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その華の名は

篠原皐月

(10)容易な懐柔

 予め秘密裏に知らせてきた通り、カテリーナが領地に出向いて数日してから、ナジェークが堂々とクオール・ワーレスとして館を表敬訪問した。


「ようこそ、クオールさん。一年ぶりですね。お元気そうで何よりです」
「昨年はお世話になりました。これから暫くこちらの支店に滞在しますので、領主館の方にまずはご挨拶をと思いまして」
「結構なお土産まで頂き、ありがとうございます。支店が開店してから暫く経ちますが、引きも切らず客が押し寄せているみたいですね」
「はい。良い商売をさせて貰っていると、兄も喜んでおります」
 応接室でジュールと並んでナジェークを出迎えたカテリーナは、白々しい社交辞令を並べるナジェークを見て、顔が引き攣りそうになるのを必死に堪えた。


(本当にクオール・ワーレスとして挨拶に来ているし。『今回は支店に滞在する』って……、商会会頭子息の名前を騙っても、従業員達に露見しないわけ? ワーレス商会って、色々な意味で本当に大丈夫なの!?)
 そんな事を考えながらカテリーナが一人悶々としていると、控え目なノックに続いて執事が姿を見せた。


「ジュール様、申し訳ありません」
「どうした? ……申し訳ありません、クオールさん。少々席を外します」
「お構い無く」
 何やら緊急に対応しなくてはならない事案でも生じたのかジュールは短く断りを入れて、耳元で短く囁いて用件を告げてきた執事と共に、応接室を出て行った。


「本当に堂々と乗り込んで来るとはね……。滞在する以上は当然支店に顔は出しているでしょうし、そこの人達にはばれなかったの? それとも支店に滞在すると言っただけで、実は他の宿屋に宿泊するの?」
 二人きりになってから呆れ顔で確認を入れてきたカテリーナに、ナジェークは笑いを堪える表情で応じる。


「実はクオール・ワーレス本人は本店でも表には出ていなくて、普段は新規商品の開発や、従来品の改良を行う作業室に籠っているんだ。だから本店の従業員でも、顔を知っている人間は数える程なんだよ」
「それで、表に出て商売を仕切っている会頭長男のデリシュさんがあなたを『弟だ』と言えば、皆があなたを『クオール・ワーレス』と認識するわけね」
「そういう事。そういう都合の良い人がいて、本当に助かった」
 笑顔でそんな事を言われたカテリーナは、ふと嫌な予感を覚えて顔を強張らせながら問い質す。


「……ちょっと。まさかクオールさん本人を脅迫とか拘束して、作業室から一歩も出ないようにしているわけでは無いわよね?」
 そんな邪推に、ナジェークはとうとう我慢できずに噴き出した。
「酷いな。一体私を、どんな人間だと思っているんだい?」
「そういう事をやりかねない人間だと思っているわ」
「手厳しいな。だが本当にそんな事はしていないから安心してくれ。クオールさんは好きで籠っているんだから」
「それなら良いのだけと……」
 くすくすと笑い続けているナジェークを、カテリーナが憮然として眺めていると、本当にそれほど時間を置かずにジュールが戻って来た。 


「お待たせしました。お客人を放置するなど、申し訳無い」
「いえ、この間カテリーナ様に話し相手をしていただきましたから」
「妹が良い話し相手になれたでしょうか? 貴族の令嬢らしからぬ所が多いものですから」
 苦笑交じりのその物言いに、カテリーナが軽く兄を睨む。


「ジュール兄様、その言い様は少し酷くありませんか?」
「そうかな? 控え目に言ってみたつもりだったのだが」
「ご心配なく。貴族らしからぬ所がおありなので、私との話にも支障がありませんから」
「……クオールさんも、なかなか失礼な事を仰いますのね」
「どこか礼を逸していたでしょうか?」
「もう良いです」
 しれっとして言い返すナジェークに、何を言っても無駄だと諦めたカテリーナは、そっぽを向いた。そこで男二人は顔を合わせて苦笑いしたが、ここでナジェークが控え目に話を切り出す。


「ところでジュールさんに、少々お願いしたい事があります」
「はい、何でしょう?」
「こちらに滞在中、妹さんを時々お誘いしても良いでしょうか?」
「は?」
 途端にジュールが困惑した顔になったが、ナジェークは平然と話を続けた。


「去年、街中や近郊に同行していただいた時、なかなかユニークな発想や言動をされていて、爽快だったもので。今年も色々見回るつもりですから、ご一緒いただければ楽しいだろうと思いまして」
「それはそれは……」
(何だか含みのありすぎる物言いなのだけど! ジュール兄様が、心なしか呆れた様子で見ているし!)
 にこやかな笑みのナジェークとは異なる、微妙な顔で少々考え込んだジュールは、ここで妹に意見を求めた。


「私は構いませんが、カテリーナはどうかな?」
 それにカテリーナは、色々言いたい事を飲み込みながら快諾した。
「私も、凡人には思い付かないような非凡な感性をお持ちのクオールさんと、昨年ご一緒して楽しかったです。同行できるのなら喜んで」
「それでは、二人の都合の良い時にお誘いください」
「ありがとうございます。それでは日を改めて、お誘いに参ります」
 そして和やかに会話を終え、ナジェークは礼儀正しく館を辞去した。そんな彼を正面玄関まで出て見送ってから、ジュールは隣に立つカテリーナをしみじみと見下ろしながら呟く。


「なるほど……。そういう事か」
 急に思わせぶりな視線を向けられたカテリーナは、僅かに眉根を寄せながら兄に問いかけた。


「何ですか、ジュール兄様。急にニヤニヤ笑い出して、気味が悪いのですが」
「いや、王都の屋敷から色々知らせが届いているが、お前は相変わらず縁談をはねつけているんだって?」
「……それが何か?」
「うん、彼は平民だが、なかなかの面構えをしている利発な若者だ。軟弱な貴族の若造如きに見向きもしないのが、もの凄く納得できた」
「何が納得できたと言うんですか!?」
 一人で何やら納得しながら、屋敷の中に向かって歩き出したジュールの背中を、カテリーナは慌てて追いかけた。


「俺達三人、父上にも母上にも誰かと結婚しろとか勧められた事は無かったがな。『結婚相手くらい自分で探せなくてどうする』という方針だったし」
「いえ、ですから」
「やっぱり娘だと違うのか? と言うより、義姉上の考え方が違うのか?」
「勝手に一人で話を進めないで貰えますか!?」
「確かに商人だとハードルは高いとは思うが、彼の将来性はあるし、可能性は皆無では無いから頑張れ。屋敷の皆にも彼がお前を誘いに来たら、黙認するように言っておくから」
「あの、ジュール兄様!」
 何やら一人で納得し、満面の笑みでカテリーナの肩を軽く叩いてから、ジュールは仕事の続きをする為に書斎へと戻って行った。それを邪魔する気は無かった彼女は、唖然としながら兄の背中を見送る。


「どうしてナジェークが、あんなに兄様に気に入られているのよ……。とんでもない詐欺師なのに。ワーレス商会もだけど、我が家の事も心配になってきたわ……」
 ナジェークの、この館への出入り自由のお墨付きを貰った事に等しいジュールの宣言だったが、カテリーナは手放しでは喜べない、微妙な心境になっていた。



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