その華の名は

篠原皐月

(21)最後の最後で大騒動

「ジュールさん、今回は本当にお世話になりました」
「長逗留させていただき、ありがとうございます」
「こちらこそ、色々と貴重なご意見、ありがとうございました」
 ナジェーク達が王都に戻る日。
 応接室で二人が滞在中の礼を述べてから、ジュールとデリシュが最後に色々と話し込んでいるのを幸い、少し離れた場所でカテリーナが、ナジェークにだけ聞こえる声で囁いた。


「それじゃあ、今度会う時は学園ね」
「そうだね。残りの長期休暇の間、君の義姉上が詰め込んでいるスケジュールに、私が参加するものがあるとは思えないし」
「あの人には、もっと有意義な時間の使い方をして貰いたいと、切に願っているわ」
 うんざりとしながら本音を漏らしたカテリーナを見て、ナジェークが小さく笑う。するとドアを開けて、一人の執事が足早に入室して来た。


「失礼します。只今ワーレス商会から、お客様にお手紙が届きました」
「お渡ししてくれ」
「ありがとうございます。それにしても……。今日こちらを発つと連絡してあるのに、一体何事だろう。下手をすれば行き違いになるのに…………、はあぁ!?」
 執事から手紙を受け取ったデリシュは、怪訝な顔になりながらもよほどの急用かと、すぐにその場で開封して中身を確認した。すると狼狽しきった声が上がり、その場に居合わせた全員が彼に驚きの目を向ける。


「デリシュさん? どうかされましたか?」
 ジュールが怪訝な顔で問いかけると、デリシュは狼狽しながら彼とカテリーナに目を向けてから、ナジェークに向き直った。


「ナッ、ナジェ、い、いやっ、クオール!! こっ、これを見てくれっ!!」
「兄さん? そんなに慌てて、どうかしたんですか? これがどう…………」
 動揺著しいデリシュは、一瞬ナジェークの名前を口にしかけたものの何とか踏み留まり、彼に向かって勢い良く便箋を突き出した。対するナジェークは不思議そうに受け取ったものの、内容を確認した途端、無表情になる。その一連の様子を見て、嫌な予感しか覚えなかったカテリーナは、僅かに目を細めながらデリシュに問いかけた。


「何か、至急の連絡ですか?」
「え、ええ。ちょっと店の方で、トラブルが発生しまして。大至急戻って、その対応をする必要ができました」
「それは大変ですね。すぐに厩から、お二人の馬を出させましょう」
「お願いします。私は荷物の最終確認をしますので」
 ジュールは急いで正面玄関に馬を引き出させるべく、使用人に指示する為に部屋を出て行き、デリシュも積み荷の確認に走った。その一方で、応接室に取り残されたカテリーナは、ナジェークを睨み付ける。


「ちょっと。どういう事? 本当にワーレス商会で、何かあった訳では無いわよね?」
「どうしてそう思うんだ?」
「ここから王都まで、何日かかると思っているの。本当に重大なトラブルが生じたのなら、駆け付けるのにそれだけ時間がかかる人間を待たず、王都にいる人間で対応する筈よ。第一、デリシュさんは会頭のご子息様でも、まだそれほど商会内での発言権や経営権は持っていない筈だわ」
「確かにそうだね」
 カテリーナの指摘にナジェークは素直に頷き、下手に弁解はしなかった。それを見た彼女の苛立ちが、内心で高まる。


「それを考えると、あの手紙はデリシュさん宛てではなく、それを装ったあなたへの手紙。つまり、あなたが偽名でここに潜り込んでいる事を知っている、あなたの側近からの手紙と言うことになるわ。違うかしら?」
「違わない。私の未来の妻が、なかなか思慮深い人物なのが分かって嬉しいよ」
「はぐらかさないで。それで内容を確認して真っ青になったデリシュさんが、狼狽しながら私と兄様の様子を窺ったのは、それが我が家に関わる内容だったからよね?」
「やれやれ……。デリシュさんには、もう少し腹芸を身に付けるように助言しよう」
「これ以上のご託は結構。さっさと吐きなさい」
 カテリーナに胸ぐらを掴まれながら恫喝されたナジェークは溜め息を吐き、多少後ろめたそうに話し出した。


「……君の義姉上」
「はぁ? お義姉様が何なの?」
「君がもう少しのんびりできるように、側近に連絡を取って足止めを頼んだんだ。そうしたら彼らは昨夜彼女の宿泊先に出向いて、彼女の乗る馬車の車軸端に切り込みを入れておいたそうだ。走り出して暫くしたらそれが折れて車輪が外れて、街道で立ち往生するように」
「それは残念ね。あの人、自分が乗る馬車の他に、侍女達が乗る馬車も引き連れて移動するのよ?」
「彼女は緊急事態なら、いつも自分が乗っている馬車よりはるかにグレードが低い馬車に、侍女と同乗して移動するかな?」
 そう尋ねられたカテリーナは義姉の性格を考えてみて、がっくりと肩を落とした。


「……意地でも自分の馬車を直させて、日が暮れるわね」
「そうだろう? だけど切り込みの入れ方が浅かったのか、なかなか車軸が折れずに側近達の当てが外れてね」
「それは御愁傷様。だけどお互いの為に良かったわ」
 大事にならなくて良かったと胸を撫で下ろしたカテリーナだったが、残念な事に話はそれで終わらなかった。


「それで側近達は急遽、念の為に前夜のうちに確保しておいた蜂の巣入りの紙袋を抱えて、街道を先回りして馬車を待ち伏せしたんだ」
「え? どうして前の晩に、蜂の巣なんか用意していたの?」
「気温が下がらないと蜂の活動が鈍らなくて、捕獲時に危険だからだ」
「時間帯の事じゃなくて、蜂の巣が必要な理由を聞いているのよ!」
 大真面目に見当違いの解説をされたカテリーナは思わず声を荒げたが、ナジェークが続けて語った内容を聞いて本気で呆れた。


「街道沿いの大木の上から、馬車の馬めがけてそれを投げつけたんだ。驚かせた上、蜂に刺されて馬が興奮状態になったら、事態を収拾するのに時間がかかるだろう?」
「下手をすれば馬が死ぬわよ。本当に、何をやってるの……。さすがはあなたの側近ね……」
「そうしたら馬車を引いていた馬が、二頭とも興奮して暴走したんだ。更に御者が蜂から逃げる為に、さっさと御者台から降りてしまってね」
 そんなとんでもない展開を聞かされたカテリーナは、激しく動揺した。


「ちょっと待って! 御者無しで馬車が暴走!? 大変じゃないの!!」
「ああ。しかも運悪く二頭が暴走を始めて最高速度になった時点で、切れ目を入れておいた車軸が折れて、左前輪が外れて馬車が傾いたらしい」
「どういうタイミングよ……。最悪だわ」
 本気で頭を抱えたカテリーナだったが、語られる事態は益々悪化した。


「その時に走っていたのが、偶々川沿いの土手の上の道で。傾いた馬車に引きずられる感じで馬達が左に寄ったら、左側の馬が土手の坂にそのまま突っ込んで、馬車もろとも横転したそうだ」
「馬車が横転!? 何をやってるのよ!」
「幾つかの偶然が重なった、不幸な事故だよ……。私も側近達も、まだまだ読みが甘かったと言うことだ。反省事項だな」
 ナジェークは神妙に語ったが、彼女にしてみれば冗談ではなかった。



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