その華の名は

篠原皐月

(7)ナジェークの思惑

 教室を出てから、適当な理由をつけて友人達と別れたカテリーナが上機嫌で隠し部屋に向かうと、そこには既にナジェークが来ていた。いつの間にか運び込んでいた小さな机の上に、何枚もの書類を広げて難しい顔をしていた彼を見て、カテリーナは邪魔しては悪いかと思いながら控えめに声をかけてみる。
「今日は早かったのね。考え事があるなら、静かにしているから」
 それにナジェークは顔を上げ、苦笑しながら首を振った。


「別に黙って貰う必要は無いさ。その様子だと騎士科上級学年の話し合いは、順調に終わったらしいな。君達的には」
「ええ。バーナム達にとっては、甚だ不本意だったでしょうけどね。でもあの人達が王太子殿下に泣き付いて、殿下が話を反故にする可能性は無いの?」
 彼女がふと気になった懸念を口にすると、ナジェークは笑いながら応じる。


「それに関しての対策は、既に打ってある。エセリアが王妃陛下経由で国王陛下に事の次第をお伝えしたら、王太子殿下が率先して新規行事を立案したのを大変喜ばれて、学園に大会運営費を寄付されたよ」
 それを聞いた彼女は、エセリアの手腕に心底感嘆した。


「なるほど。国王陛下から運営費を下賜されてから『やはり中止します』なんて、王太子としては口が裂けても言えないわね。双方の面子が潰れるもの。さすがはエセリア様だわ」
「実は、エセリアにそれを提案したのは私だけどね」
「それはそれは……。さすがに抜け目がないこと」
「どうも」
 如何にも「誉めてくれ」と言わんばかりの笑顔を向けられ、カテリーナは少々ひねくれた誉め言葉を口にしたが、それでもナジェークは嬉しそうに応じた。するとここで彼が、思い出したように確認を入れてきた。


「ところで君自身は、剣術大会に参加する気でいるのだろう?」
 それにカテリーナは即座に答える。
「当然でしょう? こんな楽しそうな事を、逃すつもりは無いわ」
「そう言うだろうと思っていたが……」
「何? 何か不満でもあるの?」
 そこで思わせ振りに溜め息を吐いた彼に、カテリーナが訝しげな視線を向ける。それを受けたナジェークが僅かに顔をしかめながら、ちょっとした懸念を口にした。


「少数派の不心得者達が『大会を中止できないなら諦めて参加する』と、これから試合までの間、殊勝に訓練に励めば良いのだけどね」
 それを聞いたカテリーナは、怪訝な顔になった。


「でも、諦めて訓練するしかないでしょう?」
「買収とか襲撃とかの可能性がありそうでね。何と言っても近衛騎士団への推薦を脅迫でごり押しした、品性下劣な奴が含まれているから」
「…………」
 確かにあの連中ならやりかねないわと、カテリーナは思わず表情を消して無言になった。


「まだ試合中に負った怪我なら仕方がないと諦めて、試合後に多少の嫌がらせ程度で済ませてやるが、まかり間違って試合前に君が怪我をさせられたり、変な物を飲食物に仕込まれるのは看過できない。試合が近くなったら、君に密かに護衛でも付けるか……」
 大真面目にそんな事を言い出したナジェークを、カテリーナは慌てて叱り飛ばした。


「あのね! 何なのよ、その試合後の嫌がらせって!? それにそんな襲撃事件なんて起こったら、私以外の誰でも困るわよ! 試合で怪我をしても、嫌がらせは絶対却下!! それに実行委員会に入っているんだから、責任を持ってそれ位の予防措置を講じなさいよ!」
「それもそうだな……。なるべく組み合わせは、直前まで決めない方が良いか。組み合わせ自体も変な横槍が入らない方法を、エセリアと考えよう」
「全くもう!」
 視線を落として考え込みながら、独り言のように告げるナジェークに、カテリーナはほとほと呆れ果てた。するとここで彼が、再度話題を変えてくる。


「そう言えば……、去年懐妊した君の義姉上は、そろそろ出産予定だったかな?」
 その問いかけに、カテリーナは笑顔で答えた。
「ええ、来月末位に出産予定よ。そのおかげで進級してからはあちこちの催し物に引っ張り出されなくて、気が楽だったわ」
「それはそれは……。そうなると出産後暫くは出歩けないだろうから、今度の長期休暇の時期も夜会だ茶会だ見合いだと、引きずり回される事は無いんじゃないか?」
「それ以前に子供にかまけて、私の事なんか放っておいて欲しいんだけど」
 うんざりしながら本心を口にしたカテリーナに、何故かナジェークは思わせぶりに言葉を返した。


「果たして、そう上手くいくかな?」
「どういう意味?」
「まあ、色々とね。彼女も彼女の実家の人間も、なかなか理解しがたい複雑な精神構造をしているから」
「それはそうかもしれないけど……」
 そこで肩を竦めたナジェークにカテリーナは反論できず、困惑しながら言葉を濁した。


「取り敢えず長期休暇には、今年も領地に滞在できるんだろう? 予め日程が分かれば、それに合わせて私も出向くつもりでいるから」
「クオール・ワーレスとして?」
「クオール・ワーレスとして。あそこにワーレス商会の支店が開店して、今は暫定的にデリシュさんが任されているしね」
 すかさず皮肉っぽく確認を入れたが、ナジェークが全く悪びれずに返した為、カテリーナの顔が僅かに引き攣った。


「開店したばかりで、色々と気苦労が多いでしょうに……。デリシュさんに、必要以上にご迷惑をかけないようにしなさいよ?」
「勿論、限度と節度は弁えているよ」
「とてもそうは思えないのだけど」
 白々し過ぎるナジェークの物言いを聞いて、カテリーナは疲れたように溜め息を吐いた。





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