからに強そうな人は警戒されるけど、そう見えないから襲撃者の隙も突けるし、余計に凄いのでは無いかしら」
「なるほど、それもそうか……。クオールさんのご迷惑にならない程度に、手合わせをお願いしろよ? 私ではお前の相手にならないかもしれないから、誰か腕の立つ人間を相手につけても良いし」
「私もさすがに、四六時中剣を振り回すつもりはありません」
 そこで話は無事に終了し、カテリーナはどうにか兄に不審がられなかったと胸を撫で下ろしたが、ジュールの中でしっかりと誤解が根付いてしまっていた。


 兄妹で、そんな会話をしてから数日後。
 ジュールは領民の陳情を受けにあちこちを回った帰り道で、ワーレス商会の支店に立ち寄った。
「いらっしゃいませ、ジュールさん」
 これまでに顔を覚えられていたらしく、ジュールが店に入るなり従業員が奥へと知らせに向かい、すぐにデリシュが現れて挨拶してきた。それに彼も笑顔で返す。


「ちょっと寄らせていただきましたが、相変わらず繁盛しておりますね」
「お陰さまで、商売は順調です」
 虫も殺さないような、如何にも善良な顔立ちのデリシュをしげしげと眺めたジュールは、そこでしみじみとした感想を漏らした。


「本当に……、人は見かけによりませんね。今回の事では、私もまだまだ人を見る目がないと感じさせられました」
「ジュールさん、どうかされましたか?」
 全く意味が分からなかったデリシュが首を傾げたが、ジュールは一人で納得しながら話を続けた。


「いえ、ご商売に直接関係の無い事をしているのが分かったら、貴族や騎士から『たかが商人風情が、何を生意気な事をしている』と白眼視されるかもしれない事を懸念して、公にはされておられないのですよね。ワーレス会頭の思慮深さには、本当に頭が下がります」
「はい? 父が何か?」
「ご兄弟全員、商売に直接関わらない事でも、積極的に取り組まれておられますよね?」
「はあ、それはまあ……。各種教養を深める事は、人脈を広げる為にも必要な事だと父に言われておりまして、かなり自由に幅広くさせて貰ってはおりますが……」
「そうですよね……。そのような革新的な商会に、こちらに支店を出して頂いて光栄です。今後とも宜しくお願いします」
「こちらこそ、宜しくお付き合いください」
 深々と頭を下げてからジュールは出て行き、それを笑顔で見送ってからデリシュは困惑顔で周囲を振り返った。


「何なんだ? 微妙に話が通じていなかった気がするが……。お前達、分かるか?」
「さあ……」
「でも取り敢えず、友好関係は結べているんですから、細かい事は気にしなくても良いんじゃありませんか?」
「それもそうだな。さあ、仕事仕事」
 そこでデリシュも気を取り直し、中断していた仕事に再び取りかかった。



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