その華の名は

篠原皐月

第4章 大きな分岐点:(1)密かな企み

 騎士科上級学年に進級し、学園生活も残り一年を切ってから半月後。教室移動の為に友人達と一緒に廊下を歩いていたカテリーナは、これまで話だけは何度も耳にしていたエセリアに遭遇した。
「あら? ねえ、カテリーナ。あの人って、もしかして……」
 女生徒達の集団を遠目に見ながら確認を入れてきたエマに、カテリーナは相手の容姿を確認して頷く。


「え? ああ、おそらくあの方が、シェーグレン公爵令嬢のエセリア様ね。婚約者であられる王太子殿下と同様に、今年入学したとは聞いていたけど、さすがに周りの生徒とは風格が違うわ」
「そうよね。醸し出す雰囲気というか威圧感とか。決して高圧的な物では無いけど、無視できないと言うか何と言うか……」
「威張り散らしている感じでも無いのに、不思議よね。それに近年、ワーレス商会から発売されている様々な画期的な商品の多くが、あの方の発案だと聞いたわ」
「本当に非凡な方ね。未来の王妃様に相応しいわ」
「そうそう。私達凡人とは、本当に格が違うわね」
 納得顔で頷き合う友人達を見て、カテリーナは少々微妙な心境になった。


(そうなのよね……。私からみても王妃に相応しい気品と才能をお持ちだし、彼女がアーロン殿下の婚約者だったのならお父様も渋い顔をするわけは無いし、ナジェークとの事を公にするのに支障は無いのに。なかなか上手くいかないものだわ)
  そんな風に残念に思っている自分に気がついてしまったカテリーナは、慌てて心の中でそれを打ち消す。
(いえ、別に私は、彼との事を公にしたいと言っているわけでは無くて!)
  そこで黙り込んでしまった彼女に、リリスが不思議そうに声をかけた。


「カテリーナ? 変な顔をして、どうしたの?」
「え? えぇ? 何でも無いけど、変な顔ってどんな顔?」
「一言では言えないけど……、変な顔よ。そうよね?」
「ええ」
「何かと思ったわ」
「本当に、何でもないから。ちょっと考え事をしていただけで」
「そう?」
 こぞって友人達に怪訝な顔で言われてしまったカテリーナは、焦りながらその疑念を打ち消しつつ、移動を促してその場を離れた。




「やあ、カテリーナ。今日は早かったんだね」
  その日、カテリーナが隠し部屋で本を読んでいると、珍しくナジェークが遅れてやって来た。暫くの間直接顔を合わせていなかった事もあり、彼女は少々皮肉げに尋ねる。


「進級してから、ここに顔を出すのは初めてね。色々忙しかったの?」
「ああ。学年末休暇中に、予想外の事態が勃発してね。進級してからも、それに関わる微妙な修正をしていたんだ」
「それは大変だったわね。学年末休暇中と言うと、何か領地に関わる事?」
「いや、私達にも大いに関係がある事なんだが、内容が内容だけに、君に秘密裏に知らせるのも憚られて……」
「私達に関係がある事?」
  皮肉に真顔で返してきた上、微妙に困惑しながら言い返されて、思い当たる節が皆無だったカテリーナは首を傾げた。そんな彼女を真正面から見据えつつ向かい合って座ってから、ナジェークが真剣極まりない表情で口を開く。


「……カテリーナ。驚かないで聞いて欲しいんだが」
「急に怖い顔をして、一体何事なの?」
  思わずカテリーナが身構えると、ナジェークは予想外にも程がある内容を告げてきた。


「妹のエセリアが、グラディクト殿下との婚約を破棄に持ち込むつもりだ。しかもこちらからではなく、先方からそう仕向ける算段を立てている」
「王太子殿下との婚約を破棄!?」
「しいぃぃっ! 声が大きい!」
「ごめんなさい。でも、それってどういう事? エセリア様は、そんなに王太子殿下の事がお嫌いだったの?」
  思わず声を張り上げてしまった彼女を、ナジェークが顔色を変えて制止する。それで慌てて精一杯声を抑えながらカテリーナが問いただすと、ナジェークが溜め息まじりに婚約破棄を希望する理由を告げた。


「相手の好き嫌い以前に、王太子妃や王妃の座に就いてしまったら、これまでのように自由な執筆活動や商品開発ができなくなるのが甚だ不満だそうだ」
  それを聞いたカテリーナは、激しく脱力した。


「エセリア様……。非凡な方だとは思っていたけど、そこまで型にはまらない考え方をする方だったなんて……。でも王家との間で成立している婚約なんて、簡単に破棄などできないわよね?」
「ああ。少なくとも我が家の方からは、かなり難しいな。明確なペナルティーを課せられる事は無いだろうが、家名とエセリアの名前に傷がつく。だからそれを避ける為、何としてでもグラディクト殿下側から妹との婚約を破棄して貰う必要がある」
「難易度が一気に上がった気がするし、どうすれば良いのか皆目見当がつかないのだけど」
「それは承知の上さ。だが難しければ難しいほどやりがいはあるし、成し遂げた時の達成感は増すだろう?」
  ここでナジェークが不敵に笑ってみせた事で、カテリーナも漸く落ち着きを取り戻して肩を竦めた。


「あなたなら、何としてでもやり遂げてしまいそうね。因みにご両親は、それに納得していらっしゃるの?」
「さすがに反対すると思うから秘密だよ」
「婚約破棄が成功した時のシェーグレン公爵夫妻の心労を思うと、今から同情するわね。あ、そうなるとこの事は、イズファインとサビーネにも秘密なの?」
「いや、学年末休暇中に、エセリアが二人にも自分の考えを打ち明けて、協力を要請した。ただし今まで通り、私達の関係はエセリアには秘密にしている」
  それを聞いたカテリーナは、頭の中で状況を整理して渋面になった。


「……面倒くさいわね」
「秘密を知る人間は、少ないに越した事は無いからね。事を公にしたら、妹に頭を下げるさ」
「それで、当面の方針は?」
 気持ちを切り替えて今後の事を尋ねると、ナジェークが予め考えていたらしい内容を口にする。


「エセリア自身の評価は下げず、相対的にグラディクト殿下の評価を下げて、彼の劣等感や妹に対する嫌悪感を煽る位かな? その材料の一つにするべく、まずは彼の側付きに配置された生徒達の情報を集めているところだ。君にも頼む事があるかもしれない」
「あら、どうして?」
「騎士科上級学年のバーナムが、殿下の側付きの一人になっただろう?」
 唐突に協力を要請されて意外に思ったカテリーナだったが、その理由を聞いて即座に納得した。


「ああ……、そう言えば、最近休み時間とか放課後とか、姿を見かけないと思っていたけど。王太子殿下にまとわり付いていたのね。あれを側付きにするなんて、確かにグラディクト殿下の王太子としての資質は疑わしいわ」
 その辛辣な台詞に、ナジェークが苦笑いする。


「ああいうのは、各家の思惑と力関係で決まるものだからね。私は適当な理由をつけて、丁重にご辞退申し上げたが」
「あなたも妹さんと同様に、グラディクト殿下をあまり好きでは無かったの?」
「嫌いだな。平気で人を見下す態度が」
  その即答っぷりにカテリーナは少々驚き、意外に思いながら尋ね返した。


「珍しいわね……。あなたがそこまではっきり口に出すなんて。勿論そんな事を、本人に向かって面と向かって言ったりはしないでしょうけど。これまでに何か、相当腹に据えかねる事でもあったの?」
「好き好んで王家の外戚になろうとした事など一度もないのに、媚びを売って歓心を得る事に血道を上げている連中と同一視されたら、さすがに不愉快だ」
「そこら辺の見極めもできないとはね……。あなたが怒るのは当然だわ」
(実力があると同時に、それに相応しい誇りを持っている人だもの。無理もないわね)
  よほど腹立たしい事があったのだろうと推察したカテリーナは、この件について蒸し返さないようにしようと心に決めた。


「そういうわけで、これまではエセリアの婚約話はそのままに、ガロア侯爵の我が家への隔意を改善させる方向で考えていたが、今後はエセリアの婚約自体を瓦解させて、王太子派とアーロン殿下派自体の争いを解消させる事を目指すよ」
 大まかな今後の方針について言及されたカテリーナは、少々不安に思いながら尋ねた。


「話が一気に拡大して、重大化したのだけど……。そんな大事になって大丈夫なのかしら?」
「周りに被害が出ても、自分の周囲にだけは被害が出なければ構わないさ」
「……それはそうでしょうね」
(本当に規格外の兄妹ね。でもこの話が実現したら、貴族間の力関係が一気に大きく変わる筈。一体どうなるのかしら?)
  それからは完全にいつも通りの、飄々とした態度のナジェークを見ながら、カテリーナはどうしても一抹の不安を拭えずにいた。



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