その華の名は
(13)訪問の先触れ
「おはよう、カテリーナ。足の様子はどうだい?」
朝食を食べ終えたカテリーナが、食堂から部屋へ戻って持ち込んだ本を読んでいると、ノックの音に続いてドアから次兄のジュールが現れ、挨拶してきた。それにカテリーナは笑顔で返す。
「怪我をした直後と比べると、随分楽になりました」
「それは良かった。せっかくの長期休暇なのに全く出歩かないで静養なんて、カテリーナには似合わないからな」
「まあ、お兄様。私の事をどんな人間だと思っていらっしゃるの?」
「足が治っても、早々に王都に戻るつもりは無いんだろう?」
「良くお分かりで」
苦笑しながら指摘してきた兄に、カテリーナが真面目くさって頷く。それを見て笑みを深めた次兄に、彼女が尋ねた。
「まだ遠出は無理だけど、今日は午後からでもラルフの顔を見に行こうかと思うの。リサ義姉様のご都合はどうかしら?」
それを聞いたジュールが首を傾げながら申し出る。
「ラルフに会いたければリサに言って、この館に連れて来させるが?」
「お義姉様のご都合もあるし、使用人もこことは比べ物にならない程少ない中、家事と育児でお忙しい筈だわ。それに屋敷に籠ってばかりだと身体が鈍るから、少し動きたいの。こことは目と鼻の距離のお兄様のお宅なら、妥当な距離でしょう?」
「それはそうだろうが……」
「本当に部屋は余っているし、毎日通って来ているのだから、ここに家族で住めば良いのに」
前々から思っていた事をカテリーナが思わず口に出すと、ジュールが少々困ったように反論する。
「俺の事を気遣ってくれるのは分かるが、そうはいかないさ。例え現当主の息子でも分家した以上、領内の管理を任される使用人としての立場を守るべきだろう。ここは俺の家では無い」
「真面目過ぎるのもどうかと思いますが……。そこがジュール兄様の美点なのでしょうね」
きっぱりと断言した兄を見てカテリーナは余計な事を言ったと反省し、そんな兄の潔さを目の当たりにして尊敬の念を新たにした。そこでジュールがここに来た理由を思い出し、持参した小さな箱を彼女に差し出す。
「ああ、忘れるところだった。これがさっき、お前宛に届いたんだ」
「ありがとうございます。……あら、サビーネ様からだわ」
「それじゃあ、俺はこれで。外出するなら転んだりしないように一応使用人を付けるから、誰かに声をかけてくれ」
「分かりました」
最後はしっかり釘を刺してきた兄が出て行ったのを見届けてから、カテリーナは早速箱の梱包を解き始めた。
「さてと、早速開けてみますか」
すると箱の中から現れたのは、予想通りの物だった。
(ふうん? 封書と、きちんと梱包された香水瓶……。これは“あれ”ね。やはり文面はありきたりの時節の便りでしかないし、これがどうなるか楽しみだわ)
カテリーナはサビーネから聞いた話を思い返し、わくわくしながらテーブルの上に便箋を広げた。それに向かって均一に、漏れが無いように瓶の中身を噴霧する。
「出た!」
香水にしては違和感のある匂いが周囲に仄かに広がると共に、便箋の行間に文面とは異なる色調の文字列が、新たに浮かび上がった。
(ええと……、『予定通りそちらに行く。そろそろ何とか歩けるようにはなっているだろう』って、確かに杖を使えば痛まないようにはなってきたけど……。え!? この到着予定日って、三日後じゃないの!)
本来のメッセージを読み進めていたカテリーナは、そこに記されていた日付を見て多少動揺した。そして読み進めていくうちに、彼女の眉間の皺が徐々に深くなる。
(しかも『こちらの身元がばれないようにカモフラージュするから、どんな格好で来ても顔に出さずに話を合わせてくれ』って! せめてどういう設定で来るのか位、知らせなさいよ!)
ナジェークの秘密主義ぶりに、カテリーナは本気で頭を抱えた。
「絶対に面白がっているわよね……。ここにはジュール兄様もいるのに、本当に大丈夫かしら?」
そんな不安を抱えながらカテリーナは念の為に読み終えた便箋を手に取り、繋ぎ会わせるのは不可能な程度まで細かく破いてゴミ箱に捨て、証拠隠滅を済ませた。その時の彼女の疑問は、早くも翌日に解消した。
「カテリーナ、ちょっと良いかな?」
「はい、どうかしましたか?」
前日と同様に部屋で寛いでいたカテリーナの元にジュールが出向き、予想外の事を告げてきた。
「明後日からこの屋敷に、暫く客人を迎える事になったんだ」
「それは構いませんが、どなたですか? お父様達がおられないのに、お客様だなんて」
「王都のワーレス商会の方だよ。うちの特産品のオリーブの販路拡大と商品開発について、前々から相談していたんだ。これまでにも幾つか提案して貰ったが、少し前に『一度現地を見学させて貰いたい』との申し出を受けていてね。今、お二人で出向くとの知らせが届いたんだ」
(ワーレス商会は、シェーグレン公爵家と深い関係があると有名だわ。なるほど、そう来るわけね)
素早く頭の中で考えを巡らせたカテリーナは、何食わぬ顔で申し出た。
「領地運営に関してご助力いただける方なら、疎かにする訳には参りませんね。私も精一杯好印象を持っていただけるように、その方達の滞在中努めます」
それを見たジュールが、心底安堵したように頷く。
「助かるよ。本当にこの時期に、兄上や義姉上がこちらに来ていなくて助かった」
「平民の方に対して、まともに挨拶ができるかどうか分かりませんものね」
そう苦笑いしたカテリーナは、どこまで抜かりなく下準備を済ませていたのかと呆れながら、ナジェークの到着を待ち構える事になった。
朝食を食べ終えたカテリーナが、食堂から部屋へ戻って持ち込んだ本を読んでいると、ノックの音に続いてドアから次兄のジュールが現れ、挨拶してきた。それにカテリーナは笑顔で返す。
「怪我をした直後と比べると、随分楽になりました」
「それは良かった。せっかくの長期休暇なのに全く出歩かないで静養なんて、カテリーナには似合わないからな」
「まあ、お兄様。私の事をどんな人間だと思っていらっしゃるの?」
「足が治っても、早々に王都に戻るつもりは無いんだろう?」
「良くお分かりで」
苦笑しながら指摘してきた兄に、カテリーナが真面目くさって頷く。それを見て笑みを深めた次兄に、彼女が尋ねた。
「まだ遠出は無理だけど、今日は午後からでもラルフの顔を見に行こうかと思うの。リサ義姉様のご都合はどうかしら?」
それを聞いたジュールが首を傾げながら申し出る。
「ラルフに会いたければリサに言って、この館に連れて来させるが?」
「お義姉様のご都合もあるし、使用人もこことは比べ物にならない程少ない中、家事と育児でお忙しい筈だわ。それに屋敷に籠ってばかりだと身体が鈍るから、少し動きたいの。こことは目と鼻の距離のお兄様のお宅なら、妥当な距離でしょう?」
「それはそうだろうが……」
「本当に部屋は余っているし、毎日通って来ているのだから、ここに家族で住めば良いのに」
前々から思っていた事をカテリーナが思わず口に出すと、ジュールが少々困ったように反論する。
「俺の事を気遣ってくれるのは分かるが、そうはいかないさ。例え現当主の息子でも分家した以上、領内の管理を任される使用人としての立場を守るべきだろう。ここは俺の家では無い」
「真面目過ぎるのもどうかと思いますが……。そこがジュール兄様の美点なのでしょうね」
きっぱりと断言した兄を見てカテリーナは余計な事を言ったと反省し、そんな兄の潔さを目の当たりにして尊敬の念を新たにした。そこでジュールがここに来た理由を思い出し、持参した小さな箱を彼女に差し出す。
「ああ、忘れるところだった。これがさっき、お前宛に届いたんだ」
「ありがとうございます。……あら、サビーネ様からだわ」
「それじゃあ、俺はこれで。外出するなら転んだりしないように一応使用人を付けるから、誰かに声をかけてくれ」
「分かりました」
最後はしっかり釘を刺してきた兄が出て行ったのを見届けてから、カテリーナは早速箱の梱包を解き始めた。
「さてと、早速開けてみますか」
すると箱の中から現れたのは、予想通りの物だった。
(ふうん? 封書と、きちんと梱包された香水瓶……。これは“あれ”ね。やはり文面はありきたりの時節の便りでしかないし、これがどうなるか楽しみだわ)
カテリーナはサビーネから聞いた話を思い返し、わくわくしながらテーブルの上に便箋を広げた。それに向かって均一に、漏れが無いように瓶の中身を噴霧する。
「出た!」
香水にしては違和感のある匂いが周囲に仄かに広がると共に、便箋の行間に文面とは異なる色調の文字列が、新たに浮かび上がった。
(ええと……、『予定通りそちらに行く。そろそろ何とか歩けるようにはなっているだろう』って、確かに杖を使えば痛まないようにはなってきたけど……。え!? この到着予定日って、三日後じゃないの!)
本来のメッセージを読み進めていたカテリーナは、そこに記されていた日付を見て多少動揺した。そして読み進めていくうちに、彼女の眉間の皺が徐々に深くなる。
(しかも『こちらの身元がばれないようにカモフラージュするから、どんな格好で来ても顔に出さずに話を合わせてくれ』って! せめてどういう設定で来るのか位、知らせなさいよ!)
ナジェークの秘密主義ぶりに、カテリーナは本気で頭を抱えた。
「絶対に面白がっているわよね……。ここにはジュール兄様もいるのに、本当に大丈夫かしら?」
そんな不安を抱えながらカテリーナは念の為に読み終えた便箋を手に取り、繋ぎ会わせるのは不可能な程度まで細かく破いてゴミ箱に捨て、証拠隠滅を済ませた。その時の彼女の疑問は、早くも翌日に解消した。
「カテリーナ、ちょっと良いかな?」
「はい、どうかしましたか?」
前日と同様に部屋で寛いでいたカテリーナの元にジュールが出向き、予想外の事を告げてきた。
「明後日からこの屋敷に、暫く客人を迎える事になったんだ」
「それは構いませんが、どなたですか? お父様達がおられないのに、お客様だなんて」
「王都のワーレス商会の方だよ。うちの特産品のオリーブの販路拡大と商品開発について、前々から相談していたんだ。これまでにも幾つか提案して貰ったが、少し前に『一度現地を見学させて貰いたい』との申し出を受けていてね。今、お二人で出向くとの知らせが届いたんだ」
(ワーレス商会は、シェーグレン公爵家と深い関係があると有名だわ。なるほど、そう来るわけね)
素早く頭の中で考えを巡らせたカテリーナは、何食わぬ顔で申し出た。
「領地運営に関してご助力いただける方なら、疎かにする訳には参りませんね。私も精一杯好印象を持っていただけるように、その方達の滞在中努めます」
それを見たジュールが、心底安堵したように頷く。
「助かるよ。本当にこの時期に、兄上や義姉上がこちらに来ていなくて助かった」
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