その華の名は

篠原皐月

(15)違う意味での鬱屈

 ガロア侯爵領に到着した翌日、デリシュは時間を無駄にする事無く領内の視察に赴き、残ったナジェークも館がある街の近郊を回る事になった。


「ジュール殿、本日は視察に同行していただき、ありがとうございます」
「今日はちょうど手が空いておりましたから、お気遣いなく」
 案内役として同行する事になっていたジュールと共に、玄関前に引き出された馬の馬具を確認しながらナジェークが世間話をしていると、乗馬服に身を包んだカテリーナが、若干左足を引きながら現れた。


「ジュール兄様」
「カテリーナ、どうかしたのか?」
 このタイミングで現れた彼女にジュールは怪訝な顔で尋ねたが、カテリーナは構わずに話を続ける。


「今日はクオールさんに、この近辺を馬で案内するのよね?」
「ああ。製油所の候補地が幾つかあるから。夕刻迄には戻るつもりだ。簡単な昼食も準備したしな」
「それなら、私も同行させて貰って良いかしら?」
「カテリーナ?」
「足の具合は随分良くなったし、乗馬には問題ないと思うの。でも兄様は心配だから暫く誰か付けると言っていたけど、忙しい屋敷の人間を私の散歩の為だけに割くのは申し訳ないし。兄様と一緒に出歩けば、無駄が無いでしょう? ほら、厨房にお願いして、私の分の昼食も準備して貰ったわ」
 すらすらと自分の考えを述べたカテリーナは、堂々と昼食が入れてあるらしい布袋を突き出した。それを見たジュールが盛大に溜め息を吐き、ナジェークはその後ろで必死に笑いを堪える。


「あのな……、お前はれっきとした侯爵令嬢で、普通なら付き従う使用人は複数存在している筈だが?」
「『普通なら』ね。私はぞろぞろと、これ見よがしに使用人や取り巻きを引き連れて歩く趣味は無いの。お兄様がどうしても駄目だと仰るのなら、潔く諦めますけど」
「やれやれ……、もう乗馬服まで着込んでいるくせに、何をしおらしい事を言っているのやら。これは仕事の一環なんだぞ?」
「それは重々承知していますが、私はお兄様とは違う視点でのアドバイスができると思いますし」
 ジュールはここで屁理屈をこね、一歩も引く気配を見せない妹の説得を早々に諦め、ナジェークに向き直った。


「クオールさん、我が家の我が儘姫の同行を、認めていただけるでしょうか?」
 少々困り顔での申し出に、ナジェークは苦笑で応じる。


「我が儘と言う程の事でもありませんでしょう。どうぞお気遣いなく。ジュール殿は妹君に、少々甘いようですね。あ、これは嫌味ではなく、兄妹仲がよろしくて結構だとの意味合いなのですが」
「その通りだとの自覚はあります。カテリーナ、許可はするが、私の指示には従うように」
「分かっています、兄様。ありがとう」
(とにかく、外出許可はもぎ取ったわ。使用人に付いて来られたら、あれは危ないこれは危ないって一々五月蝿そうだもの)
 そこで早速兄から幾つかの事を約束させられたものの、カテリーナは同行の許可を貰った事で機嫌良く荷物を鞍に括り付けた。それから見送りに出た複数の使用人が心配そうに見守る中、三人は馬上の人となって郊外へと走り出した。


(うん、久しぶりに風を切るこの感じ。爽快だわ! 最近は王都の屋敷ではお姉様達が五月蝿くて、乗馬どころか外出すら好きなようにできないものね)
 暫くの間、ジュールやナジェークと世間話などをしながらご機嫌に馬を走らせていたカテリーナだったが、時が過ぎるに従って段々不満めいたものを感じ始めた。


「なるほど……。先程の土地は広さが十分でしたが、こちらの方は水源がすぐ近くですし、整備が済んでいる街道沿いですから、利便性は上ですね」
「ええ。もう一ヵ所回る予定ですが、私としては製油所の設立場所なら、こちらが一番条件に合致するかと」
「従業員の募集も、考慮に入れる必要がありますからね」
「ええ、その面で、次の場所は少々難があるかと」
(さっきから、ずっと真面目に土地の選定をしているように見えるんだけど……。公爵令息に土地の買収に関わる調査を任せるなんて、ワーレス商会は本気なの!?)
 真顔で手元の書類と目の前に広がる土地に視線を向けつつ、男二人が意見をかわしている場に割り込めず、疎外感を感じていたカテリーナは心の中で八つ当たりをした。しかし半ば強引に付いてきた自覚はあった為、二人の会話に区切りがつくのを黙って見守る。
 その場所での話し合いが終わり、次の目的地に向けて再び馬を走らせ始めた時、この間妹の様子を密かに観察していたジュールが、彼女にからかいまじりの声をかけてきた。


「どうしたカテリーナ。いつもとはまるで違って、今日は無口だな」
「たまにはじっくりと、景色を眺めたいだけです」
(すっかり二人で意気投合して、何なのよ。人を完全に除け者にして)
 失礼にならない程度に素っ気なく応じた彼女を見て、ジュールとナジェークは無言で苦笑の顔を見合わせた。


(やれやれ。あの様子では、完全に拗ねているな。こちらは真面目に仕事をしているだけだし、明日以降の布石を打っている段階なんだが)
 とにかく信用の置ける人物だとジュールに認めて貰えない限り、二人で出掛ける事もままならないと考えていたナジェークはそれからも仕事に徹し、真剣にジュールと意見を交わしあって予定されていた視察を全て終わらせた。


「今日はお付き合いいただき、ありがとうございました」
「いえ、少しでもクオールさんのお手伝いができたのなら良かったです」
「…………」
 屋敷に帰り着いたナジェークはジュールと幾つかの事を話し合ってから、夕食までの時間を過ごすために客間に引き上げて行った。それを見送ってから、ジュールが傍らの妹に声をかける。


「どうしたカテリーナ。不満げだが、そんなに退屈だったのか?」
「そんな事は。無理に付いて行った自覚はありますし」
「仕方がないな……。どうやら私はクオールさんが言っていた以上に、妹に甘いらしい」
「ジュール兄様?」
 そこで苦笑を深めたジュールが、予想外の事を言い出す。


「王都では外出するのも一苦労なんだろう? クオールさんは明日以降、何日かかけて支店候補地の選定と、ここの街の市場調査をするそうだ。お前さえ良ければ同行して貰えないかと、さっき言われた」
「いつ、そんな話をしていたの!?」
 本気で驚いたカテリーナだったが、ジュールはそのまま話を続けた。


「『せっかくの外出時に、仕事の話ばかり聞かせてしまって、申し訳無い』と仰っていた。『気分転換に街に出るなら、宜しければお付き合いします』と言われてな。完全に本末転倒だ」
「そんなに不機嫌な顔をしていたつもりは無いのですが……」
「今日一日じっくり話をしてみて、彼が信頼に足る人物であるのは分かったし、私もそんなに頻繁に彼に同行できない。この街ならお前は領主の娘として知られているし、下手なちょっかいをかける輩もいないだろう。どうだ?」
「そうさせて貰うわ! ジュール兄様、ありがとうございます!」
「それなら夕食の時に、改めてクオールさんにお願いしておこう」
(良かった。暫くは気楽に出歩けそう! ナジェークに感謝しないとね)
 願ってもない話にカテリーナが飛び付くと、ジュールは笑って話を終わらせ、彼女も上機嫌で自分の部屋へと戻った。



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